落ち着いてくるころ
私は緊張しながら日本家屋の門を叩く。不便だろうに、この家にはインターホンが無い。
秋の気配も失せ木枯しが吹き荒ぶ今日この頃、私はいつになく緊張しながら上着のダッフルコートを整えた。
仁とは文化祭以降、着実に男女仲を深められていると思う。メイドコスをして以来、私はちょっと色気を出すことに慣れてきたし、仁は何故か私のことを赤面させようとしてくる。
風邪のお見舞いに来て以来、彼はたまに見せたいたずら気な気質を強めている。
「嫌じゃないけどなぁ」
最近、仁を見たと家族がうるさい。私はそれに生返事を返すばかりだが、今日の帰りも騒がれそうだなぁと思案した。
目の前の門が開き、私の目線より高くの位置に顔が出てきた。
「よう、まあ上がってくれ」
「びっくりした……音もなく現れるんだもん」
仁は静かに私を迎え入れ、私は音もなく現れた彼に驚かされた。
本日は青山家での『お家デート』である。
ーーー
空が我が家に来ると言う話になったのは、文化祭よりしばらく経ったある日のことだった。
まあ、もとより約束はしていたのだ。それに踏み切る気になれば、いよいよ話はいつ行くか、ということになる。
俺はすぐにでも、と思ったが、空は良い顔をしなかった。
「でも、連れ込むとかは良い顔されないんじゃないの?」
空はおずおずとそう言った。
俺は確かに家族に半目で見つめられる気もするなと思い、返事を言い淀んだ。空は「だからさあ」と続けた。
「外で……イ、触れ合うのに慣れたら行こう!」
段階を踏むという姉さんの一言は、空に何かの決意を抱かせたらしい。清らかな関係思想は空にむやみな影響を与え、彼女をめくるめく純情の渦に引き戻した。
前々から自然とイチャつけてきていなかったか。そう思わなくは無いが、彼女がより積極的になるならまあ良しとした。
「仁、これから部活?」
「ん?あぁ」
例えば放課後、俺が竹刀を持って剣道場に向かおうとすると、先程まで柏木や南原と姦しくしていた空が、話を切り上げ追ってきた。
俺は立ち止まって振り返ると、少し息を切らせた彼女が「気づけて良かったー」と言った。
「部活頑張ってね!」
空に尻を叩かれた。にっこり笑った彼女に見送られ、俺は廊下を進んだ。
果たして尻を叩くというのは触れ合いなのだろうか。まあ、何となく気合が入ったので構わないが。
突然曲がり角から坊主頭が飛び出てきた。妖怪かと思いきや、それは俺のことを見ていたらしい剣道部の丸鐘さんだった。
「青山ぁ……廊下で堂々と亭主気取ってんじゃねえぞぉ」
その日、丸鐘さんの打ち込みはいつもよりキツかった。全ていなしてやったが。
どうやらクラスの奴等にも見られていたようで、次の日散々茶化された。
他にも、空は登下校の時に昇降口から手を繋ごうとしてきたり、部活終わりまで待っていたりする日もあった。
「……なあ、最近家によく猫が上がりこむんだが」
「……なるほど?」
そんな日々を過ごしていたが、段々と空もすることが決まってきていた。朝手を握られ、昼はことあるごとに話しこみ、夕方はまた明日と声を掛け合う日々は充実していたが、いよいよ俺の痺れが切れた。
この空気感は心地良いが、計画を出すだけ出して自然と消えていく時の空気感に通ずるものがある。
俺は睨み合いから踏み込むが如く空を誘った。
「……試しに」
空はおずおずと俺の手を握った。今は公園のベンチにて、それぞれ買ったホットスナックを食べているところだ。ハッシュドポテトを左手に持ち替えて、俺の手に手を重ねた。
往来には下校する中高生や、駆け回る小学生、スーツを纏う中年が闊歩している。
「うわー!カップルだ!」
そう言って駆けていく小学生に、空は微笑みを向けた。
「にひ、自然だ」
彼女は確かに赤面していたが、物怖じせずに手を握った。最近は彼女の彼女ぶりも堂に入って来ており、クラスや部活でも「またやってるよ」といった扱いを受けている。
彼女に先手を取られているので、俺としてはもどかしい限りだ。まあ、我慢強く勝つというのが信条ではあるのだが。
「週末、家来るか?」
「おう!」
こうして空が家に来ることが決まった。木枯しから身を守るため、固く握った空の手が温かい日であった。
いつになったらインターホンが付けられるんだと不満ともつかない思いを抱く門の方から音がした。遠慮がちに叩かれた門を開くと、空がびっくりしたような顔を向けてきた。
「よう、まあ上がってくれ」
「びっくりした……音もなく現れるんだもん」
空はそう言って門をくぐった。
これが青山家に志龍空が通う初日となる。
ーーー
「――おや、この間の空さんじゃないか」
仁について家に上がると、すぐに声をかけられた。
石畳の玄関に靴を揃えて広めの廊下へと進むと、先にある階段から幸さんが降りてきた。今日は長めの髪を後ろでひとまとめにして前に流している。
「こんにちは、お邪魔してます」
私が頭を下げると、幸さんは「うむ。くるしゅうない」と言って廊下の奥へと消えていった。直後にくぐもったにぎやかな音が流れてきたので、彼女はテレビを点けたのだろう。
仁は「そういえば」と言った。
「空は午前のうちから来て良かったのか?」
「え、うん」
今は午前10時、少し早いくらいの時間だ。しかし、私がこの時間に来たのには理由がある。
手料理を振る舞うというのはロマンなのだ。
しかし、ここで障害が発生していた。なんと見るからに何でもできそうな上のシスター、幸さんがいるのだ。私は御役御免かもしれない。
「いやさぁ、ちょっとお昼とか作ろうかなって……え、なに?」
私がそこまで言いかけると、仁は私の肩を掴み、私は壁際までのけぞった。
「本当か、空」
仁は私の目をしっかり捉えて離さない。私は何がなんだか分からないけど、少し照れて顔を背けた。
「う、うん」
「……ありがとう」
何のこっちゃ分からないが、私はとりあえず「どういたしまして?」と言った。
仁は「助かる」とだけ言って、私の手をひいて歩き出した。木張りの廊下をギシギシ鳴らしながら歩くと、途中で彼は廊下に置いてある傘立てから竹刀を引き抜いた。
「そういえば日課がまだだったから、ついでに」
仁は習慣を大事にする。私は猫と戯れたいので、別に良いかと頷いた。
しばらく廊下を歩くとガラス張りの引き戸で閉じられた縁側に出た。外には盆栽が立ち並ぶ棚が置いてあり、仁が育てているものだろうと思った。
私はつい庭を見渡したが、野良猫の影は無かった。話と違うなと思っていると、背後でゴソゴソと物音がした。振り向くと、仁が石油ストーブを出してきていた。彼はストーブを置くと、その前にケージを置いてから裸足になって庭に出た。
「これで素振りをしてるとそのうち寄ってくる。ストーブの前で座ってろ」
素足である必要はあるの?そう聞こうとした時には、仁は上段から竹刀を振り下ろしていた。私はなんだかなあと思い、縁側に腰かけて手をさすりつつ、仁の素振りを見学するのだった。
関係って落ち着いてくるよね。




