episode8 第16話
「なんですって?」
「矢追さんはそんなことで、人生を棒に振ったなんて思わないわ。矢追さんはいつも前向きで、どんな運命でも笑って受け入れられる強い子よ」
「そんなこと――ですって……。矢追さんはいないはずの母親の幻覚まで見て、妄想にとりつかれて……。恨んでいるのよ。悪夢のような研究を! 両親を奪った人のことを! 絶対に許しはしない」
「本当にそう思っているの? 郷力さんも本当は矢追さんがそんな人じゃないって分かっているんじゃないかしら?」
ギリギリと奥歯を噛みしめ、激しく詰め寄る彩音を諭すように俺は言った。
「だけど、アタシのお父様が、彼女の両親を……」
「親がどうだとか、そんなの関係ないじゃない。矢追さんは矢追さん。あなたはあなたなんだもの」
カタカタと震えている肩にそっと手を乗せる。
「アタシは、アタシ……?」
それでも納得できないのか彩音は寂しげに顔を伏せた。
「それとも好きな人のことを信じられないの?」
と、彩音の顔がピーンと持ち上がる。
「なっ! ななななっ……。急に何を言っているのよ! そんな突拍子もないこと!」
口では否定しながらも明らかに動揺している。
「違うの?」
「そ、そんにゃの、あなたには関係にゃいじゃない」
顔を真っ赤にして抗議する。ホント、わけが分からないけど、分かりやすい奴だな……。
「矢追さんのこと、ずっと見守っていたんでしょ? 好きじゃなければ、そんなこと出来ないわ」
「うっ……」
図星をつかれて、彩音はグーの音も出ないという顔をした。
「そんな恥ずかしがることないわよ。好きって想いはもっと誇っていいものだと思うわ」
「べ、別に……」と口をとがらせてそっぽを向く彩音。
「それに、好きなんて、友達なら当たり前でしょ?」
「ともだち?」
「ええ、友達」
笑ってみせる俺に、彩音は目を丸くした。
「友達、だから矢追さんのことが好きなんでしょ?」
「そう。友達! 間違いなく友達!」
「よね? だったら矢追さんの前に面と向かって立ちはだかる以外にも、彼女の側にいることは出来るんじゃないかしら?」
「それ以外の方法?」
「そっ。郷力さんも矢追さんの隣に立って、同じ夢をみればいいのよ。矢追さんが道を踏み外すのが不安なら、あなたがずっと側にいて彼女を支えてあげればいいと思わない?」
「アタシが矢追さんを支える……」
彩音の前髪を風が優しく撫でる。サラサラと音が立てて流れる前髪。
「あなたにはそれが出来るはずよ。スポンサーじゃない、パートナーとして矢追さんを支えてあげることが……。郷力彩音さん……。あなたにならね」
俺は人差し指で彩音を指し示した。
「でも、アタシは……」
小ぶりだが形のいい胸が震えている。厳しい現実から目を逸らすように視線を落とす。この子は知っているんだ。今の自分の実力では由愛と同じ道を歩くことが出来ないことを……。でもだからと言って、
「諦めるにはまだ早いんじゃないかしら?」
人差し指を立ててウィンクしてみせる。
「矢追さんのこと、絶対に泣かせてやるんでしょ? それって、夢を叶えた後――感動の涙を流すってのもありでしょ」
「そんなの、出来るわけないわ」
震える彩音の頭をポンポンと軽くタップする。
「まずイメージするらしいわよ。夢を叶えるにはね」
「イメージ……?」
「そう。夢が叶った時のイメージを頭の中で想い描く。叶えるのよ。二人で力を合わせて夢を叶えるイメージをね」
うなずく俺に彩音は目を閉じて自分の夢を――未来を思い浮かべているようだった。
「アタシが由愛の隣に……」
イメージが効きすぎたのか、彩音がにやけ面で身悶えている。これは長くかかりそうだな……。
「それじゃあ私はもう行くけど、くれぐれも危ないことしちゃ駄目よ」
「あっ! ちょっと!」
背を向けた俺にちょっと待ったコールがかけられる。
「どうかしたの?」
「えっと……。あの、その……」
振りかえると、彩音が両手を股に挟んでモジモジと腰をくねらせている。
「トイレなら、向こうに――」
「ちがーうっ!」
「なら何?」
髪をかき上げて言葉を待つ俺に、
「あっ……。ありがと……」
「ん?」
あまりにも小さい呟きに思わず聞き返す。
「だから……。ありがとっ! って言ってるのよ! あなた意外といい人ね。『何も知らない』なんて言ったのは取り消すわ。こんどー先生」
照れくさいのか、チロッと舌を出して彩音はおどけた。
「強い人は自分の非を認められる人。何より他人に感謝出来る人よ。郷力さん、あなたならきっと夢を叶えられるわ。頑張って」
そう言って親指を立てて見せると、彩音は心底嬉しそうに笑った。
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