時間を置いたことですし
何となく乾いた空気のお正月から日は過ぎた。今日から三学期が始まる。
私は肌を突き刺す冬の朝の空気に髪を揺らしながら、ぷらぷらと制定の手提げカバンを揺らしながら通学路を歩いていた。仁とのケンカは継続中である。
まあ、私も子供じゃない。四六時中彼のことを考えないと気がすまない、なんてことはなく、ボーっとした日々を送っていた。冬の高い空を見上げつつ、私は一息吹いて額にかかっていた髪を退けた。
「よう、おはよ」
「ん、勝山か。おはよ」
後ろを振り返り、真新しそうなマフラーを身に着けた勝山に歯を見せる。こいつとも久しぶりに会うので、何となく嬉しくなり頬が少し吊り上がった。そのまま私たちは連れ立って歩き出した。
横の勝山は久しぶりだとニヤけ気味の私とは打って変わり、少し顔をしかめて私の肩に手を置いた。
「なあ志龍、いつまでケンカしてんの?」
やけに真面目そうな顔を浮かべて勝山は言う。私はやつの手を押しのけてため息を一つついた。
「なんだよ、仁の差し金か?私のペースで解決するし、変なこと聞くなって」
そう言うと勝山はつまらなそうに「さいですか」と言うと、いつもの阿呆そうな顔に戻った。不思議とこだわりなく話は終わってしまい、肩透かしを食らった気分だった。ただ、「やっぱり差し金か!」と言ってみると、勝山は「青山も気にしてるってこった」と言った。私の反応でも窺っているのか、仁の態度は非常に慎重なようだった。
さて、登校なんて気が付けばあっという間に済んでいるもので、私は気づけば席に着いていた。みんな冬休み前以来なものだから、冬休み中の思い出話に花を咲かせている。
私は参加していない。というかできない。何故か。
「え、みんな志龍さんは青山君と出かけてると思ってるんじゃないかな」
これがみんなにスキー旅行の土産を配っていた矢田さんの意見である。おかっぱ頭が少し伸びてミディアムになっている。彼女は私と仁がケンカしたことを知っていたはずなので、「ケンカ中なのに」と言い訳がましく言ってみると、「冬休みなんて仲直りのためにあるんじゃないの?」という指摘を頂いた。私は言い返すこともできず、「ぐぅ」とだけ唸った。
確かに、そうだったかもしれない。冬というのはリア充の季節である。あぁ、いや、でも悪いのは仁なのだから、私から機嫌を窺うのはやっぱりだめだ。
矢田さんのお土産のクッキーをついばんでいると、仁が姿を見せた。なんと始業式の日にすら朝練をしていたらしい。冬にもかかわらず少し汗ばんだ様子の彼は、私と一瞬目があった気がしたものの、すんなりと目線を外して隣の彼の席に着いた。
……なんだか周りがたまにちらちら見ている気がする。由佳なんて口パクで「いけ!いけ!」なんて言いながら仁の方を顎で指している。彼女と話していた船橋さんが由佳のことを半目で見ていた。話でも折ったのだろうか。
ここまで言われて仁に話しかけないのも、何となくばつが悪い。みんな仲直りが済んでいるか進んでいるか思っているみたいだし、何より私も冬休み中に話しかけたかったのだし。
恐る恐る彼の方を見れば、彼は頬杖をついてスマホを見つめていた。顔の向きは私の方を向いてはいたが、目線はスマホ画面である。みんなが使っているチャットアプリを開いているようだった。
前はなんてことなかった話しかけるということが、やけに重く感じる。なぜ私までこんなやるせない思いに駆られなきゃいけないんだ。あぁ、いや、でも。
いつまでもこうしてるわけにもいかないし、挨拶でもして「話しかけても良いよ」とアピールでもすれば話は進むだろうか?
そんな風に悩んでいるうちに、私のスマホが通知を鳴らした。通知元のアプリは仁の開いていたアプリだった。画面を開けば、私が冬休み中睨むばかりだったチャットにメッセージが届いていた。
『前は、すまなかった。話がしたいから、良ければ今日一緒に帰って欲しい』
仁はこんなメッセージを送ってきた。どうやら、しばらく時間を置いてようやく私と話す気になったらしい。私の頭の冷静な部分が「ようやく話ができる」と安堵し、熱烈な部分が「話がしたい!」と吠えた。
しかし、私のひねくれた部分が否やを唱えた。
「……男なら、直接話してこいよ。柄でもなく意気地なしめ」
口から洩れることも無いほどの小声でそう言うと、担任の葛城先生が始業式なので体育館に来るよう教室に入ってきた。
私は何も言わず、何も返信せずに席を立った。船橋さんとの話がひと段落したらしい由佳と連れだって体育館に向かう。
「なぁんで話しかけないかなあ」
生徒でごった返す廊下を一緒に歩く由佳は不満顔だ。私はフンと鼻を鳴らした。
「ケンカ後の第一声がチャットのやつなんか、私から話しかけることないね」
私がそう言うと、由佳は「変に肩肘はってさぁ」と呆れた声を上げた。私はそれに不満だったので、由佳を半目で睨んだ。
「怒んないでよ、もう。言っとくけど、そんな些細なことで関係壊れるのがもったいないくらい些細なことでケンカしてんだからね。ちゃんと話し合っときなって」
「……いや、でも」
呆れた様子を崩さない由佳に言い返そうとすると、片手で両頬をつままれて二の句を封じられた。そのままさらに睨めば、由佳は空いた手の人差し指で私の眉間を軽く押した。
「こだわるのも良いけど、折れた方が楽かもしんないよ?何が邪魔してるのか知らないけど、青山君に冷めて話しかけたくもないわけじゃないなら、もっと考えたほうが良いって」
有無を言わさぬ由佳の態度に、私は考え込んでしまった。前を歩く人のかかとを見送りながら、私は様々に浮かび上がる仁への思いを整理するのだった。
ーーー
空を怒らせてしまった。
先に席を立った彼女の後ろ姿を見送りながら、俺はチャットの既読がついていることに少し安心した。
そんな風に安堵していると、後ろから勝山が小突いてきた。
「おい、何してんだよ」
柳を待たせている様子の勝山は、俺に鋭い目を向けた。冬休み中、俺は勝山に空との仲を戻すにはどうすればよいか彼に相談したのだ。
……正月を過ぎてからだったが。
なにせ、どうすれば良いかもわからなかったのだ。悩みに悩み、部活に精を出し、更に悩んでいるうちに冬休みが終わりそうになっていたのである。最初に助けを求めた時は、まだ続けていたのかと呆れられた。
「……すまん、話せなかった」
久しぶりに見た志龍はぼうっとした雰囲気を纏っていたが、下手に刺激してまた烈火のごとく怒鳴られるわけにはいかないと悩んでいるうちに、気づけばチャットをうっていたのだ。それを見せると、勝山は「おい、逃げるな!」と呆れたように笑いながら俺をスマホで小突いた。柳も「長期戦で緊張するのは分からなくも無いけどさあ」と言った。
「いいか、志龍のやつは中身はヘタレなんだからよお、あいつのペースに任せてっとそのまま逃げるぞ。もし良かったらとか関係なく、今日あいつと帰って謝っとけ。俺理由知らねえけど」
最後の最後でとぼけた勝山は、横の柳に額をつつかれていた。柳はそのままスマホを取り出した。
「理由なら由佳から聞いてるし、チャットで送っとくよ。後で読んどいて。それより、早く行かないと遅れるよ」
柳にそう言われて教室を見回せば、もう俺たち以外にはほとんど残っていなかった。日直の谷口がこちらを気にしたようにして、出入り口の近くに立っていた。
「おい、早くしてくれよ。鍵閉めらんねえだろ」
俺たちは谷口に促されるままに教室を出て、体育館に向かった。その途中、ポケットのスマホが震えた。柳が空の怒った理由を送ってくれたらしい。そういえば、俺はそんなことも分からないまま途方に暮れていたなと苦い気分になった。
「彼女が怒ったから、その理由を教えてくれ」なんて、情けなくて聞けなかっただろうけどもだ。俺は思考放棄していたらしい。
そしてようやく知った彼女の怒る理由は、俺の想像もしないことであった。
ーーー
始業式が終わり、簡単な連絡事項を聞いて私たちは解放された。私はさっきの仁のメッセージを見つめた。由佳に言われた、考え直したほうがいいという言葉が、私の頭を駆け巡った。
――別に、嫌いになったわけじゃないし。
悶々とした気持ちで、私はカバンを持って席を立った。まだはっきりとした結論が出たわけじゃないし、仁には悪いけど先に帰ることにしたのだ。
由佳にでも声をかけようかなあなんて思っていると、隣の席からも音がした。
「……すまん、空。一緒に帰っても良いか?」
「……ぁ」
声のする方を見ると、仁が申し訳なさそうな顔を浮かべて立っていた。彼は見たことないくらいに落ち込んでいた。
――そんなに気にするほどのことでも、ないのに。
ふと、そんな風にも思ってしまう。でも、固くなった私の頭は、どうにも彼のことがまだ許せないらしい。
「……好きにしろよ」
そんな素直じゃない言葉を、私は気付けば吐いていた。
……いや、時間が経って寂しくなったから許すだなんて、チョロすぎるだろう!
私は言い訳がましく咆哮した。もちろん、心の中で。




