王竜確定
日は既に高く、坊は寝覚めが良かった。良い一日の始まりだ。
「ん〜」
起き上がって両腕を伸ばし、思いっきり背伸びする。布団は無かったが、白衣があれば土の感触に困ることなく、ぐっすり寝ることが出来た。それに、汚れが全くついていない。ただの布切れなのに感心である。
「おはようございます、坊殿。よく眠れましたか?」
血の匂いも上着もないテレスが隣で膝を付き、水の入ったコップを差し出した。気が利く人だ。
「おはよ~、夜更かししたから、沢山寝ちゃった。今何時?」
「お昼の十三時ですよ」
坊は「もう行く時間だね〜、お水ありがとう」と兵糧を口に含み、のほほんとしながら水を一気に飲み干した。どこかで顔も洗いたい。
「昨晩の話を聞いて、怖くないんですか?子どもを寄こす富嶽も富嶽ですが」
「怖い怖くないどっちかなら、怖いかな?でも、それがどうかしたの?」
「え?ええと」
テレスが言い淀んでいると、鴉たちが馬を率いてやって来た。
「坊、起きたか?眠くはないか?」
「まだ眠れるけど、起きれるから平気」
「そうか、それは良かった。お前が思うタイミングで構わない、その時点で出発としよう」
今回の移動は馬車ではなく、馬に直接乗って向かうことになった。馬単体ともなると、本来の実力が思う存分発揮される。坊はひとりで乗馬できないので、鴉と同乗しているが、暴風の中を滑空する燕くらいの風圧を浴びている。草原は目にも止まらぬ速さで過ぎているのに、なぜか唸りくる風は、傘に伝う雨水のように坊たちを避けている。髪を撫でつけるような、ある程度強めの風のみ坊に届いている。
鴉たちは見たこともないような小道具を使うので、今回も何かあるのだろう。説明を受けないと何も分からなかった。
「途中から、急に見える景色が変わります。本当に突然、草原から荒涼地帯にかわるのです。それ以降が王竜の支配領域だと言われています」
ともに来ると志願したテレスが、出発前と同じことを繰り返す。もう少し言うと、昨晩も同じことを言っていた。まるで機械のような人だ。
そんなに言うのなら、線を引いたように変わっているのだろうか?と思いながら、坊は前を注意深く見る。草原の先には緑深い森。その木々生い茂る森を越えたら、風景ががらりと変わってしまうのだろうか。
「待て」
鴉が手綱を引いて馬を止めた。まだ森に入ってすらいない。
草原を心地よい風が吹く。サーっと葉擦れる爽やかな音が風を追って通り過ぎた。
「この風は魔術だ。降り――」
鴉が言い切る前に、景色ががらりとその姿を変えた。目に優しい光の透ける薄色の原っぱは消え、黒々とした大地がむき出しとなる。視線を先に転ずれば、森というには不自然なほど緑が消失していた。冬枯れの乾いた木々が、葉脈のように枝を張り巡らし、幹がねじれたように曲がりくねっている。
瞬く一瞬の間だった。
同じ空間にいるとはとても思えない。
突然の変化に、馬が興奮する。なだめてやると、すぐに落ち着きを取り戻した。視覚以外の変化に乏しいのが、彼らの安心材料となったのだろう。
「転移、ではなさそうだな」
北部の急峻な山々、振り返れば西部にはコルホールを視認できる。緑はないが、他がそっくりそのままの状態だ。
「前任の司令官コルペニアの言葉ですが、おそらく王竜の支配領域なのではないかと」
テレスは続ける。
「王竜と判断したのもその方になります。王竜は蘇生術を使われます。この死する大地で、かりそめの生命を創りあげるのだそうです」
「ふむ」
鴉は坊を馬から降ろすと、まずは態勢を整える。それまでは鴉が先頭に立ち、丙寅・灰掛が三角形を作るワントップ。これからは鴉・灰掛が先に立ち、丙寅が後方につく前方重視隊列だ。坊はいっつもその真ん中後方よりにいる。テレスは入れない。
「奇妙だ。竜族かどうかも怪しい。テレス、なぜコルペニアは竜族だと断定したか分かるか?」
「コルペニア殿も大変訝しんでおられました。しかしこうも言われました。竜族と懇意にする異種族はいないと。あの、どのあたりが竜族と乖離しているのでしょうか?よろしければ、お教えください」
坊はもっと分かっていないので、テレスのことを後押しした。
「俺もぜんっぜん分からなかった。竜族って、他の種族と仲良くなれないの?なんで?」
坊の疑問にいち早く答えるのは、言うまでもなく鴉だ。
「竜族は縁故の強い種族として有名なんだ。竜頭は仲間をおびき寄せるための苦肉の策。しかし、裏を返せば、選民意識の強さと同義。仲間の絆とは、他を除外するための効率的システムだ。その上、能力値が段違いときた。下等生物を見下すのは、人も同じこと」
そんなことないよ、と反論する気力もなく、坊は悲しみに打ちひしがれた。
またしょぼくれそうな坊を抱き上げ、丙寅が言葉を繋げる。
「それにな、竜族は自然を壊すようなマネはしねえんだ。人に信仰心があるみてえに、奴らは巨木信仰をしてるって噂がある。火属性を嫌う理由が、火はどんなちっぽけな生物が扱おうが、広大な土地を焼失させる威力を秘めているからだって学者が言ってたぜ。最終手段で、竜の潜む森林に火を放つことがあるが、ここはそれ以上だ。王竜がそんなこと許すはずがねえ」
「ぼくが一番気になったのは、コルホールに竜頭が無かったことかな。テレスが言ったとこだけじゃなく、街全体を探したのにね。これって蘇生されて連れ帰られてるよね?まあ蘇生と言っても、本当に甦るわけじゃないから、今頃荒れてるんでしょ。それで土地を見捨てて、よそ行くつもりだったとか?知らないけど」
三人の言葉を聞き、テレスが驚いたように声をあげた。
「竜頭が無かったのですか?長命竜一頭、飛竜三頭が一昨日まであったはずですが。も、もしやスターナー司令が持って行かれたのでしょうか?無謀な人なので、なきにしもあらず」
テレスが肩を下げるのと同時に、鴉と丙寅は、これで合点がいったと唸った。
「なるほど、竜頭を認識した竜が今このときに検知術式を広げたという訳か。後方から竜が飛来しようものなら、術式を視認できなくとも王竜確定だ」
「普通に仲間殺した人間追っかけて来りゃあいいのに、随分のんびりとした竜だぜ。こりゃ新型だ、間違いない。ぶっとんでんの覚悟しなきゃな」
「うわぁお」
灰掛が坊の頭上を飛び越えた先を見て、演劇じみた驚きっぷりを披露した。
声に乗せられ、坊も振り返った。
「ん?」
よく分からなかったが、何かがこちらに来ている。竜ではない、もっと地を這う生物だ。それも一つ二つの騒ぎではない。
「坊くん、あれ人間だよ。ほら来るときに打ち捨てられてた」
よく見ると、ボロ切れをまとう人々が大群で押し寄せていた。坊はいつ見たか思い出せなかったが、コルホールの人たちだということは、何んとなく察した。
「これって、王竜確定?」
眉を顰めた鴉は、「確定しよう」と言って、唇を引き締めた。