すれ違い
それはある日のことだった。
12月に入ってしばらく経ったとある日、薄い色の青空とコートとブーツの間の冷気に時折注意を逸らされる日だった。
いつもの駅前で待っていた仁と合流した私は、駅のロータリーを東に抜けた交差点にあるコーヒー喫茶チェーン店で、暖を取るついでに駄弁ることにした。
流石の仁も12月にもなると寒さを感じるらしく、薄手のウインドブレーカーを羽織っていた。なんでも、コートは暑すぎるらしい。私はカフェオレのような色のダッフルコートを脱ぎながら、彼の寒さへの強さに呆れた。
「空は寒いの苦手なのか?」
「や、寒いのはみんな寒いでしょ。仁が強いんだって」
「よく言われる」
「じゃー分かるじゃん」
そんなことを言い合いつつ、私たちはメニューを眺めた。
話題は何を注文するかというところから、最近流行りというおどろおどろしい量のクリームが入ったコーヒー、それをクラスの女子がやけに好んでいること、そこから巡り巡って私の奇妙な高校生活にまで飛び火した。
しかしまあ、自分でもよくここまで変われたなあと感心すらする。私は結構浅い人間なのかもしれない。……いや、そんなことも無いはずだ。
私は今までとても悩み、時に泣きすらし、そして薄々としたチョロさを無視しつつもこの目の前の物静かな男と付き合うことになっているのだ。
今の状態は私が沢山悩んで沢山支えられて得た、大切な私といういち女子のかけがえのない……。
「空も、結構頑張って女子然となったよな」
「――は?」
これは私が、自分でも嫌になるほど
つまらないのに譲れない、大事な何かをかけた大げんかの火ぶたであった。
ーーー
――空に怒られ俺は一人、喫茶店で二人分の飲み物と一つの甘いケーキを前に頭を抱えていた。
何が彼女を怒らせたのか、それはぼんやりとしか分からない。
俺はただ、でも案外空には男の時から女子っぽいとこもあったんじゃないか?と軽口を言いかけただけなのだから。
そんなに悪い話だったろうか?空気もそんなに悪くなかったし、冗談を言い合うような空気感だったはずなのに。いや、空にそう軽々しく性別のことを言うのも悪かったのかもしれないが。
あいつだって、「私は元男なんだぞ~」と言いつつスキンシップを取ってくるくらいなのに、俺が言ったらあんな店内に響くほど怒るものなのか。
俺は俺が何を言ったのか、目を閉じて思い出してみることにしてみた。
「……何言ったんだか」
頑張って女子っぽくなった、と言っただけではなかったか。何か余計なことを言っただろうか?
「……結構……いや、もっと前か?」
なにぶん、いろいろと話している最中だったものだから、何が彼女の逆鱗に触れたのかはっきりしない。
気分を紛らわそうと食べた、彼女が好きだという甘いチョコケーキはほろ苦さのみが舌を伝った。
ーーー
ムカつく。
私の心は今それに尽きた。筆舌に尽くしがたいとはこのことだ。
何が、結構。何が、女子然。
私はずっと私ですが、結構ではなくものすごくでしたが。
そう、結構。
カチンときた。今まで私が悩んだり頑張ったりしてきたことを、彼……あいつは忘れてしまったんだろうか?
そう思うと悲しい気もしたけど、それよりなによりムカついた。お腹の奥がじりじりと、マッチ程度から火山のように膨れ上がる私の怒りで軋んだ。
「――信じられない!この化粧も服とかも!結構ですむほど気軽にするようになったとお思いで!?」
私はかみ殺すように、しかしながら煮えくり返った声で呟いた。
町ゆく人たちを一切無視しつつ、私はどこへ向かうでもなく歩き回った。目に付いた角を曲がり、気に食わない集団を追い抜かし、気まぐれに細い道を何本も抜けながら、私はあいつが言い放った「結構」という一言への怒りを深めた。
私が頑張ってこうなった、とか。私があいつに惚れちゃってこうなった、とか。そういう褒めるとか茶化すとかなら笑えただろう。
しかし、結構はダメなのだ。うまく言葉にできないが、気づけば私はあいつに怒鳴って出て行ってしまった。
「もう、口なんてきいてやるもんか」
私の、訳も分からないうちに打ち出されたこの覚悟は、意地となって私の心に染み込んだのだった。
ーーー
「――へえ、喧嘩」
「いーや、喧嘩というよりお説教」
「何も説いてないけどね」
「無言も言のうち」
「なんとまあ」
あいつと入ったところとは離れたとあるファミレスにて、呼び出した由佳とブランチがてらに私は話した。「ありえなくない?」。そんな私の大きな不満に、彼女は食い気味で「どっちが?」と言った。
もちろんあいつである。私は大いに抗議した。
由佳は話が分かるので、「あぁ、まあそうかもね。青山君も信じられないヨネ」と言った。
「私だってさあ、そりゃ強がってとか恥ずかしがってさ、女々しい感じは見せてなかったかもしれないよ?」
「うん」
「でもさ、なんかわかんないのかね、髪型とか結構変えたりしてるんだけども」
「あ、そうなの……ああいや、うん」
「私もそんな気軽にこんなになってないよ。誰のためにここまで頑張ったと思って――」
「――あの、あの。空?」
「何さ」
由佳が不意に私の語り口を止めた。
私はポテトをつまみつつ聞き返した。彼女はコーラを一口含んでから言った。
「満足した?」
「全っ然」
私はその後も由佳に不満を聞いてもらいつつ、青山仁許すまじ、許しが欲しくば誠意を示せという気持ちを深めることになったのだった。




