5月25日(火) つま先どん
5月25日(火)
今日、私は、彼と、お昼ご飯を一緒に食べる。私が作ったお弁当を。
どうしてそんなことになったのかというと、今から数日遡ることになる。
月曜日と火曜日の二日間で中間テストが終わり、その週の木曜日から金曜日にかけて、早くも採点された答案が返却された。
その答案の点数を見たとき、特に重点的に彼に見てもらった数学については、受け取ったときに「え?!」っと声を出してしまったほど点数が良かった。確かに手応えはあったが、まさかここまで……という点数であった。びっくりした。
全ての答案が返却され、その全てが平均点を大きく上回る結果となった。万年平均点ラインを行ったり来たりしていた私、やれば出来るじゃん。すごい!
なんて頭に浮かんだが、それよりも彼に教えてもらったこと、彼の教え方が上手かったことがその全てだった。
「センパイにお礼しなきゃかな……」気づいたらそう呟いていた。
その後、私は土曜日の夜に彼に電話をした。
彼が電話に出て「……もしもし」と言ったところで、そういえばお礼を何にするのかということを、全く考えていないことに気づいて焦った。
けれど、私が「何かありますか?」と聞くと、「一緒にお昼ご飯を食べたい……かな」と彼は言った。
正直具体的な希望が返ってくるとは思っていなかった。「お礼なんて別にいいよ」なんて言われるんだろうな、と思いながら聞いただけだったのに。助かった。
でも一緒にお昼ご飯を食べるだけでお礼になる?と思った私は、「じゃあ私、お弁当作りますから。センパイの分も」と言っていた。
という経緯があり、本日の昼食イベントの運びとなったのだ。
私の学校は、学年ごとに校舎が別れている。私たち二年生は、校内東側の三階建て校舎の二階と三階に教室が振り分けられている。
そして三年生はというと、三階建て校舎であることは二年生と同じだが、校内南西側に校舎があり、教室が振り分けられているのは一階と二階で、三階には美術室や家庭科室などの特別教室が並んでいる。
二人でお昼ご飯を食べるなら、あまり目立たない場所がいい。
中庭は一番初めに却下した。衆人環視はどう考えても無理。
空き教室はどこも鍵がかかっているから物理的に駄目。
体育館っていう選択肢もあるにはあったが、だいたい三年男子がバスケをやっていたりするのでそこも却下した。
なので、私は三年生校舎の屋上踊り場を提案した。目立たない場所という条件はクリアしているし、そこにいくまでの動線も、三階には特別教室が並んでいるため人目に触れにくい。
というわけで私は今、二人分のお弁当と、一冊のノートを抱えながら、待ち合わせ場所である三年校舎の三階美術室前まで、さながら忍者のように足音を忍ばせて進んでいる。
私たちの学校は、例えば上履きの色が学年ごとに分けられているとか、色違いの名札を付けているとか、そういうことは一切していないので、外見だけでは学年の判別はできない。
しかし、三年生の中に他の学年の生徒が混じると、オーラというか、空気感というか、なんとなく浮いてしまい、「他の学年のやつが何しに来たの?」という目で見られるのは往々にしてあることだ。
なんらかの部活に所属していて、先輩に用事がある……というわけでもない。私は帰宅部。そういう言い訳も使えない。
なので、出来るだけトラブルを避けるためのリスクマネジメントからくる行動ではあったのだが、それは第三者から見たら余計に浮いていて、不審に見えたらしい。
三階の窓から、彼に思いっきり見られていたのだ。
美術室前で待っていた彼のもとに着くなり、「遅くなって……ごめんなさい……」と俯き息を切らしながら言った。二階から三階にかけて、階段を二段飛ばしで駆け上がったためだ。
「うん、そりゃ遅くなるよね」と、彼は笑いながら言った。
「へ?」顔を上げて彼の顔を見ると、目線が窓越しに地上の方――私が通ってきた動線を見ていることに気づいた。
私は恥ずかしくなりまた俯き、両手で抱えて持っていたお弁当とノートを少し強く抱きしめた。そして平静を装って言った。
「……さ、じゃあお昼……行きましょう……」
彼の返事を待たず、私は先に歩き出した。彼も後ろから付いてくる気配があった。
教室を三つ通り過ぎ、屋上へと続く階段の所まで来たが、私はまだ自分のつま先を見ながら歩いていた。そのまま階段を上る。
すると、「あっ」という彼の声が聞こえた。
「え?」と私は振り返った。彼は階段の下にいた。一段も登ってはいない。
それに対し私はというと、階段をほぼ上り切っていて、踊り場まであと数段というところだった。
「白……」
一瞬なんのことかわからなかったが、すぐにスカートの中が丸見えな位置関係だということに気づき、慌ててスカートの裾を押さえようとしたのだが、両手に荷物を抱えていたため、そのまま下着を晒すこととなってしまった。
「……え?は?うそでしょ……?」
ただでさえ火照っていた顔が、さらに熱くなった。
私が先に歩いて行ったことに非があるのは分かっていたが、そんなことを冷静に判断できる状態ではなかった。別に色とか、口に出して言わなくたっていいじゃん。
「さいてー!信じらんない」言いながら階段を駆け下りる。
彼の目の前まで来て「いや、違う違う……わざとじゃ……」と彼は何か言いかけていたが、それを遮って私は彼の爪先を思いっきり踏みつけた。
「いでっ!」と彼は大きな声を出し、その場で歯を食いしばり地団駄を踏むように左足を動かした。
「はい」彼の動きが止まるのを待って、私は抱えていたお弁当の包みを、両手を伸ばして彼の胸に押し付けた。
彼は訝しげな表情を浮かべていたし、目には薄っすら涙が浮かんでいるようにも見えた。
お弁当を一緒に食べる雰囲気ではなくなってしまった。主に私の空回りのせいで。でもお弁当は食べてもらいたい。せっかく作ったんだし、それにさすがに二人分は食べられない。
両手を彼の方に伸ばした姿勢のまま、「はい」と私はもう一度言って、さらに強く彼の胸に押し付ける。それで、彼は恐る恐るといった様子で包みを受け取った。
「あとこれも」そう言って、持っていたノートも渡す。彼はそれも受け取ったが、頭の中にクエスチョンマークが十個ぐらい浮かんでいそうな顔をしていた。
「あとで読んで」とだけ言って、私はすぐ横の階段に足をかけた。
「ちょっと……」と彼が制止する声が聞こえたが、そのまま駆け下りた。
彼は追いかけては来なかったが、「ありがとう」という声が上から聞こえたような気がした。あと「ごめん」という言葉も。気のせいかもしれないけど。
ごめん、って……私の方がごめんだよ。
今日はとにかく階段を駆けながら移動しなきゃいけない日なのだろうか。
下りきったところで、昼休み終了のチャイムが鳴った。どっちにしろ一緒にお弁当を食べている時間はなかったわけだ。
お弁当、いつ食べよ。
彼はどうするかな?食べてくれるかな?
あとノート。読んではくれるよね。
そのあと書いてくれるかな……八つ当たりしちゃったしな……と、少しだけ心配になった。