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1 詰んでしまった俺の人生

初めまして、こんにちは、こんばんは

なろう投稿二作品目となります

不定期更新なので期待せずお待ちください

こちらも完結出来るように頑張っていきます

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1 詰んでしまった俺の人生


 誰かが掴んでいるのかと思えるくらい足が重い。 手摺を掴み何とか難関の階段を登っている俺は自分の足元を見ながら呪い節を吐き捨てる。 

「クソ、くそ、糞ーっ! 足元見て嫌がらせしやがって! 蹴ったクソわりぃーし、頭いてーし、ふざけんじゃねぇーぞぉー!」

最後は大声で叫んでいたが周りに人の影が見えないのを知っているから気にする事もない。 終電もだいぶ前に通過して横の柵内の線路は闇に包まれアパートへの難関である線路を渡る歩道橋は深夜の利用者は居ない。 自信はあった。 憧れだった東京で自分の埋もれた才能を開花させ金を稼いでいい暮らしをする。 自信はあったんだ。 地方の経理専門学校で情報処理課をそこそこの成績で卒業し、東京の三流商社に就職した。 だが、同期の全員が一年更新の期間契約社員だった。 それはいい、それは。 期間満了時はほぼ無条件に期間採用継続か正社員登用制度を使い正社員になるか、期間社員に選択権があって選べると採用面接の担当が話していた。 その言葉に嘘は無い。 嘘は無いのだが、正確ではなかった。 入社して割り振られた各プロジェクトへの貢献度、会社へ利益をどれだけ誘導したかの評価で、雇用継続も社員への道も会社側が用意するのだ。 これまで3回正社員への道は提示されず期間契約で継続した。 4年目になった今年社内では中堅社員がこなす仕事を担当、次こそは正社員の辞令にサインしてやると意気込んで受けた半年手がけたプロジェクト。 順調だった。 そう、今日の昼まではすこぶる順調だったのだ。 何とか歩道橋の上まで体を運んでくれた両腿を拳で叩き曲がっていた腰を伸ばすと、離れた間隔の照明が歩道を4箇所闇の線路から浮き上がらせているのが視界に入ってきた。 渡り切った先の下り階段を照らす4つ目の照明がチカチカ点滅している。 来月の上長面談で継続雇用無しの期間満了宣言を予兆しているかに見えて飲み過ぎで痛む頭に怒りが込み上げてくる。 この会社の決算月である来月末が俺の4回目になる期間契約満了月だ。 同期入社の五人中二人はもう正社員となって地方の支店へ役職付きで移動して、期間社員仲間だった他の二人はとっくの昔に辞めていった。 本人の都合で正社員を辞退している先輩期間社員は数人いるが、社員登用希望の勤続3年生は俺だけで陰口で聞こえてくるあだ名は“ハズ玉”。 剥いても剥いても芯が無く、土に埋めても目が出ない玉ねぎ、『ハズレの玉ねぎ』なのだそうだ。 俺の苗字が“奥田間“なので子供の頃から色々とタマが付くあだ名で呼ばれた記憶もあったが、陰口のあだ名が耳に聞こえてきた事はなかったので知った時はかなりショックを受けた。 “ハズ玉“それを払拭し正社員になるつもりだった。 芽が出て花が咲き実が成るところだったのだ。 あの犬さえ居なかったら。 あの女があのクソ犬を連れて来さえしなかったら。 俺のプロジェクトが破綻する事はなかったのだ。 


 遡ること12時間、大手電機メーカーの応接室にて俺は抱えたプロジェクトの最終の詰めの打ち合わせをしていた。

「こちらのデザイン画を布に落とし込むのは相当苦労しましたよ会長」

俺は新しいファッションブランドを構想するプロジェクトに一枚噛むことに成功していた。 俺の仕事は新規事業を興す眼前の会長お抱えデザイナーの描いた洋服の柄を、イメージ通りの布に仕上げる工房を探し仲介する事。 うちの会社と取引のある繊維工場をいくつか回り、クライアントに試作品を提出するのだ。 これまで何度かダメ出しと追加の要望を得て煮詰めてきた案件だった。

「手触りも滑らかで申し分がなくなったね、いい仕上がりの布だよ奥田間くん、君ならやってくれると思ってたよ」

「ありがとうございます会長。 工房に無理をしてもらった甲斐があります」

大手電機メーカーが手掛けるブランドなので販路は膨大で採用契約できれば、我が社三流商社の売り上げは莫大なものになる。 これはワンマン会長の肝入りで始まったプロジェクトで、会社経営の最前線から退いたとは言え、今の言葉でほぼほぼ決まりだろう。 得れる我が社の仲介マージンを脳内の電卓で弾き心の中でガッツポーズをした。 短めの白髪をポンポンと掌で叩く70半ばの会長の笑みも本心からのものに見える。

「当初の値段より幾分か安くしてくれたのか? 納品時の品質が下がったりはしないだろうね奥田間くん」

「もちろんですとも! 御社から頂いた初期ロットが大きかったので、今後の発注も考えて工房には少し利益を圧縮してもらうように交渉しましたから。 工房を赤字にさせて品質を落とさせたくないと会長もおっしゃってましたから、双方の利益を最大限考慮した価格を今回は設定させてもらいました。 ウィン・ウィンってやつです」

俺はここで会長を持ち上げてやる。 ここの電機メーカーのモットーは『製品で 全ての人を 勝利者に!』である。 製造する会社、運搬する会社、販売する会社そしてエンドユーザー、みんながこの電気メーカーの製品に納得し得した気分で勝利者になる事を目指す。 この応接室にも額縁入りで飾られているモットー。

「勝者は二つだけかね? 君んところも勝ち取ったのじゃ無いかね? ウィンはもう一つ追加じゃな、わっはっはっはっはっ!」

「はっはっはっはー」

付き合って俺も笑い声を出しておく。 二人の笑い声が響く応接室のドアがノックもなしに開いた。 入って来たのはポッチャリを越した体格の20代後半の女性と黒くて丸っこい小型犬だった。 体を締め付ける制服がミシミシ音を発するのを気にした風もなく、ドカドカ絨毯を踏み締め会長の隣に無言で腰掛け、付いてきたリード無しの犬が彼女のボリュームのある膝に飛び乗った。

「お祖父様、プロジェクト『ゲリゾン』の統括は私なんですから勝手に契約とか話を進めちゃタメなんですからね!」

「進めたりはしとらんぞ優美、来るのをまっとんたんじゃ。 なぁ、奥田間くん?」

「その通りです統括。 ぜひこちらの布と見積書をご確認ください」

この場に遅刻した孫娘を溺愛するばっかりに秘書室に入れたはいいが、学歴の割には仕事ができず持て余され秘書課の連中からハブられた結果、会長ににねだって新規事業の責任者に任命させたのだ。 厄介払い先になったプロジェクト『ゲリゾン』(フランス語で癒し)の彼女の部下はそこそこ有能な人材を集めていて事業計画は堅実なものを採用していた。 フランス留学経験でデザイナーを自称する優美のラフなデザイン画を、有能な部下がイメージだけ残る形で修正して製品化する。 そこに昔契約社員の同僚だった山田が配属になって馴染みのあった俺に部材外注先として声が掛かったのだ。 責任者はどうあれ部下がしっかりしていれば簡単には失敗しない。 何せバックボーンが極太なのだから。 だらしなく開いた口から舌を垂らし、背中を小刻みに揺らしながら呼吸をする黒い肉塊を撫でながら、片手で試作の布を手に取り撫で回し、数枚の見積書に目を通す。

「お祖父様、ここの金額高くありません? それにこっちも!」

「どれどれ?」

孫娘から書類を受け取り太い人差し指で刺された項目を会長は見る。 俺と二人の間にあるテーブルに置かれた書類が反転され二ヶ所を会長は指差した。

「下地工程の金額とF裁断の金額ですね。 まずは下地ですが、今回のデザインの肝は下地の薄紫の艶にあります。 その色は気温の低い時期に染めと冷清水の洗いを3回行う工程で染め職人だけが出せる特別な艶と色合いで通常はかなり高価な染め物になります。 その上に載るプリントもその下地があってこそ映えるので欠かせないものなのです。 日本の伝統継承職人を守る観点からもそこの価格を下げず、以降の工程でかなり勉強しています。 反物納品価格としては他社と比べてお安くしている自身はあります。 それと裁断ですが、そちらは最初の各サイズを手作業で数着分行うもので、生産総数は少なくなっております。 そちらの縫製確認後機械による本裁断総数はこちらになりますので」

俺の話中会長は理解しているのか何回か頷いていたが、元から膨れていたのか不機嫌が顔に出て膨れたのか判断つかない顔で孫娘の優美は何度か首を傾げていた。

「基礎技術、基礎研究。 どちらも会社の宝だ。 機械科で次々できる製品の前に、うちの技術者も試行錯誤しているのだ優美よ、直接売上に繋がらない宝こそ宝と思った方がよいぞ。 その値段が気になる染め工程の職人も『ゲリゾン』のそしてお前の宝と思い、お前が価値を上乗せし良い商品をお客に提供してやればと思うぞ」

孫娘はまだ言いたい事がありそうに唇だけゴニョゴニョ動かしていたが、肉玉を乱暴に降ろして立ち上がり俺を見下したように見て呟く。

「お祖父様が文句無いみたいだからこの契約書にはハンコ押すように経理に連絡しておくわ。 あんたあれよね、確か専校卒の3流商社の奥・・・、オク・・・」

「株式会社 海園商会の奥田間です」

「そうそう、奥田間。 とりあえずうちの仕入れ担当の勧めだったから、今までの窓口はあんたにしてたけど、この契約の後担当は変えてもらうから。 三流商社は最初から期待はしていなかったけど、あんたのその田舎臭い喋り方、セレブターゲットで売り出す『ゲリゾン』に合わないから、せめて6大学卒の営業マンにしてくれって連絡しておいたから」

「・・・」

「何言ってるんだ優美! 彼は真摯に・・・」

「お祖父様! 私は失敗したくないの! みんなに馬鹿にされたくないの! 会社にお祖父様に認められたいの!」

会長は閉口してしまう。 膝の上で拳を握る俺の代わりに孫娘を諭そうとしたが、癇癪気味に張り上げる声に押し負けた。 そして俺の顔をすまなそうに見て片手で拝んで許しを乞う仕草をする。 ブランド立ち上げの期日は迫っている。 主力商品のブラウスやジャケットの納品期日はギリギリだ。 

ここで俺が担当の任でゴネて今日の契約が流れれば多方面へ損害が及ぶ。 直接の窓口から外されてもこの女と会わないで済む交渉には参加できる可能性がある。 会長にここで恩を売って別の部材仕入れ業務を回してくれる交渉もできるかもしれない。 俺は血が上った頭でこの場が丸く収まる方法を考え、頭を下げた。

「今後とも海園商会と後任をよろしくお願いします」

「分かればいいのよ、分かれば。 さっ、次の面会予約があるから書類持って経理部に行きなさい!」

血圧が上がったのか視界が狭くボヤけている。 平常心の営業スマイルが保れていれてるだろうか? 大事な契約書などをアタッシュケースに入れて席を立つ。 大卒じゃ無いし田舎の出身、言葉は節々に訛りは出ていただろう事は自覚している。 あの女の言うことは事実だが、それで俺が温めてきた担当から外されるのは妥当性があるのか? 孫娘の優美は退出を催促するように自ら動いて応接室のドアを開け顎先で廊下を指している。 契約は、そう海園にとっての大口となる契約は今回俺が取れるのだ。 今後の事は会社に戻ってから仲間と相談すればいいのだ。 まだ完全に負けてはいない、はずだ。 顔を上げれず出口に向かった俺の歪む視界に何か映った気がしたが、早くこの場を後にしないと大声を張り上げそうで、気がかりには構わず足を出口に向かって進めた。 そこに違和感が革靴の下から伝わってくる。 突如訪れた浮遊感。 体制が崩れて転びそうになっている自分に気付き、腕を振ってバランスを取ろうとして失敗し短毛の絨毯の上にうつ伏せに転倒してしまった。

「ギャァー! 痛いー! このぉーかっぺー、何してくれてんのぉー」

「優美大丈夫か? 血、鼻血が出てるぞ! おい、奥田間くん何をしてくれたんだ、うちの大事な孫娘に!」

俺は痛む胸を腕で庇いながら状況を把握しようと顔を上げた。 ドアの横に立っていたはずの優美がしゃがみ込み、顔を両手で覆った隙間から赤いいくつかの筋が垂れている。 会長は彼女が倒れないように肩を抱いている。 その横にさっきまで俺が手にしていたアタッシュケースが転がっていた。 しっかり前を見ていなかった俺が何かに躓きバランスを崩して転んだ。 その拍子で手にしていたアタッシュケースが彼女の顔面に激突したのだと思った。 急いで起き上がり二人の前に土下座する。

「申し訳ありません、わざとではありません。 どうか、どうか許してください」

「プロジェクトから私が外したからって、こんな事していいと思ってんの! 女の子の顔傷物にしてタダで済むと思ってんの! 絶対あんたを許さないんだから! 一生呪ってやるぅー!」

自分の手に付いた血を見て更に声を荒げて叫び続ける優美。 俺は謝罪の言葉と正式な土下座をなん度も繰り返した。 俺を攻めるキンキン声が次第に収まり、視界の端に救急箱を手にした秘書室の社員の姿が現れ手当が始まった。 その間も俺は絨毯に額をつけた姿勢を続けた。

「奥田間くん、もういいから頭を上げなさい。 さぁー」

「お許しをもらえるまで顔を上げる事はできません」

会長の言葉はさっき俺を叱責した語威から比べるとかなり柔らかいものになっていた。

「そのままでは話はできないし、うちの社員たちが絨毯の清掃もできない」

「しかし会長! 私は、私はとんでもない罪を犯してしまいました。 大切なお孫さんの、大切なお顔を傷つけてしまいました。 償いはなんでもしますので、お許しください・・・」

「その気持ちは分かったから、とりあえず清掃するからそこから退きなさい」

数秒黙し折っていた背中をゆっくり起こした。 そして彼女を手当に来た社員、異変に気付き集まって来た野次馬社員の忌避な視線に晒される。 孫娘が俺に向ける汚物を見るかの冷たい視線と似ている。 男性社員二人で俺を立たせ壁際へ移動させてくれた。 そして俺の土下座していた場所を水色の掃除婦姿にゴム手袋をはめたおばちゃんが慣れた手つきで絨毯を清掃し始めた。 鼻血を流した優美の血を掃除しているのでは無い、俺の倒れていた場所だ。 そして掃除のおばちゃんは俺の足元へ絨毯を拭きながらと近寄ってくる。 それを目で追っていた俺は茶色の革靴に焦げ茶色の汚れが付いていることに気がついた。 そして自分のワイシャツも同じ色で汚れているのが視界に入る。 何気に手で胸の汚れを撫でるとねばつく感触と鼻をつく異臭。 少し酸っぱさが喉の奥に残る臭い。 疑う事なきう⚪︎この匂いだ。 鼻の前に置いた粘着物質がついた自分の手を遠ざけ「くさい!」と呟く。

「災難だったねお客さん。 あのワンコ所構わずでさぁー」

俺にだけ聞こえる声で呟くおばちゃん。 俺の汚れた手を綺麗なタオルで拭き上げ除菌スプレーを吹き付ける。

「会長さんお客さんの汚れたワイシャツは捨てて新品渡しとくよ?」

会長の返答を待たずにあれよあれよで上半身が下着姿になって、いつ準備したのか新品のワイシャツを着せられる。 元同僚の山田がドアの周りをウロチョロし、俺のアタッシュケースを眼前で隅々まで調べていた。

「会長、奥田間は・・・」

「皆まで言わんでも分かっとるよ山田くん」

会長の脇にしゃがみ込み言葉をかけた山田を手のひらで静止して、優美を促し一緒に立ち上がる。 優美は鼻からの出血は止まったようで大きなガーゼで鼻全体を覆っていてケガの状態は俺には分からなかった。

「優美はとりあえずすぐに病院へ行って、精密検査を受けて結果を早急に私に報告しなさい。 後の事は私に任せて暫く休むといい」

「お祖父様警察呼んで! すぐに呼んで! こいつを訴えてやるんだから!」

「いいから、早く病院へ行きなさい!」

厳しい表情と強い言葉に優美は怯み今まで以上の蔑む視線を俺に向かって向けてくる。

「本当に訴えてやるんだから!」

その言葉を残し部屋を出ていった。 俺は会長に促されさっきまで面談で座っていたソファーに縮まった肩をさらに丸めて会長の言葉を待つ。 室内には統括不在の名代かなのか山田は会長の脇に立っている。 優美の座っていたソファーには傷害事件に発展するかもしれない原因を作った犯人?の黒い肉塊が肩で息をしながらだらしなく座っている。 時々口の端が目尻の方まで持ち上がり笑っているようにみえる。 確か犬種はフレンチブルドック? だったかな? 飼い主に従順で躾がしやすい人気のある犬種だったはず。 そんな事を考えていると会長が重そうに口を開いた。

「奥田間くん、なんと言ったらいいのか、すまんかったな、わしも取り乱して大きな声を出してしまった」

「何を言ってるんですか会長。 お孫さんに怪我をさせたのは私です、事件として立件されても構いませんし、慰謝料でも何でも気の済むように私を罰して下さい。 誠心誠意持って償いたいと思います」

頭を下げてテーブルに額を擦りながら本心からの思いを言葉にした。

「優美の怪我は大した事は無さそうだ。 医療の心得のある秘書の娘が腫れは2、3日で治るそうだし、腎臓の持病でしょっ中鼻血を流しているから鼻の中の血管の傷が軽い衝撃で破れたのだろ。 勿論精密検査の結果待ちではあるが、大事にはならんと思うしこの件を大きくするつもりもわしには無い」

会長が小さく俺に向かって頭を下げた。

「しかし会長! 私に非が何もないわけではありません。 原因はこちらにあります」

「いや、孫娘の社会人として不適切なあの言い分に対して、冷静に対応してくれた奥田間くんには申し訳ないと思う。 それに奥田間くんが転んだ原因はこのジョージのう⚪︎こが原因。 この犬の躾を怠ったのは優美の責任、そして優美を甘やかして育てたわしの責任だ」

会長は隣に座ったままの黒い肉塊の頭をポンポンと叩いた。 笑った犬は会長の手を舐める。 俺は何を話せば正解なのか思考を巡らせたが答えは出てこない。

「性格はー、良くはないかもしれないが、本当は優しい子なんじゃ。 今回のプロジェクトを自分の力で成功させれれば社会人として成長してくれると信じてるんじゃ」

語尾は弱くなり年相応の老いを俺は会長に感じた。 長くは無いこの先の人生を悟った老人に残された希望の光が、問題多い孫娘なのだろう。 それを察する事は俺にもできるが、俺個人の人生の分岐点は来月に迫っている。 俺の思考はとっ散らかったままで、いつもならスルスル出てくるリカバーの営業トークも口を滑らない。

「そこで、ジョージのう⚪︎こから始まった一件無かったことにして、今回のプロジェクトをさっきの話のまま進めたいのじゃがどうだろうか?」

会長の隣に立つ山田が胸の前で手を合わせ俺を拝んでいる。 会社員として担当するプロジェクトが頓挫するなど在籍中に付き纏う無能の烙印をタイムカードのインデックスに押すようなもの。 全力で回避したい気持ちが痛いほど伝わって来た。 勿論、俺もその気持ちが大きい。 この契約以後担当から外されても俺は正社員の道が開け昇進可能なプロジェクトは今後いくつも訪れるだろう。 人を見る目を養う良い機会と思えば、これを肥やしに俺はもっと成長できると思えた。

「会長のお話しお受けします。 『ゲリゾン』を成功させるように私は今後我が社の裏方で助力するようにします」

「そうか、そうか。 山田くん君が話してた通り奥田間くんは会社思いの熱血漢だよ。 今回からは海園商会と良い取引ができそうだ」

「こちらこそ今後とも海園を宜しくお願いします」

山田は俺に小さくガッツポーズをして見せた。 会長は上機嫌にジョージの頭を叩く。

「それでは奥田間くん経理に寄ってさっきの契約書を経理部長に確認してもらって押印していくといい、これから連絡しておくから」

「はい、ありがとうございます。 それでは失礼させて頂きます」

俺は立ち上がり出口に向かう扉の前で向き直り会長に向かって深くお辞儀をして色々あった応接室を退出した。


 大成功が規模を小さくして何とか成功の枠内に収まったと思いながら会社へ戻った。 複雑な思いはあったが晴々とした気持ちで大事な契約書を手にし直属の上司の元へ行った。

「佐川課長、こちらを確認ください」

クリアファイルに入れてあった数枚の契約書を両手を添えて差し出す。 ディスクに座ったままの課長は片手で受け取り契約書を確認する。

「とりあえず、奥田間くんお疲れさん。 色々と大変だったみたいだね、さっき先方から連絡があって事情は知ってるよ」

「そうですか、ご迷惑をおかけしました」

「いやいや、我が社としては大口の契約となるから君には感謝はしてるよ」

引き出しからスタンプセットを取り出しその中から一つを手に取った。 そして俺が私た契約書に躊躇いもなく振り下ろす。 『VOID』の赤いスタンプが次々押される信じられない光景をただただ見つめるしか俺にはできなかった。 全てにスタンプを押し終わるとメール便の封筒に入れると封をする。 口を開こうとする俺を制しディスクに置かれてあった別のクリアファイルから書類を引き出した。

「奥田間くんが帰ってくる前にこの契約書が届いてね」

手渡された紙に目を通す俺は訝しんだ。 内容は目の前で「VOID」にされた俺が持って来た内容と同じ内容の契約書。 期日も金額も一緒で違いを探せば俺の書いた字では無いことぐらいだった。

「どうゆう意味ですかこれは?」

「我が社として進めてきたプロジェクトの初期目標だった契約は君のお陰で勝ち取ったのだけれど、先方の強い意向で今後担当となる佐々木くんが今回の契約から携わる事になったんだ。 うちの契約書は管理番号が担当者に割り振られているの知ってるだろ? それで契約書を佐々木くんの番号に差し替えたんだ」

「それって、実績が俺の物にならないって事じゃ無いですか?」

「まぁ、書類上はそうなるけど、君の頑張りは認めてるから心配しないでいいよ」

佐川課長は他人事のようにさらっと言ってのける。 俺は知っている、この会社も今の日本社会も人間の評価は数字が表す実績が全てだ。 努力や根性みたいな精神論では人間は評価されない。 まして商社であるこの会社は能力至上主義だ。 これまで正社員に成れた期間契約社員は全てが年間実績が上位の社員。 この契約に賭け半年温めていた俺は通常業務の他の売り上げ実績は平均以下の数字だ。

「佐川課長、俺は、俺は・・・」

「奥田間くん今日は大変だっただろうから、少し自分の書類整理してから外回り直帰でいいよ。 明日届書にハンコ押すから」

それでも食い下がろうとする俺に自分の仕事が忙しいからと追い払われた。 自分のディスクに座り何か作業をしようかと思ったが何も手につかず、頭の中で状況を整理するにもこの現状を妥当性を持って構築する材料が浮かんでこなかった。 社則の就業時間である18時までには2時間あた。 何とか考えを纏めたくて身の回りを整理し、外回に出る旨を部署出口の扉近くにディスクのある営業事務の女性に告げ俺は居心地の悪くなった会社を後にした。


 営業の基本である担当会社への顔出しはせず、会社から電車を2線乗り換え1時間はかかる自宅の最寄駅近くの居酒屋に入って日が落ちる前から酒を飲んだ。 なぜか少ないつまみでも酒はグイグイ飲めた。 ビールから始まり、酎ハイ、そして日本酒と・・・。 俺の経験で悪酔いするパターンなのを承知で飲んだ。 携帯に俺の事を気遣うメールが来た事をインデックスが知らせてくれたが、本文を読む気にはなれずスルーした。 気がつくと可愛い女性の店員が脇に立っていてラストオーダーを告知していた。 朦朧とする頭で会計をお願いし東京都と言う地名はついているが畑が周囲に目立つ静かで暗い街にある、誰も待つ人のいない狭いアパートへ足を向けたのが午前1時を回った頃だった。

 歩道橋の階段を登り切り一つめの照明に照らされた足元を見つめる。 上京したての新入社員の頃が頭に浮かんだ。 苦笑が浮かんでいただろう。 歩みを進め二つめの闇に浮かんだ歩道に差し掛かる。 都会での生活に慣れ社内のマドンナ的な受付嬢に恋心が芽生えた頃が思い出された。 三番目の照明の下では社会の厳しさと自分の能力不足を実感し、恋心を捨て仕事に生きると決意した熱い想いで胸がいっぱいになった。 点滅を繰り返す最後の照明までたどり着く。 アパートは階段を降りて100mもない。 来月の正社員登用は昼の出来事で絶望的。 あの女の性格からすると俺が海園にいる事自体で今後の取引を停止すると言いかねない。 俺の会社は? 不安要素は切り捨てる。

「だろうなぁー。 期間契約満了で、円満退社・・・」

これまで何人かそうなって会社を離れていった仲間を知っている。 渡ってきた歩道橋を振り返りやる気に満ちていた頃の自分もあったなと懐かしく思えた。 あのクソ犬さえいなかったら。 あのクソ犬が俺の歩く道でクソさえしなかったら・・・。 酔いで紛れていた怒りがぶり返す。

「クソ犬がぁー!」

明暗をくり返し見辛くなった足元に注意をしながら降りの階段へ足を運んだ。 手摺に手を掛けゆっくりと一歩一歩降る。 階段中央付近までたどり着いた時、降り切った歩道の真ん中に何かが見えた。 闇と歩道が交互に切り替わる視界の中、光の歩道の真ん中に黒い塊が見えた。 俺のこれからの人生を変えてくれた闇のように黒い毛並みを持つフレンチブルドックが俺を見上げ笑っていた。 そんなはずはない。 あの女の飼っているジョージがここへいるはずは無い。 そう思いながらも込み上げる憎しみが抑えられなくなって手すりから手を離し駆け降りる。 違う犬だろうが構わない。 思いっきりそいつを蹴っ飛ばしたい衝動が湧き上がる。 犬の輝板が二つ俺を捉え、そして口は笑っている。 高まる衝動、急ぐ足、そして足がもつれた。 後もう少しで憎い犬の所まで届くと言うのに、俺の上半身は前のめりで宙に投げ出され歩道へ落ちていく。 高さにして2m。 地面へ向かって伸ばされる手。 時間経過をゆっくり感じながら、怪我はするだろうが死ぬ程の高さでは無いと冷静な俺がここのの中で呟く。 犬が座る手前の地面が徐々に近づき受け身をとるべく伸ばした手が地面へ着く。 はずだった。 地面の感触が掌に伝わらず落下速度そのままに、掌、手首、腕と地面へ消えていく。 そして俺の顔も地面へ近付き何の感触も感じないまま完全な闇の中を俺は落ちていった。

まだ続きます

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