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絶対服従令  作者: ララ
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コルホールへ

 丙寅の腕の中で、坊がスヤスヤと寝息を立てている。今頃悲嘆の海を、心もとない小舟で彷徨(さまよ)っているのだろう。その閉じられた瞳から、また雫がほろりと垂れてきた。

 正面には辛気臭いツラの男が二人。

 馬車の中に癒しはないので、丙寅は窓の外に求めた。どこまでも続く草原が、幌馬車の比ではないほど素早く通り過ぎている。

 正直、馬車を乗り換えたのは良い判断だ。人や最低限の荷しか載せていないくせに、たかだか百キロメートルの距離に三日はありえない。とんだ見掛け倒しの馬車だった。もう馬車とは名乗れないので、これ以上はよしておこう。


 坊がグスン、と鼻をすする。鴉は依然として坊を見つめたままだ。

 話は終わっていないのに、続けることもできないこの空気。

 ――どうして、こんなことに。

 丙寅はデカイため息を、これ見よがしに吐き出した。



 坊に元気があったのは、今は四頭立てとなったこの馬車にたどり着く前までの話だ。 

 それまでは、頭頂から真っ二つに割られた人間のケガ!?を心配していたり、挨拶代わりに光波斬撃を喰らわしてきたヤツの連れと仲良く相乗りしようとしたり、意味の分からんことを割と平然にやってのけた。それも生物の死という、坊がとにかく祈りたがるアクシデントが関わっているのにだ。理解が追い付かない。

 常人の感性が全く抜けている坊は、まず彼の中で同乗予定となっていた相手に、疑念が湧いたようだ。

 黒の軍服に身を包む恰幅(かっぷく)の良い男が三人と、薄着でグラマラスな女が二人。もちろん、ケガ人などいない。そりゃそうだ。丙寅が叩っ切ってすぐ蹴落とし、ケガ人とやらは、今頃草っぱらのどこかに転がっているのだから。


 それをあろうことか、鴉が「救助信号を出しておいた」と言った。

 耳を疑った。救助?何を?

 そして灰掛が続く。


「坊くん、これで安心だね」


 丙寅も何か言えという雰囲気になった。


「あ、ああ、回収の話か」


 どうやら死を(いた)み過ぎる坊の為に、死体回収を遠回しに言っていたようだ。灰掛と鴉は、最初から辻褄(つじつま)を合わせているようで、憎らしい限り。


 一言もないままに、坊がふらっと一番近い丙寅に寄ってきた。指先で軽く触れるような、やんわりとしたタッチで、丙寅の袖をつまんでいる。

 この時点で、彼は既に悲しんでいたように思う。



 それからの坊は、丙寅から離れようとしなかった。だだっ広い馬車内にも関わらず、丙寅の膝上を好んで座っている。


「俺ね、初めて見たんだ……」


 坊の視線は下がったままだ。アイコンタクトを放棄しているのは、丙寅が人を殺したからなのかもしれない。


「あ?何を?」


 合いの手を差し込むと、坊は更に身を寄せてきて、頭を丙寅の胸元に当てた。


「全部だよ。竜はもう絶滅した太古の生物かと思ってた。口論だって、そう。訓戒のためのおとぎ話だとばかり。それにね、生物が死ぬところも初めて見た。あんなに大きな物が壊れるところも。死は穏やかなものだって、聞いていたから。なんて言うんだろ、これが現実なんだよね?俺、地獄に()ちたわけじゃないよね?」


 今度は丙寅が狼狽(うろた)える番だった。この子どもは、常識がないにも程がある。

 死や悪意からあまりにも遠ざけすぎた弊害で、彼からすると、さぞかしこの現実(せかい)は地獄その物に映るだろう。


「コルホールに着けば、死体は山積みだろうよ。先に軽く見ておいて良かったな」


 ダメージの少ないものから順次慣れさせるというのは、理にかなっている。

 が、それはあくまで耐えられる許容範囲での話であって、せめて段階を踏ませてやらなければ、最悪潰れてしまう。


「なんだか一気に空気が淀んじゃったねえ。まあ仕方ないよ。あちらさんの宣戦布告を受けないとつけあがるし、受けたら受けたでこうなるだろうし、時間の問題ってやつだね」


 だれた顔つきで、灰掛は腕を組んで目を伏せた。退屈すぎて寝る気でいるらしい。


「坊、ここは地獄ではない。閻魔大王も居なければ、鬼も亡者も居ない。だが先刻のように、人が人を一方的に裁き、叩きのめす世界だ。強き者が勝利を掲げ、弱き者が雌伏する。それが自然の摂理。この世の(くつがえ)ざる根幹だ」


 相変わらず何を考えているのか分からないツラで、鴉が坊に話しかけていた。


 鬼は架空の生物に違いないが、その創造は現実より派生したものだ。骨格は人で、怒りの形相を持ち、上からの指令を忠実にこなす従僕。地獄もまたしかり。事実としてこの世に既にある事柄から、不幸と極悪を抽出したに過ぎない。

 ともすれば、地獄とはこの世界の側面であろうか。


 丙寅は坊の肩を抱く。何を言えばいいのか分からない。後はこの子どもが一人で乗り越えるしかないのだから、踏み込みようがない。


「うん。ここは地獄じゃないんだね。よかった」


 ――よかった?……ま、彼がそういうのなら……、いや、それでいいのか?

 やはり和人は独特の思考回路を持っていると言わざるを得ない。


「話は変わるが、来る前に満場一致で王竜はいないという結論に至ったから坊を連れてきた訳だが、いたらどうするんだ?ありゃ倒せないぜ」

「いないでしょ。姿が見えないなんて子供だましの報告よく通ったよね。装備が貧弱で脳内いじくられてたんじゃないの?それより、ぼくは鴉の言っていた長命竜の複合体の話が聞きたいな」


 鴉は話をする二人ではなく、坊をじっと見つめたままだ。


「以前の討伐時、雌雄が描く混成式を見た。色の混じる術式だ。先行隊はそれを王竜の術式(もの)と誤認したのだろうと思ったが、灰掛の言う通り、あの装備では脆弱性を()かれかねない。案外、幼稚な理由も考えられるな」

「ねえねえねえ、もし王竜だったら倒さなくていいってこと?」


 坊が話すと、流れが阻害された気分になる。丙寅は舌打ちした。


「丙寅二度とするな」


 ワントーン低く落ちた声に、視線の刺さっている坊の身体がびくりと跳ねる。これでは丙寅を制しているようで、坊に最も被害が行く。


「それから坊、それは非常に難しい質問だ」


 鴉は坊の様子に気づいていないように話し続ける。


「仮に王竜と確定したとしよう。通常であれば、この時点で交渉に入る。しかし今作戦では姿がなく、その上、彼らの領域(テリトリー)は有無を言わさず壊滅させられている。果たして交渉の余地はあるのだろうか?できたとして、我らに都合の良い返答があるのだろうか?と考えていくと、最終判断は否応なく、絶滅戦の完遂となるだろう」


 ここまで鴉に大きく迂回するような話し方をされると、丙寅は吹き出しそうになる。今日は驚かされてばかりだった。竜頭が野外に放置されていた件にしても、あれでは飢えた王竜に餌をまいているようなもの。

 竜族は縁故の強い種族だ。王竜が仲間たちを必ず取り戻しに来る。


「王竜討伐なら、有史以来初めての快挙じゃない?」

「できたらな!ハハッ、まっ、いねえって。ハハハ」


 せっかく気分よく笑っているというのに、そこにまたしても坊の横やりが入る。


「どっちみち、いま居座ってる竜は死んじゃうんだね」


 彼は大勢の人間が殺されても、竜に肩入れする気のようだ。ここまでおおっぴらに公言されると、いっそ清々(すがすが)しい。


「坊、できる限り、お前の意に添うよう努めよう」


 坊の顔は見る見るうちに涙にぬれ、泣き疲れた後に寝入ってしまった。

 結局、鴉はそれ以降の会話を認めず、話は打ち切られた。

 ――まだ先行隊に訊くべき優先順位、転がっていた竜頭の推察についての討議もしていないのに。


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