episode8 第17話
それから俺は少し気になることがあったので調査がてら、学園内を適当にうろついてから帰宅した。昼間が長くなったとはいえ、流石に7時も過ぎると辺りも暗くなっていた。
居住スペースの扉を開けると、『ピー』と放送禁止用語でも発したような音がキッチンから聞こえてきた。オヤジがまたくだらないシモネタでもかましたかとキッチンを覗くと、セーラー服にエプロン姿のナナコが炊飯器の側に立っていた。
「おかえり……なさい……」
首をこちらに向けて出迎えるナナコに、「ただいま」と答える。
「あれ? オヤジは?」
「外出中」
この時間に珍しいなと思いながら辺りを見回すと、確かにそれらしい姿はなかった。
ほんのりと湯気を上げている炊飯器。さっき鳴ったのはこいつの炊飯完了メロディのようだ。『保温』ランプが煌々と点灯している。
「もしかして、これ、ナナコが?」
炊飯器を指差すと、首を縦に揺らしてナナコは肯定した。
「ほお~」
どんなものかと炊飯器の蓋に手をかけると、ナナコに腕を掴まれた。
「はじめチョロチョロ中パッパッ。赤子泣いても蓋取るな」
何のこっちゃと思っていると、「ただいま蒸らし中」と付け加える。
「いや、大丈夫だよ。保温になった時点で蒸らしは終わっているんだ。むしろ、よりおいしく食べようと思ったら、一度蓋を開けてから、ご飯をかき混ぜて余計な水分を飛ばした後、もう一度蓋をして蒸らした方がいいんだ」
ナナコを諭して炊飯器の蓋を開けると、もくもくと炊き立てご飯のいい匂いが立ち上った。
「な?」と、俺はツヤツヤに光る白米をしゃもじで切るようにかき混ぜる。
「本当。ちゃんと炊き上がってる」
炊飯器の中を覗き込む格好で、ナナコは俺に体をくっ付けてきた。凹凸のない体ではあるが、こうして密着してみるとその控えめな膨らみに気付く。心なしかほのかに女性らしい優しい香りが漂ってくる。
こいつって、こんなに女性ぽかったか?
「いい匂い?」
「ああ……」
素直にうなずくと、口元を緩めたナナコが、目尻を下げてこちらを見つめている。
「たってるか?」
「何!?」
自分でも驚くほど素っ頓狂な声が飛び出した。
「たっ、たってねーよ」
「そうか……。わたしはまだまだということか……」
なぜかナナコは肩を落とす。
「そんな落ち込むほどのことじゃないと思うが……」
そりゃ、女としては凹むのも分かるが、急にどうしたんだ?
「でも、ムサシはたっている方がいいんだろ?」
「そりゃ、たたないよりは、たつ方がいいに決まってる……。って、何言わせるんだよ。そんな急がなくても、ほら、ナナコが二十歳になったら、バンバンたたせることが出来る……。いや、駄目だ駄目だ。そんなのは絶対に認められない」
危うく、妖艶に男を手玉にとるナナコの姿を想像しかけたので、頭を振ってそれをかき消す。
「そうか、むな志みたいにたたせたいと思ったが、わたしはたたせては駄目なのか……」
「オヤジがたたせる? お前は一体、何を言ってるんだよ?」
「むな志のご飯は立っていておいしいって、武蔵、言ってた」
「って、そっちの話かよ」
ズコーと転びそうになる。
「だから、お米を立たせる方法が知りたいと思ったのだが、わたしには無理なんだな……。むな志も、おいしいご飯はお米が立つって言ってた。だから、立たせるため頑張った。でも、立たなかった。どうしたら立つ? なぜ、わたしのは立たない? 子供だからか? 二十歳にならないと無理なのか? 大人になったら、立たせられるのか?」
って、何回、『立つ』って言うんだよ。
「そりゃ無理じゃないけど。う~ん。お米を立たせる方法ね……」
改めて考えてみるとこいつは難問だな。俺も今までそれなりに米を炊いてきたが、同じように炊いても日によって立ったり立たなかったりするので、何とも言いようがない気がする。
「炊飯器じゃなくて、ちゃんとしたお釜で炊かないときちんと立たないんじゃないか?」
「オカマが炊く? やはり、むな志じゃないと難しいのか……」
厳しい顔をして真剣に考え込むナナコ。
「いやいや、そうじゃなくて、『オカマが』じゃなくて『お釜で』だ」
熱弁する俺を、「ん?」とナナコがキョトンとした表情で見つめた。