ごめんなさい
端的に言ってしまえば気まずい。
一緒に帰ろうと言われたことに、私がつっけんどんな態度で接したのが悪いとはわかっているけれど……長く続いたこのケンカのせいで、いざ仁の前に出てしまえば私の気持ちは硬化した。
友達以上恋人未満な距離感のまま校門をくぐり、歩きなれた道を進む。なにか、会話のきっかけはないか……そんな、一言話せれば済む悩みを延々と思い続けていた。
半分ぼうっとした意識のまま歩いていると、駅前の交差点に差し掛かっていた。私たちの前の信号は赤だった。周りを歩いていた人たちが、めいめいに自分なりの暇つぶしを始めていた。私も少しスマホを見ようかななんて思っていると、仁は不意に「なあ」と言った。
「……なに?」
「……この前のことで、話したいんだ。ちょっとそこに寄ってかないか?」
仁が示したのは、未だ赤のランプが点灯する正面の横断歩道の向こうではなく、青信号が灯る横向きに伸びた信号だった。
去年ケンカした店はそちらにある。
「――ん。いいよ、行こう」
これは、渡りに船なのだろう。お互いに、きっと話したいと思っていたはずなのだから。
私が頷いたので、私たちは並んで歩き始めた。ところが悠長に話しすぎたのか、私たちが渡り始めてすぐに信号が点滅しだした。ここは駅の近くの交差点だ、車線もそれなりにある。
私たちは慌てて走って渡り、急に走ったからか、私の息は少し上がってしまった。
「はっ…はっ……へへ、間に合ったね」
「――あぁ、そうだな」
思わず砕けた口調で言うと、仁は瞳だけを逸らしてボソッと返事をした。私はもしかしてこれからされるのは別れ話なのかしら、と不安になった。だって口調が和らいだ途端に態度が変わるのだから仕方ない。
ちょっと緩んでいた頬が、思わず萎む。
あら?もしかして、これから仲直りするんじゃなくて、むしろ逆?
もうすぐでお店に着く。私は少し緊張して、思わずつばを飲み込んだ。
……ないよね?復縁できるよね?
ーーー
人入りもまばらな店内の、ぽつんと周りに人がいない席に着いてしばらく経つ。仁も私と同じく、注文したものを待ってから話す腹積もりだったのか、二人で向かい合いながらも無言のままに見つめあっていた。
それは目の前に注文した品が並んでも続けられ、彼が第一声を放ったのは、彼がホットコーヒーを一口含んでからだった。
「……馬鹿にする気は無かったんだ、ごめん」
「――……」
ぽつりと、いつにない重い声で彼は謝ってきた。私は不意に謝られたので、予想もしてなくて驚く半分、そしてこれも驚くべきことに、申し訳ない半分といった心持になった。
眉尻を下げた彼は、少し目を見開いた私を見て俯きがちになっていた。
「でも、俺も空が怒った理由は分かってるつもりだけど、その、人に聞いた話なんだ。俺自身まだはっきりしたことは分からないから……そのだな、話をしていいか?」
仁はそんな風に言うと、またもごめんと謝ってきた。
一方の私はと言えば、窮地に立たされた心持になっていた。あれだけ怒っておいて、ここまでケンカを長引かせておいて、彼氏たる彼にここまで情けない顔をさせておいて……まさか、ただ一言「結構」がムカついただけだなんて!
いや、腹が立つのは仕方ないと思う。だって私がちゃんと自分が女子なのだと思えるまでには色んな事もあったし、そのきっかけは何よりも仁だったし、それを軽く扱われたくない気持ちは本物なのだ。
でも、でもだ。
思えばちゃんと話しておけば済んだ話だったのだ!私はここにきてやっと素直に飲み込めたこの事態に愕然とした。頭の中で、お正月に引いたおみくじの「素直になれ」という言葉が火を噴いている。
今更、私はこの些細なことを告白するのか……?いや!重大事件なんだけど。でも仁が肘をついて今にも崩れ落ちそうなほどの雰囲気を醸し出していて、私も内心「こんなに反省してるんだ」と感心しちゃってるのだ。それにここでキレても去年の二の舞だし、なによりもう仁がすっかり折れてくれているのだし。
私は一息ついて気合を入れた。ここは素直に話をすべきなのだ。
「……うん。話すから、聞いてくれる?」
「!
あぁ、頼む」
私がそう言えば、仁はほっと安堵したように表情を和らげて顔を上げた。うむ、不覚にもトキメキを覚えてしまった。今の彼はさながら犬である。
「そのさ……」
そして私は素直に語る。
結構という言葉が私の今までを軽々しく扱われたりしてるみたいで嫌だったのだと。ここまで長引かせて、話もせずごめんなさいと。私は思わず自分の情けなさに恥じ入って赤面したけど、これは当然なのだと思う。
だって自分で言葉に出して、私自身、私は重い女か!と内心で絶叫したんだもの。
そりゃあ思ってますよ、私頑張ったって。でもね、今更になって軽口で返して睨むとか、傷つくなあ?とか言って反省させるとか、やりようはいくらでもありそうだったのに気付いたのだ。
でも仁はそれを聞くと、「そりゃ、そうだ。俺の言い方が悪かった」と言って改めて頭を下げた。私はやけに照れ臭くなって、「い、いいから頭上げて!」と返した。
「それより、あの時のこと聞きたいよ。あの時何で女子っぽくなったって言ったのさ」
真面目な雰囲気に耐えられず、私は少し話を逸らした。このままじゃ、延々と謝罪され続けて話どころじゃなくなりそうである。
仁は「あー」と目を逸らしながらぼんやり呟くと、手を組みなおして私を見た。
「……その、空がどんどん女子らしくなってくのを見てだな、冗談のつもりで、前から女子らしいとこもあったんじゃないかと、言おうかと思ってだな」
「……その前って、男時代?」
「……そうなるな」
私はどうしていいやら頭を抱えた。
あれ、冗談のつもりだったのか。じゃあさっきから感じてる「冗談で返す作戦」が大正解ということ!?
いや仁も悪いよ、いや悪いのか?あの時確か彼は微笑んでたけど、私てっきり大真面目にああ言ってるとばかり……。
「本当にごめんなさい……」
「何故謝る!?」
私が尻すぼみにそう謝ると、仁は慌てて私の肩を押して顔を上げさせた。
「いやあの、私、あれ大真面目に言ってるとばっかり……」
「それを含めて俺の言い方が悪いんだ、謝らないでくれ」
仁は「誤解が解けてよかった」と言って、半立ちになった腰を下ろした。
「……解けた、でいいのか?」
彼が自信なくそう言ったので、私は「いいよ」と答えた。改めて彼に謝られ、私がいいよと言ってしまえば、ずっと腹にわだかまっていた不満がスっと引いていったような気がする。やっぱり話せばよかったのか、相談は大事だなあと思い知る。仁だって、私が怒ったことに反省してくれたし、なにより私にも非があるってわかったのだから。
「でも、今後はその辺気を付けてくれたら嬉しいな。前から女子っぽいとこあったかもってのは認めるけどさあ」
例えば料理とかだ。紬とか由佳からは女子力がどうのと恐れられたりしたし、趣味が料理の男子は少ないし。
仁は何度も小さく頷きつつ、「気を付ける」と真面目な顔で言った。
そして二人で一息ついて、それぞれ目の前の飲み物に口をつけた。すっかりぬるくなったココアを味わいつつ、私はもう少し釘を刺そうと思った。
このまま真面目な空気というのも嫌だし。
「……でも、私が女子らしくしようと思ったのは仁のため……だ、からな」
少しリップサービス気味だけど、まあ間違いは言ってない。これまた照れ臭くて目を泳がせつつ言えば、仁はコーヒーに口を付けたまま固まった。ちらと覗けば、さっきの横断歩道の時みたいに目を私から逸らしている。そんな彼もそれとなくこちらに目線を向けながら、ぼそりと呟いた。
「空、顔赤いぞ」
「……うっせえ」
私にだってその自覚くらいあるわい!
耳が今飲んでるココアより熱い気がする。私は真面目な空気から一転、すごく照れ臭い空気になったのを感じながらも、居心地よく感じていた。
そして同時に、寂しさもだ。
「――こんな簡単に終わるなら、去年のうちに話せばよかった……」
そしたらクリぼっちなんて回避できたのに!
今にして思えば、付き合ってから初の年末なんて中々逃す手は無かったんじゃないだろうか?私は色んな後悔に打ちひしがれ、がっくりと肩を落とした。
「確かに、俺もその……期待してたとこはあったな」
仁もその口のようで、ぽりぽりと頬を掻いていた。私は「だよね~」と天井を仰ぎつつ呻いた。
「まあ、何でもない日でも楽しめるだろ。仲直りデートにでも今度行こう」
仁はそうさらっと言った。私は反射で「行こう行こう」と返す。
「……はっ!?そ、そんなにあっさり!?」
「なんだ。嫌だったか?」
仁はさも意外そうに言った。
「いや不満じゃないけどさ!むしろ嬉しいけど、冬休みロスから立ち直るの早くない?」
「そうか?また今年もあるんだし、なんならもっとあるだろ」
「あ」
私はその言葉を聞いて、ぼやっと向こう数年の予定を想像した。
そうだよな、私別に仁のこと諦める気ないし、なんなら両親とも会っちゃってるし、なにより普通に……。
じわじわ熱くなる頬に唇を引き締めて抵抗していれば、仁は楽しそうに私を見て笑っていた。
「どうした?」
「……別に」
こんな恥ずかしいこと、こんなとこで言えるわけないだろうが。
私はココアを飲み干して、デートの日取りとプランの話を始めるのだった。




