1.無能な聖女
(いよいよ始まるのね)
石造りの道を照らす眩しい太陽の光に、眼鏡越しに目を細めてクリスティーナは期待に胸を躍らせる。
クリスティーナの碧眼を遮るようにかけられた黒縁の眼鏡には、レンズではない〝何か〟が張られている。ソレは太陽の光に煌めき、七色に光ったように見えた。
――何かとは、クリスティーナの兄が作り出した膜だ。
クリスティーナは足を止め、眼鏡を外す。一見何の変哲もないレンズだが、悉に見つめると風に微かに何か――膜が揺らめいていることがわかる。
この膜は魔法で作り出した結界の一種だ。
ただ、普通の結界と違うところは、ものを拡大して見ることができるところだ。
――それもガラスなどより確実に。
……要するにクリスティーナの視力はとても悪いのだ。
街に満ちる空気は澄み、何処か神聖な雰囲気をまとっていた。それでも明るさが損なわれないのは街を行き交う人々のお陰だろう。
だが、クリスティーナの肉眼ではそれを確認する事ができない。何故ならクリスティーナは地面を確認することが限界である程視力が悪いからだ。
(拡大は問題ないけれど、おかしいわ……膜は強く張られていて……)
――揺れることなどあり得ない。
クリスティーナは兄が膜を張る間に言っていた言葉を思い出す。
――クリス。 この膜は、薄くはあるが魔力で作った結界だ。物理的な影響を受けることはない。……だが、もし風で揺れたりしていたら力が弱まっているかもしれない。魔力切れはあまり考えたくないが……可能性はある。とにかく、状態を保てるようにしろ。毎日俺が補強するつもりだが。
(にしても……まさか初日から不具合が生じるだなんて……)
クリスティーナは今日から聖女や結界に関わる者が通う学園、聖ルシア魔法学園に入学する。
聖ルシアとは初代聖女の名で、ルシアの意志を継ぐものは半強制的に入学することになる。
ルシアの意志を継ぐもの、とは聖女、そして――聖境司と呼ばれる結界の維持に不可欠な役職を持っている者のことだ。
(私、本当に聖女になるのね)
クリスティーナは先日、神託によって選ばれた5人目の聖女だった。永らく不在だった5人目の聖女が見つかり、国民はさぞ安堵したことだろう。
――だが、クリスティーナは光の力を持っていない、無能な聖女だった。
目を眇めて空を見上げると、朧げではあるが薄い膜が見えた。
透き通った膜は時折陽の光を受け虹色に煌めいている。
国ごと覆う膜の正体は、初代聖女が一人で作り上げた結界だ。およそ千年前につくられたこの結界は今もなお、とある者たちによって受け継がれている。
その筆頭たる存在、それこそが聖女なのだが、5人の聖女が光の力を注ぐ事で結界を保って来ていた。
だがクリスティーナは結界維持に必要な光の力を扱う事はおろか、光属性ですらない。
実際、この国を覆う、結界を眼鏡なしでは見る事ができない。
――結界は誰でも見える、という訳ではなく、聖女や聖境司といった結界と結びつきの強い者や光属性の者しか目視することは叶わない。そのため、魔力の籠もった眼鏡をかけることでクリスティーナは何とか結界を確認する事ができるのだ。
ふぅと息を吐き出し、両手で眼鏡の位置を整えてからクリスティーナは学園に踏み入れた。
風に桃色の髪をはためかせた彼女は気が付かなかった。
――遥か上空で結界が微かに揺らめいたことに。




