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episode8 第14話

 あまり話し込んで由愛の邪魔をしても悪いので、俺はきりのいいところで別れを告げた。

 と、席を立った瞬間、俺は誰かに見られているような視線を感じた。ここは丁度奥まった場所にあるので、誰かがこちらを探っていればすぐにそいつが何者か分かるはずなのだが、ぱっと見誰もいなかった。

 その場から離れて図書室内を少し歩いてみたが、それらしい人物はいなかった。あまり気にしても仕方がないので、そのまま図書室を出て行こうと出入り口の方に視線を向けると、特徴的な太眉がガラス越しに怪しい動きをしていた。

「何やってんだあいつ……」

 ひとりごちると、俺は気配を消して扉の脇に張り付くとそいつの様子を伺う。

 もしかしてまた、由愛に勝負を挑もうとしているのかもしれない。

「こら!」

 扉を開けて注意すると、

「きゃん!」

 小さな悲鳴をあげて敗走を決め込む彩音。ツインドリルが左右に揺れながら上下に伸び縮みしている。

「やれやれ……」

 このまま放っておいてもいいが、彩音が事あるごとに由愛に突っかかれば、それだけ由愛の夢の道のりが遠ざかってしまう。一度きちんと言っておいた方がいいだろうと、俺は彩音の後を追った。だが、逃げ足だけは一級品のようで、彩音は脱兎のごとく一目散に俺の目の前から消えた。しかし、どこか間が抜けているのか、階段をパタパタとゴム底がステップする音が聞こえる。敵から逃走する場合は、スピードよりもむしろ自分がどこにいるかを相手に悟らせないようにするのが定石。ましてや足音をたてるなんてもっての外だ。

 素早くそちらの方へと移動して、階段の踊り場を見上げると、スカートがひるがえり水色と白のストライプが目に飛び込んできた。まさに、頭隠して尻隠さず。女の尻を追いかけるのは趣味ではないが、俺は足取り重く階段をのぼった。



 屋上の扉を開けると、彩音がフェンス越しにグラウンドの方を見下ろしていた。

「なによ?」

 悪戯を見つかった幼子のような不機嫌顔をこちらに向けてくる。肩にかかった縦ロールのひと房掴むとそれを指先にグルグルと巻きつけて――放す。そして、また巻きつけては――放す。その繰り返し。どうやら、それが彼女の癖のようだ。そのせいであの髪型になったのか、それとも、この髪型のせいでその癖なのだろうか?

「郷力さん……。あなた、矢追さんと勝負をするのはほどほどにしておきなさい」

「どうしてあんたにそんなことを指図されなきゃいけないのよ」

「指図するつもりはないんだけど、彼女は目標に向かって頑張っているの。だから、その邪魔をしちゃいけないって言ってるのよ」

「目標?」

 髪をいじっていた手を止めて彩音はこちらに向き直る。

「そうよ。矢追さんにとっては夢って言った方がいいのかしら? お母さんの夢の実現のために――」

「なん……ですって……」

 太眉がピクリと動いたかと思うと、彩音の表情がみるみる険しくなっていく。

「何も、知らないくせに……」

「え……?」

 震え、くぐもった声が聞き取りづらくて思わず聞き返す。

「何も知らないくせにっ! あなたに、彼女の何が分かるのよ……。何を聞いたか知らないけど、それは目標や夢なんて、そんな生やさしいものなんかじゃないわ」

「郷力さん、あなた一体何を言っているの?」

 どうにも話が見えない。由愛はあんなに楽しげに話をしていたのに、彩音はなぜ怒っているのだろうか? 全くわけがわからない。

「夢――なんかじゃない。あれは、永遠に解けない呪い――。両親に背負わされた悲しい運命なのよ」

 どこか凄みのある低音の声に気押しされ、俺は黙りこくる。

 仕方がないといった風に彩音は大きく息を吐き出すと、落ち着いた様子で語り始めた。

「矢追さんのご両親の研究は知ってるかしら?」

「ええ。たしか、夢を現実のものとして認識させる研究だったかしら?」

「そう。そして、矢追夫妻はその第一人者だった。ただの3D映像なんてものは比べものにならないくらいリアルなものが目の前に現れたらしいわ。その研究を、エンターテインメント業界をはじめ、映像とは関係ないような分野の人間が欲しがったそうよ。その研究で世界が変わるとまで言われた、とにかく凄いものだったらしいわ。そんな誰もが注目していた研究成果を発表するために、実用化に向け大々的にとある実験が行われた……。そして、それが不幸の始まりとなったのよ」

 ゴクリと喉を鳴らし、俺はうなずくと話の続きを促した。

「何とかっていう当時人気だった架空のアイドルを現実世界に呼び出す実験。でも、まだその研究自体がまだ検証中で、そんな大規模なことをやれば何が起きるか分からないと矢追教授は反対した。けど、研究には莫大な資金が必要で、悲しいかな研究者は資金を提供しているスポンサーの意向には逆らえない。二人の反対を押し切る形で実験は敢行されてしまった。成果を焦ったスポンサーが研究の危険性を示さずに被験者を募り、多くの人間が飛びついた。生憎実験に参加したいという人間は沢山いたようで、架空アイドルに陶酔したファン、現実世界を捨てている人たちが諸手を挙げて被験者として参加したわ」

 ガシャンと彩音はフェンスに背中を預けて天を仰ぐと、薄く笑った。

「結果、実験は失敗に終わった。被験者のイメージが肥大化し、暴走。意識不明者多数。実験中に発狂し、夢と現実の境が分からなくなってしまった人もいたらしいわ。危険があるのは最初から分かっていたはずなのに、当然のように矢追夫妻だけにその責任を押し付けられ、二人は全てを失った。研究者としての地位も名誉も。被害者への賠償費用として、何もかも売り払って、最後に残ったのは白金の豪邸だけ……」

「二人だけに失敗を押し付けた? そんな馬鹿なこと……」

「馬鹿なことかもしれないけど、それが現実だわ……。でも、お二人の不幸はそれで終わりじゃなかった。元々、体が弱かったお母さまは矢追さんを生んで他界……。それでどこかおかしくなってしまったんでしょうね、スポンサーが離れた後も彼女のお父さまは狂ったように研究を続け、全てを取り戻すため最後の実験を行った。自分自身を被験者にしてね……。そんな人生の全てを賭けた実験もうまくいかず、矢追教授はほとんど寝たきり状態になってしまって、今は矢追さんのお世話になっていると聞くわ」

 それが、由愛の本当の運命? 彼女は自分自身の不幸を、『夢』という都合のいい言葉に置き換えている?

「矢追さんはその全てを背負っている。そして今も、そんな両親の研究が正しいと証明するために、彼女は自らの人生を棒に振ろうとしているのよ」

「でもそんなこと、分からないんじゃない。矢追さんが研究を引き継いで、それこそこの世界を変えるような成果が得られたなら――」

「分かるのよ。そんなの出来るわけないわ。学会では、それを口にするのもタブーで、研究自体が闇に葬り去られた……。そんなものを矢追さんは追いかけているのよ。最初から答えが分かっているのに、自らの足で闇に向かうなんて、惨めで、愚かよ。そんな姿、アタシにはもう見ていられない……」

 吐き捨てるように彩音は言った。

「矢追さんに勝負を挑むなって? アタシだってそうしなくてもいいなら、そんな勝てない勝負を挑むなんてことしていないわ。彼女が本当に凄い人なのは言われなくても分かっているし、アタシなんかには敵わない、次元の違う世界にいるのよ。絶対に泣き事なんて言わないし、ましてや、泣き顔なんて見たことがないわ。でもね……。だけど、アタシが挑戦し続けなければそのままゆめの世界にいってしまうような気がしたのよ」

 違う世界にいる。たしかに、由愛にはその例えがよく似合っているような気がする。

「矢追さんをひとりになんて出来ない。夢と言う名の幻に囚われて、このままいけば、きっとひとりになってしまうわ……。いないはずの過去の幻。母親の幻影までみて……」

 由愛は誰の目から見ても凄い人なんだと分かる。だから俺は、由愛を見ていたクラスメイトの視線を、憧れの存在に対する羨望の眼差しだと思っていた。だけどそれは、どちらかと言えば浮いた存在を遠巻きに見つめる奇異の目だったんだ。

 言われてみれば、由愛はいつもひとりだった。そんな中、ナナコは例外だとしても、彩音だけがずっと昔から由愛と対等であろうとしたんじゃないか……。彼女を夢の世界から、孤独から救いだすために。

 だが、なぜだ?

 俺はあるひとつの疑問に行き当たる。


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