文化祭 青くあれ春
数日前に比べてすっかり軽くなった頭を持ち上げ、私は通学路に出た。念のためのマスクも忘れない。
本日は晴天なり。並びに文化祭日和なり。今日は文化祭当日である。私の手には作れと言われて作ったチョコチップクッキーたちの入った袋が握られている。どこかでぶつけると割れることに思い至り、門の前でそれをカバンにしまった。
私は学校への最短距離の道を少し外れて登校した。理由は簡単だ。私に照れによる自称微熱休みを決断させた憎いやつ、青……仁の家を経由するからだ。迎えに行こうかと言われたけど、母さんと父さんが、何より夏生が絶対にうるさいので私が行くと言ったのだ。
私の家から歩いて15分ほどすれば、彼の家が見えてきた。志龍家のこじんまりした一般的家屋とは異なり、車が何台か並べられそうな庭付きの、二階建ての日本風の建物が見えてくる。庭を取り囲む白い塀に沿って道を行くと、両開きの門のところで仁が立っていた。
私は彼に駆け寄ると、門が少し開いているのに気が付いた。門の間から、眼鏡をかけた綺麗な女の人が顔を覗かせている。私はそれにぎょっとしたけど、直ぐに姿勢を正して礼をした。きっと仁の姉か誰かに違いない。
「こ、こん……おはようございます。」
私が頭を上げると、キツネ顔の女の人は存外優しく笑っていた。
「おはようございます。初めまして、仁の姉の幸といいます。あなたが噂の空さん?」
「え、はい。私は志龍空ですけど、噂?」
幸さんは青山を顎で指した。
「この愚弟が珍しく気にかけてる女子と我が家ではひっそりと評判なのよ。家に押し掛けにも来ないし」
仁は少し居づらそうに足の位置を変えたりして落ち着きがない。というか、今までの彼女は今の私ほど気にはかけてもらえなかったみたいだ。私は少し優越感を感じ、そして押し掛けるということに敏感に反応した。
「え、今までの彼女さんって押し掛けてきたんですか?」
幸さんは少し白けたように笑って頷き、仁はいよいよこちらに背を向けた。
「そうそう、結構代わる代わるに家で挨拶してね、そしてお泊りして帰っていくのさ。我が家では仁は女性をそういう目でしか見ていないやつで通ってるぞ~」
「おい姉さん、冗談でも妙なことを吹き込むな。空が信じるだろ」
仁がようやく口をはさむと、幸さんは「ごめんごめん」と舌を出した。話には色々嘘が混じっていたらしい。私は少しホッとしながら、仁が口下手だから勘違いでもされるのだろうなと思った。
「まあでも冗談はさておき、交際期間のわりに家に連れ込まないのは父も母も評価してるよ。きちんと段階を踏みたまえ、愚弟よ」
幸さんはそう言って仁を見つめた。仁は「分かってるから、もう良いな?」と言って門を閉じた。門の向こうでは「いってら~」という呑気な声と共に、幸さんが遠ざかっていくのを足音が伝えていた。
「……え、えと。押し掛ける?」
「…………」
ついうっかり口とは滑るものだ。段階を踏む、挨拶の後押し掛ける、お泊りする、私は仁のプレイボーイの気配を感じつつ、うっかり爆弾を投下した。
「……もっと自然になれば、な」
「……だっ、だよなー!!」
私は無為に今までため込んだ桃色の知見を一瞬思案し、朝っぱらから何をしてるんだと混乱しながら仁の後に続いて歩き始めた。
肩を並べて歩く私たちの間は、手が時折触れるくらい近い。しかし、隙間風が流れていた。
「……これくらいなら、自然だろ」
「……あぁ」
私が仁のブレザーの袖をつまむと、仁は大きな手で私の手をむんずと掴んだ。
「空は手が熱いな、まだ熱でもあるのか?」
「仁が冷えすぎなんじゃない?」
手を繋いだおかげで気が紛れ、私たちは他愛ない話をしながら登校した。
どこまで繋いでいたかといえば、それは人が多くなってくるまでである。仁は「もういいのか?」と言っていたが、私は「なんか、照れるじゃん」と答えた。
「そうか、嫌じゃないわけだな」
「そりゃ……って、おい」
仁は私の手をまた掴み、私はムッと彼を見上げた。
「いやじゃ、ないけどさ」
仁はそんな私に薄く笑った。
「クラスの連中も、俺たちのことは何となく知ってるだろう?いい加減裏でいじられるのは本意じゃない。これからは堂々としないか?」
確かに、私たち奇妙なカップルはみんな思うところがあると思われる。いや、もう私がどうとかじゃなく、みんな「おい付き合ってんだろ?」みたいな普通の反応をしているが。
それならいっそ堂々としてやるか。
「……改めて言うのも、言いにくいし?」
「あぁ」
私は仁の指に指を絡ませると、仁は驚いたのか少し剣だこだらけの手を強張らせた。
「堂々なら、これだろ」
いわゆる恋人つなぎになった私たちは、そのまま青信号に従って横断歩道を渡り、角を一つ曲がった。
「――あれ、青山じゃん」
「あっ、志龍さんも」
そこには偶然にも菊池と久遠さんがいた。この二人も一緒に登校しているようだが、その様子はすさまじかった。
菊池は自然体で歩き、その腕に久遠さんがこれでもかと絡みついているのだ。中学生カップルの二日目の朝みたいなことをしている私たちとは雲泥の差であった。
私は咄嗟に手を振りほどき、仁の腕に組み付いた。
「……ど、どうしたの?」
久遠さんは少し驚いたように言って、菊池から離れた。
「……や、別に」
なんだか抱き着き損な気もしたが、結局私は青山と手を繋ぐこともなく、四人で今日の話で盛り上がりながら学校に向かうのだった。
ーーー
「はい、メイクするから座ってね」
櫛と私には操れないメイク用品を持った由佳が私を手近な椅子に座らせた。私はすっかり喫茶店風になった教室の奥にある、スタッフ控室というカーテンに区切られた空間に腰を下ろした。
そのまた隣のカーテンの向こうでは、仁や万場がジュースや手作りのお菓子を小分けしている。作ったのは彼らではないが、切るくらいはできるだろという船橋さんと坂田さんの指示である。ギャルっぽい見た目をして、なかなかどうしてしっかりしている。彼女らはオープニングスタッフとしてメイド服に着替えていた。
「あ、空昨日髪雑にして寝たでしょ。櫛通りにくい」
由佳は少し力を込めて私の髪を梳いた。私は「ごめんごめん」と謝ったが、私は全然悪くない。
強いて言うなら、青山が私が寝てる時にあんなことをするのが悪いのだ。おかげで寝て目を瞑るたびに思い出すのだ。ちょっと暴れるくらいは許容内だろう。おかげで髪が乱れるのだが。
「よしよし。ちょっと目瞑ってね」
由佳はそう言って私の前に回った。どうやら少年風の化粧を施すらしい。私が目を瞑ると、柔らかいモフモフした感触が私の顔を化かしていった。
目元に筆が添えられてくすぐったいと思っているうちに、化粧は完了した。目を開けて目の前の鏡を見ると、長髪の男の子風の私がいた。後ろで髪を束ねてしまえば、外国ならこういう子もいそうな雰囲気になる。執事コスをすれば、なおのことそういう雰囲気が強まった。
私は何種類かのキメ顔を用意すると、隣の給仕スペースに顔をのぞかせた。そこには私がやたらに作ってきたクッキーを着服する万場と仁がいた。外から「役得の一つもなけりゃな」と言っていたのはこういうことだったらしい。
「ぬぁ、志龍!?」
万場は焦ったように言ったが、食べかけのクッキーを未だにサクサク言わせている。私は呆れたが、別に咎めもしなかった。
あれがたまたま私の焼いたやつなだけで、他にも矢田さんとかが作って来てるからだ。私は「ちょっとにしとけよ」と笑うと、青山に執事姿を見せた。
「どうよ!なかなかどうしてイケメンじゃない?」
女性的な男子というのはたびたび上品なイケメンという風評を得る。私もそんな感じがする気がするので、男の仁に聞いてみた。
仁は胸を張る私の頭に手を置いた。
「……そうかもな」
「反応悪っ。おい万場どうだと思う」
私は早々に仁に見切りをつけると、横でクッキーを貪る万場に声をかけた。万場はオレンジジュースを流し込んで口を開いた。
「お前のことショタショタ言って盛り上がってんの女子だけだからな。男は女子のことを女子と見るしかねーだろ」
「……それもそうか」
私は男だった時そんな感じだったかなぁと首をひねり、給仕係の二人を置いて控室に戻った。
もう間もなく、開店である。
文化祭って雰囲気楽しかったですよね。高三の時は勉強してましたけど。




