ところで
全部読み返しました。
机の上に置かれた、少し針の曲がった校章のバッチを布製のペンケースにくっつけて、私は真新しいバッチを制服にくっつけた。
新しい色に変わった校章は、私が二年に進級したことを雄弁に語っていた。
「いやー、なんか気分変わっちゃうね」
「教室も違うしね。あ、空の校章逆さまだよ」
由佳が私の胸元のバッチをくるりと回した。それをみると、ちゃんとした向きで校章が輝いている。
「あはは、ありがと」
「うちの校章丸いから分かりにくいよね」
「柄は好きなんだけどなあ」
我が星ノ森高校の校章は、五芒星をツタのような葉っぱがぐるりと囲んでいるような形をしている。気取っていなくて、さらにはなんだかかわいいので好きな柄なのだ。ただ、校章の上下を見分けるには真ん中の星を見るしかないので、みんなそれぞれの向きで校章を付けているのが常である。
「クラス替えもないし、二年になってもあんまり変わんないと思ってたけど、割とワクワクするね。修学旅行もあるし」
由佳が弾んだ声で言うので、私も頬を緩めて頷いた。
今年もこのクラスでの一年が始まる。万場は三年間のうちにクラスでの恋人づくりを諦めたらしい。
二年になるということは、主にクラブ生には先輩という役職が与えられ、帰宅部生には特に何も与えられることはない。ただ、全員が全員「遊んでおけるのは今年のうち」という焦りが生まれるのだと思う。
私としても、帰宅部ながらに焦りのような気持ちが生まれてきていた。来年になると、中学の時以上に志望校がどうの将来の夢がどうのとか言われるのだ。今のうちにのんびりしておかないと、三年の時に後悔しそうである。
それはそうとして、もうすぐ私が私になって一年が経つ。
最初は私が男か女かで揺れ動いていたクラスであったが、一年も経つと「元男の女子」として受け入れられていた。改めて、変な目で見られて石を投げられるようなことにならなくて良かった。石山医師には頭が下がるばかりである。すっかり慣れ親しんだ髪に指を通せば、朝あまり櫛で梳かさなかったからか、所々で引っかかった。
私がそんなことを考えつつぼんやりしていると、一年の時から変わらず担任となった葛城先生がホームルームを締めくくった。今日はこれで解散となる。
「それではまた一年、よろしくお願いしますね!二年生を楽しんでいきましょう!」
「「はあ~い」」
間延びした返事を返せば、先生はにっこりと笑っていた。全く小動物的な人だ。
「――空、帰るか」
「おう」
少し離れた席に着いていた仁が肩を叩いてきた。振り向くと、いつもの目つきの悪い顔が目に映った。
「今日も目つきが鋭いな」
「おう。なんだ、嫌か?」
「いーや、好ましいね」
私がそう答えると、仁は薄く笑った。隣では由佳が「けっ」とかなんとか言いつつため息をついた。
ーーー
私が女になり、さらには男と恋愛をしている。そんなことを知った周りの大人の中には、仁とくっつけとせっつく大人もいたが、そんなピンクいことを常に想像できるわけもなく。
私と仁は熱々カップルとは言い難い、呑気な雰囲気で一緒に帰っていた。なんやかんや言って、私たちはまだ大人な関係に至っていない。
「それでさあ、気づいたら五時間くらいMeeTube見ててびっくりしたわけさ。晩御飯食べそびれちゃってたよ」
私が話しているのはつい先日のことだ。気づけば夜の10時だったあの日は、お風呂もシャワーで済ませたものだ。
「よくそんな感じのことは聞くが……腹は減らなかったのか?」
「減ったから夜にラーメン食べちゃった。あれは背徳の味だったね」
「深夜のラーメンは良くないぞ空」
「その分動いたし大丈夫……多分」
そこまで話して私たちは立ち止まった。目の前の信号がちょうど赤になったのだ。お昼の道路は車もまばらで、制服を着崩した生徒は信号を無視して渡っていった。
そんな名も知らない生徒を見送っていると、仁が「そういえば」と言った。
「ん、なに?」
仁の方を見ると、彼は「いや」と前置きしてこちらに目線を向けた。
「勝山にこの前、空と普段何をしてるのかと聞かれたんだが」
「あいつ何聞いてんだよ。てか仁、答えたの?」
男同士、まして彼女がいる者同士、色々と裏で話をしているのだろうか。昔、そんな奴らが教室の窓際で話していたのを思い出す。気恥ずかしいことを暴露されていたらどうしようかと、私は一瞬身構えた。そして身構えた上で――仁とどこまで進んでいたか思い出した。
手は繋いだ。普段は一緒に帰り、たまに出かける。大抵はその日の宿題を片付けたり、お互いの身の回りであったことを駄弁ったりする。気分が乗った時は私は耳を熱くしながら甘え、仁はどっしりと私を受け止める。ちなみに去年風邪をひいたときに口を付けられたきり、私も仁もそこに踏み込んでいない。
「――うむ?」
私がふと胸の辺りにざわりとした感覚を覚えていると、仁は私に構わず話し出した。
「どうやら俺たちは恋人という関係で見れば、ほとんどスタートラインにいるらしいぞ、空」
仁が私の肩に手を置いた。
私の夜更かしして読む小説の中には、恋愛ものも含まれている。そしてその中で描かれている、まだ私たちと同い年くらいのキャラクターたちは、私たちより遥かにあれやこれやの関係が深められているように感じる。いや、たまに「これはないだろ」と言いたくなるようなものもあるけれど。
私はこの純情・清純極まりない関係に居心地の良さを覚えつつ、彼に向かって宣言した。
「仁、恋人の大人の階段を登ろう!」
と。
思えば私たちは、よくいる熱々カップルに比べて熱が足りていないのではないだろうか。ケンカをはさんだ後でさえ、部活を頑張る仁の尻を叩いていたくらいだ。腕を組んだりなどはそうそうできやしなかった。私たちも高校生なのだし、たまには思い切り遠くのどこかに出かけたり、はたまたそこらへんにいる熱々カップルみたいなことをしても良いはずなのだ。と、言うか。あまり大胆になりすぎることなくのんびりしていては、本当に女豹が現れないとも限らない。
「――具体的に、どうする?」
「……」
しかし、仁が遠慮がちにそう言うと、私も彼も言葉に窮してしまった。
「何したらいいんだろう」
目の前の信号が、再び赤になった。
場所は変わり、私たちは空いたお腹を満たすためにファミレスにやって来ていた。ドリンクバーで注いできた、どこかチープさを感じさせるメロンソーダを飲みつつも、私たちは真面目な顔をして目線をぶつけた。
「勝山は『よくそんな関係で満足ができるな!』と呆れた様子だった。確かに俺たちはのんびりした関係でいすぎているのかもしれない」
仁はお冷を飲みつつ言った。私はそれに首肯する。
「確かに。でもさ、腕組んだりとか、デートとかはたまにしてるわけだろ?これ以上と言ったらいったい何を……」
「……そうだな、何なんだろうか」
何となくお互い言葉に詰まった。あれなのだろうか、『これ以上』にただならぬナニかを感じているのだろうか。いや、この方向では考えるのをよしておこう。
「――あ!そうだ、良いこと思いついたぞ」
私が手を打つと、仁は続きを求めるように目を向けてきた。私はフフンと鼻息を鳴らす。
「私たちより進んでるカップルを参考にすればいいんじゃないか?それこそ勝山とかさ」
「……それは、どうなんだ?」
「……まあ、ちょっと変な感じだよな。それに勝山だし。なんか変なこと言ってきそう」
ただでさえ楓とよろしくやっているのだ。あらぬことを二人でホイホイ吹き込んできそうである。その思いは通じたのか、私も仁もそれ以上言葉は続けずにコップに口を付けた。
「――じゃあ、久遠さんと菊池は?」
「――ありかもしれん」
私たちは特に異論もなく頷きあうと、それぞれスマホを取り出しどちらが連絡するかでじゃんけんをした。
読んでるとその時の精神状態的なのまで思い出されて、純粋に作品が読めなかったりしますね。




