到着
怒涛に流れていた景色が緩やかになった。馬車の振動も微々たる程度だ。もうじきコルホールに着くのだろう。景色の過ぎさる速度から導き出した目算と照らし合わせても、丁度の頃合だ。
丙寅が坊を揺り起こそうとしていたので、鴉は唇に人差し指を当ててそれを止める。
『起こすな、丙寅はここで待機だ』
声を出さず、イヤーカフを通して伝える。丙寅は静かに頷いた。
馬車はブレーキをかけたように減速が強まり、坊は自然と目を醒ました。丙寅を見上げ、馬車内を見回し、窓の外に視線を送る。アッと小さな悲鳴が漏れた。
若葉のような瑞々しい草原の中に、ボロ切れの塊がいくつも点在している。なんとも言い難い異臭も漂っていた。
誰もあれが何なのか言うことができなかった。腐肉はとうに乾き、骨にへばりつき、原形をとどめない。何も知らない坊に、うず高く積まれた死体だなどと、わざわざ伝える必要もない。
馬車は崩れた城門をくぐる。
コルホールの地へ足を降ろすと、また別の悪臭が紛れ込んだ。
「変な匂いだね。何だろう?」
坊が恐る恐る問う。問われると答えぬわけにもいかない。
「直近に大型の生物が解体されたんだろう。血の生臭い匂いと、内臓の腐臭だ」
ナルダから竜に壊滅させられたと聞いていたが、どうも街の様子がおかしい。
焼け崩れている建物が多々見受けられるが、そのどれもが上空から破壊されたようには感じられない。燃えカスが上からの衝撃ではなく、ただ燃やされ朽ちただけの状態だ。しかも、焼死体が放置されている。ご丁寧に、見せしめのように首を切断されて。
「わあ……、逆に生きてる人いるのかな?」
「先行隊がいるはずだ。住民は絶望的かもしれないな」
御者が先導を申し出、案内された先は教会だった。アデールと同じように街の中心部に建つ、大規模な石レンガ造り。
悪臭は教会内部から漏れているようで、匂いがきつくなる。坊が吐き気を催してしまった。
「俺が向かう、お前たちはここで待っていろ」
鴉は一人で教会へ入っていった。
石の階段を数段上がり、木の扉を開くと、建付けが悪いのか軋んだ音が鈍く立つ。
悪意の塊のような生暖かく不快な空気が、頬を撫でた。
多くを逃さないよう、隙間に滑り込み、素早く扉を閉め切る。
中央正面には木製の十字架に祭壇、側部には縦細い窓が所狭しと並んでいる。
教会の内部なのだからそこは聖堂と呼ぶべきなのだろう。ただし、破壊の限りを尽くした残骸に、おびただしい肉片と血濡れた床が無ければ、の話だが。
ロウソクが柱に灯されている。心もとない灯りは、祭壇に腰掛ける男の憎々し気な形相を映し出していた。今にも襲い掛かる気概の眼は、鴉を見据えている。
「よお」
その脅しのようなドスの効いた声にも関わらず、鴉は内部に進み出た。
「現状の報告を」
「ねえよ、そんなもん」
男は鴉を値踏みするように見ていた。
「ならば、今後の作戦を」
「明日、昼に出発だ。ビビッて遅れんなよ」
「明日の正午に、確と」
鴉は歩みを止めない。ぬるりとした床を踏み渡る。
「お前さん、お綺麗な面してんな。俺んとこ来いよ。今晩なんて待たなくていい、今すぐ」
「断る」
脇に倒れていた人間の息を確認し、鴉はそれを担いで扉にきびすを返した。もうここには用がない。
「面白れえ、肝の据わった人形か?いや、人形に臓腑なんてねえか、ハハハハハ」
滞在時間は二分。ナルダに頼まれたことを、坊が聞いていなかったら、ここまで長居していなかっただろう。
鴉が教会から出てくると、坊は心配そうに眺めていた目をはっと広げた。血痕おびただしい何かを抱えてきたことに、驚いているようだ。
「今夜は街の外で野宿する。場所を探そう」
鴉は多くを語らなかった。
〇 〇 〇 〇
テレスが目を醒ました時、夜空には満天の星々がゆっくりと瞬いていた。
遠い遠いお空の星よ
きらきらひかる夜空の星よ
あなたが還る、故郷の星よ
職員となる前は、同期で夜空を見上げては、どの星に配置されるのか、どのような貢献ができるのかと希望に溢れた討論を重ねていたものだ。新星・中途惑星・老星・終星。始まりがあれば、終わりも来る。テレスは新星の自衛自治圏を統括する職員となった。新星は増え続ける惑星だ。人の入植が可能か否か。他星の領空侵犯をしていないか。隣り合う星との境界線はどこか。
惑星はその星単体を見ていればいいわけでもない。もっと大きな集団で動いている。星喰らいがいる。星砕きがいる。星産みがある。短命だってありえる。
その中でも、新星アテルは生まれて間もない星だ。人の入植も始まって五十年を越えたばかり。農耕地に手が届き、ようやく基礎が整い始めたところなのに。
焚火のパチパチという、木が爆ぜる音がする。人が話す声もする。こんなに楽し気な談笑はいつぶりだろうか。きっとまだ記憶の中にいるのだろう。アテルで大事件が起こってからは、誰も笑う余裕がなくなっていたのだから、おそらくそうだ。
「あっ気が付いた?大丈夫?」
全身白い少女が、顔を覗き込んできた。記憶にない顔だ。あどけない話し方に、丸みを帯びた頬。満月のような、大きな金色の光が双眸に灯っている。
「あ!はい」
瞬時に立場を思い出した。コルホールに来る輩は、対魔戦闘員しかいない。そして己は、しがない変えの利く名もなき一職員。
「良かった。テレスさんでしょ?初めまして、あのね、俺は坊だよ?」
「すみません、このような状態で。ボウ殿、失礼いたしました」
テレスは急いで身体を起こし、坊に深く頭を下げて土下座した。あまり長々と謝罪をしないのは、テレス如きの言葉は汚言として忌み嫌われているからだ。相手が望むよう行動しなくてはならない。絶対優位。現実を知った最初の通過儀礼だった。
「坊は、お前はテレスかと聞いている。返事は?」
「はい、名前はテレスです。しかし、お呼びの際はおいやそこのと申しつけ頂けば、馳せ参じます故」
テレスは頭を下げ続けた。同僚に教わった土下座のやり方だ。兵科の連中は頭が高いと頭を踏みつけてくる輩が多い。頭を上げようものなら、ボールのように蹴られ、胴体と離される可能性が出てくる。そうならないよう、下げ続けるしかないのだ。そして、鼻を守ることも忘れずに。
「ねえ頭を上げないのって、俺のせい?」
「いや、そうではない。坊、気にするな」
「そういや、文民ってあまり目を合わせないよね。彼らも和人なのかな?」
「和人を自爆させようものなら、軍法会議にかける間もなく総合試用所にぶち込まれるぞ。オレがやらかした時、近くにいたあほそうな奴に全部オッかぶってもらったことあんだが、そいつはどこまで機械化できるかで、脳まで部品詰められてたぜ。んでもって、そこの職員に、次は見逃しませんよって。うっわ、身震いしちまった」
「まっさかあ!そんな倫理違反誰が認めるの?」
「坊、倫理違反委員会はどこまで機能していると思う?なぜ、テレスは傷だらけで弱っているのだと思う?なぜこの街の住人は誰一人コルホールから逃げ出せなかったと思う?」
「兵科は文民を虐げても不問とされる。さすがに殺害は看過してくれない場合もあるけどね。それほどの働きを兵科は要求されてるんだよ。そしてぼくたちが仕事を完遂すればするほど、こういった不遇な子が出てくるわけ」
「文民も鍛えたらいいだけだろう?あ……無理かあ~」
パン!と坊は手を叩いた。
「無くしていこう!テレスさん、とりあえずここでは頭下げないで」
「はい、ただ今」
テレスが顔を上げると、ちろりと鼻血が垂れてきた。