猫よ来い
私は今仁の家の縁側にて、猫を待ちつつストーブの熱をお尻に受けて温もっている。仁は日課だという素振りを何故か外でしだしたところだ。寒い寒いと最近こぼしていたが、竹刀を持つと違うらしい。冬の気配が漂う薄い青空の下、仁は額に汗すら浮かべていた。
玄関先までひっかけていたコートを畳み、背負ってきた小さめのリュックと共に部屋の隅に追いやった。次第にお尻の辺りが熱くなってきたので、私は少しくらいなら平気だと縁側から足を出して腰かけた。仁は「なかなか来ないな。いつもは来るのに」と一心不乱に竹刀を振っている。
そういえば猫が来るときは素振りをしている、なんてこの前言っていたのを思い出した。彼がこうして竹刀を振るのも雨乞いみたいな感覚なのかもしれない。
そして厚いタイツ越しの風で足先が冷えてきた頃、一匹の黒猫が盆栽棚の裏に姿を見せた。
「おおぉ……!おお……!!」
私はうめき声を上げたが、青山は静かにしゃがんで手を揺らせた。
「空、多分ストーブの近くの襖を開けたらキャットフードがあるから、出してきてくれないか」
「分かった!」
私は小走りで襖に近づきそれを開けると、確かに開封済みのキャットフードが置いてあった。持っていくと、仁は縁の下から皿を取り出し、庭に備わっている蛇口をひねって洗うと、キャットフードをパラパラと盛った。
いつの間にか増えた茶ブチの猫と黒猫の近くに仁が皿を置くと、二匹はカリカリと餌を食べ始めた。私はしきりに感動し、ほどよく小さな生き物が食事をするシーンをまじまじと見つめた。
そんな私に、汗を垂らした仁が歩み寄った。
「空、こいつらは意外と人懐っこいから……服とか汚れるかもしれないけど、いいか?」
仁は私のデニムスカートを見ながら言った。確かに半ば野良なら、触れ合った時に服も汚れるだろう。しかし、私は対策を講じている。ゆえに私はフフンと鼻を鳴らす。私は彼に後ろのリュックを指して見せた。
「着替えもってきてるから大丈夫。存分に私を汚してくれても良いのだよ」
「そ、そうか……まあ、何よりだ」
仁はそう呟くと、少し着替えてくるからと言って、縁側近くの階段を上っていった。彼の部屋は二階にあるらしい。
さて、ほのかに後ろからストーブの熱気を感じつつ、私はキャットフードをそれなりに食べつくした二匹を見やった。これは仁が「後は若い二人に任せて」と言って猫と私を二人きり……一人と二匹きりにしてくれたに違いない。私はさあ来いと身構えた。
黒猫の方が先に動いた。ナァオと低い声で鳴いた黒猫は、ゆったりとした所作で縁側に近づき、私の真横に着地するように跳び上がった。人とは比べ物にならないほどに軽やかな猫は、かつて猫から不興を買ったことを思い出し、どう振れればいいか分からなくなっている私のひざ元を一瞥すると、ストーブの方へと歩いて行った。
「うっそおぉ……ストーブに負けた……!」
しかし、私とて怯むわけにはいかない。茶ブチの方を見ると、茶ブチも縁側に上がってきたところだった。黒猫と同じく私を見ると、スタスタとストーブに歩いていく。私は少し凹んだ。
「……そうか、ストーブか」
私は猫は寒いのだと察した。そりゃ私の膝よりストーブをとるに決まっているのだ。私は勇気が湧いてきた。鼻息を一つ吹くと、私は四つん這いになってストーブ脇にすり寄った。何事かとこちらを見る二匹と目を合わせつつ、ストーブにほど近いスペースに腰を落ち着けた。
「――おいでおいで~」
私は呟くが、二匹は動かない。試しにさっきの仁と同じように手を揺らす。黒猫は興味を示していたけど、茶ブチは既にそっぽを向いてしまっていた。
「これはどうだ」
次は正座をしてデニム越しに太ももを叩く。あわよくばここに乗って欲しい、何ならその毛並みを堪能させて欲しい。私は熱を持って二匹を見つめたが、とうとう黒猫にすら嫌われてしまった。
それぞれが毛づくろいをしたり丸まったりする横で、私は正座の体勢から派生した五体投地(うつ伏せ)にて唸り声を上げた。
「――おや、チャチャにスミじゃないか。仁はどこにい……空さん?」
「――あ、幸さん」
そこにリビングでテレビを見ていたはずの幸さんがやって来た。私は急いで居ずまいを正す。幸さんは茶ブチの子を抱き上げつつ「どうしたの?」と言った。
「猫と駆け引きをしてるとこです」
私がそう言うと、幸さんは「なるほどね~」と茶ブチの子を揺らした。私の目は満足そうに目を細める茶ブチに釘付けになった。幸さんがクスクス笑う。
「フフフ、この子達は基本人に慣れてるから何をしようと抵抗しないよ。あぁ、もちろん暴力とかは逃げちゃうけど。触りたいなら触ってみたら?」
「なんと」
私は何度か黒猫と幸さんを交互に見た。幸さんは「スミは抱かれるのとか好きだよ」と言って、茶ブチの子を抱えたまま胡坐をかいた。茶ブチの子を撫でさする手に憧れを抱きつつ、私は黒猫に向き直った。
「スミさん……失礼します」
スミさんは一声ニィと鳴いただけで、私が差し出す手を睨むばかりだった。
「あはは、緊張しすぎだって。取って食うのかと思っちゃうぜ」
幸さんは気楽に笑う。私はいくつか深呼吸をして、改めて「失礼しま~す」と手を伸ばした。
指先に自分とは違う温もりが触れた。
「おぉ……」
スミさんはこっちに顔を向けるだけで、別に爪を立てることはなかった。気を良くした私は、思い切って手のひらでスミさんの体を撫でた。もふっとした触り心地が気持ち良い。上等なカーペットのようである。
「スミさんは昨日拉致って洗ったから綺麗な方だね。おかげでしばらく抱けないけどさ」
幸さんはそう言って「抱き上げてみそ?」と言った。私は生唾を飲み込んだ。
恐る恐るスミさんの体の下に手を通すと、スミさんは大人しく私の腕の中に納まった。
「こ……これが猫の重み」
私は自分の腕の中でのんびりとするお猫様に感動した。半野良のくせにここまで人懐っこくて将来大丈夫なのか。保健所にもあっさり捕まりそうなものである。私が抱き上げられたのを見て、幸さんもいくらか驚いていた。
「おわ、ホントに抱けちゃった。猫パンチくらいはもらうかと思ってたのに」
どうやら私は意外にも猫に嫌われてはいないらしい。行けば拒まれなかったようだ。
「たまにいるよね〜、動物に嫌われないタイプ。空さんはその口なのだね」
幸さんの言葉に私は微笑んだ。私にはさっぱりそんなタイプだって自覚はないけど、もしやこの身体のせいなのかもしれない。
女体化バンザイだ。私は初めてこの身体に付いてきた特典に感謝をした。……さて、初めてかは分からないが。
「ふふっ……ふふふっへへへ……可愛いのうスミさん……」
私は緩んだ頬に任せてスミさんを撫でた。スミさんを膝に導いて撫でる私は、しばらくこの大人しい黒猫の手触りに没頭するのだった。
ーーー
「……何してるんだ?」
仁が黒いジャケットを羽織った姿で降りてきた。黒いチノパンに守られた脚がスラリと長い。スミさんのような格好で降りてきたなと思いつつ、私はスミさんの顎をくすぐった。
「見てわかんない?私は今幸せなのだよ」
私がスミさんの肉球に触れようとすると、スミさんは嫌そうに手を逃がす。まだここには触れられないらしい。私は残念に思いながら彼の額をくすぐった。スミさんは雄である。
仁はあっけにとられたように「そうか」と呟いた。彼は日頃から触れ合っているから、猫が家にいる感動がわからないに違いない。
幸さんはチャチャを下ろしつつ仁に「おい」と言った。
「そうだそうだ、私聞くことあったんだわ。なあ仁、それに空ちゃん。昼飯どうする?」
幸さんは「二択ある」と言ってピースサインを差し出した。
「シーチキンとビーフジャーキー」
「安心してくれ。空が作るそうだ」
幸さんは「ほう!」と言い、仁は「……だよな?」と不安げな目で私を見た。
「う、うん」
シーチキンかビーフジャーキーとはどういうことだろうか。いや、シーチキンはご飯食べられるけども。
私は幸さんへの料理スキルの評価を疑りつつ、昼食を作れることに胸をなでおろすのだった。
最近NLを書き始めた是々非々です。
そのうち投稿します。




