……再告白?
遅れ申した。
私が目を開ければ、時刻は夕方になっていた。茜さす窓からの空は、熟した柿のように赤かった。
いつの間にか替えられていたシーツと毛布にくるまった私は、べたつく汗でじんわりとしていた。まだボーっとする頭から、完治には程遠いなと思った。
身じろぎして壁からドアの方へ体の向きを変えれば、ちゃぶ台のような机に置いてある鏡がこっちを向いていた。
鏡越しに私と目が合い、私は「よ、女の子」と独り言を漏らした。どうして風邪の時はこう変な考え方が頭の片隅に陣取るのだろう。眠る前にも思い描いた、私がオトコオンナになった妄想というのは、風邪の寒気よりも底冷えする冷気を私に運んだ。嫌なことは寝て忘れようとして眠ったのに、これじゃまるで意味がない。
「ううぅぅ~」
熱に浮かされ唸っているとなにやら来客があったようで、インターホンが鳴り、誰かがリビングに通されたような物音がした。
一瞬青山かとも思ったが、そうでもないみたいなので私はぼんやりと横になったまま、眠気に揺らされウトウトした。風邪の一番の特効薬は睡眠だと古来より決まっている。私は今一番苦しくない姿勢を探しあてると、重い瞼に任せて目を瞑った。
――ゆっくりと、重い足音が近づいてくる。
私は数分意識が飛んでいたらしい。階下で再びリビングの扉が開かれる音を聞いて目を覚ました。薄目でじーっとドアを見つめていると、静かにドアは開かれた。
大方母さんかなと思ってそのままぼんやりしていると、くしゃりと頭が撫でられ、耳にほど近いところで「寝てるのか」と低い声が響いた。
「――……あ、え」
「……起こしたか?すまん、苦しいのに」
今度はしっかり目を開くと、青山がかがんで枕元を見下ろしていた。
私は不意に近くに青山がいるのに驚いて、変な声を出したっきりで二の句を継げなかった。
青山はそのまま枕元で話ができるように膝をつき、私は硬直したまま横向きに寝転んでいる。
「具合はどうだ?」
「……大丈夫。それより、来てたんだ」
私がしゃがれ気味の声で言うと、青山は頷いた。いつもよりクールぶった顔が引き締まっているようにも見える。風邪のせいかなぁと思ったけど、真相は定かではない。
「約束しただろ。それより、本当に平気か?喉もひどそうだぞ」
青山は私のおでこに触れた。そういえば、冷えピタを貼っていたはずなのにどこかに行っている。でもおかげでひんやりした青山の手を置かれているので、私は冷えピタの逃亡を不問とした。
「うん、ちょっと痛いかも。でも話くらいできるよ?」
「しゃべらなくても良いから、とりあえず寝とけ。それより、喉も乾いてないか?水は飲んでるか?」
ちょっと微笑んで見せたら、青山は少し私のおでこから頭を撫でると慌てたように手を引っ込めた。そして彼の学生カバンからコンビニの袋を取り出した。中身はよく見るスポドリと栄養ドリンクだった。どれだけ私に水分を取らせるつもりなのだろうか。
とはいえ実際に喉は乾いているので、私は「ん」と返して起き上がった。少し背を上げれば青山は片手で私が起きるのを補助してくれた。湿った背中を触られるのは何となく気恥ずかしかったけど、もはや反抗する元気は持っていなかった。
「開けたぞ、まずは飲め」
青山が蓋の開いたペットボトルを差し出してきたので、私はそれを受け取って喉を鳴らした。風邪の喉は素直にスポドリを流してくれず、少し痛みを覚えながら喉を潤した。
「他に何かして欲しいことがあれば言ってくれ」
「えぇ、いきなりだね」
青山はやけに献身的にものを言ってきた。でも私は後は寝るだけなのだ。
しかし、スポドリを飲んだら目が冴えた。私は「じゃあ、ちょっとそこにいてよ」と言った。青山はテーブルの傍らにある私の座椅子を手繰り寄せて座った。なんか私と目が合う形で座っているが、こうなれば私は大人しく彼と顔を突き合わせるほか無かった。
「――あのさ」
ふと、彼の顔を見つめていると甘えても良いかななんて思えてきた。元々相談とかしてたし、これはその延長だし――私はそんな思いで出かかった言葉を飲み込んだ。
口をパクパクさせる私がおかしかったのか、青山は小首をかしげてこっちを見ていた。座椅子に正座をしているが、長い脚は私のサイズに合わせて買った座椅子からはみ出ていた。
でもそう簡単に言えるものか、「私が男みたいな見た目になったら嫌いになる?」だとか「どうなっても私が好きか?」などと。私が面倒くさい女みたいである。そんなに依存するのは重たい女で、私が昔「ないなあ」と内心思っていた女だ。
私がまごついているうちに、青山はずっと私の目を見ていた。私は何度か目を逸らしたけど、何度見ても目が合った。表情は真剣そのもので、私は青山はちゃんと聞いてくれるんだろうなと思った。
「何か言いたいことがあるなら言ってくれ。きちんと聞く」
「……む」
青山は微かに微笑んでそう言った。私は心がぐらりと揺れるのを感じた。
もし、本当に幻滅されるくらい女の子らしくならなかったら、青山は私から離れるだろうか。そりゃ離れるか、だって私だって男の時は可愛い女子と付き合いたかったもんな。
背筋が冷える思いがして、私は布団の中で丸くなりながら毛布で口元を抑え、おずおずと彼に問いかけた。
「――わ、私、男だったじゃん?」
「あぁ、そうだな」
青山は迷いなく頷いた。
私は切り出したものの、これから言うことに後ろめたいような恐怖を感じ、ますます縮こまって小声で続けた。
「もしさ、私が……これから成長して……お、男みたいになったら、青山はどう思いますか……」
尻すぼみになりながらも言い切ると、私は自分の鼓動がいつかの告白の時みたいになっているのを感じた。たぶん、風邪も相まって顔は真っ赤だろう。
青山は少し面食らったように眉を上げると、すぐに口を開いた。
「それも空かと思う」
「それも、私?」
青山は深く頷き、続けた。
「空が男みたいになったらと言っても、だから空は俺のことを嫌うのか?」
私はその質問にすぐさま首を振った。青山はそれを確認するように頷いた。
「俺はそもそも……というより、阿呆以外の男はみんな、好きで一緒にいて気が楽な女子と付き合いたいに決まってるだろ。空は一緒にいると……落ち着くし、何より頼りになる女子だ」
珍しく長く話した青山の言葉に圧倒されながら、私は「そ、そう……なの?」としか返せなかった。
青山は「そりゃそうだ」と言った。
「俺はよく、空の素直な態度や筋を通す言葉に助けられてる。もらいっぱなしで、俺の方が幻滅されていないか不安だ」
「や、私はずっと青山に支えてもらってるし……」
私は思いもよらない言葉でドギマギし、取り繕うように青山に答えた。青山は納得いかないようで、また言葉を続けた。
「意地が悪いが、逆に聞くぞ?俺が化け物みたいな風貌になれば、空は俺を見放すか?」
私は少し考えた。
目の前の青山がどろどろのオバケみたいな見た目になったとしよう。いや、どろどろのオバケは怖いな、でも中身が青山なら怖くないかもしれない。路線を変えてバーコードハゲのおっさんならどうだろう?だめだ、男ならスパッと諦めて丸刈りにして来い、としか思えない。
だってきっと、そんな見た目でも青山は青山だろうからだ。私は今でもこいつの顔は怖めだなあと思ってるけど、ふとした時に崩れるのが可愛いので大丈夫、とか考えてるのに。……いや、でもめっちゃキモかったらダメかもしれない。
「……わかんない」
私は結局そう言った。妄想が行き過ぎてよく分からなくなったのだ。
青山は私の頭を撫でて「そうだろう?俺もだ」と言った。
「俺も正直、空が男みたいになると言われても、今から男みたいになるなんて思わんな」
青山は私の前髪を上げつつ言った。
「……なんで?」
私が聞くと、青山は目を逸らして、前かがみになってベッドに肘をついて私の耳に近づいた。
「付き合い始めてから、ずっと空は綺麗になってきてる」
「……ひゃえ?」
私は少し耳を疑って彼を見上げた。
青山は勝ち誇ったような笑顔を向けて、ベッドに肘を置きながら腕を組んでいた。
「聞くところによると、女子というのは好きな男がいると綺麗になるそうだが」
「……く、くっさいセリフ、言いすぎだぜ?」
私は目を逸らしてそう言ったが、青山は「……言うな、今は」と漏らした。
「なぜそんなことが気になってるかは知らんが、なって嫌な自分よりなりたい自分をイメージしたら良い」
「なりたい自分?」
「あぁ」
私はなりたい自分――青山に好かれる私を想像した。
青山も褒めてくれたし、やっぱり尻叩きというか、へタれたり悪いことをしたらちゃんと言わないとと思う。でも、それよりもご飯とか作ってあげたいなあなんて思うし、何より……青山がもっと惚れてくれるように、綺麗になりたいなぁと思った。
自分で思うだけでも照れるのに、そんなことできるかなと思い、青山の顔を見た。
「……えへへ、頑張る」
「……そうか」
私は悩むのをやめて、もっと自分から女っぽくなろうと思った。
照れていたんじゃないかって?そんなこと、いつまでもそのままで青山が私を好きで居続けてくれるとかいう甘い考えと共に吹き飛ばした。
命短し恋せよ乙女、恋とは戦争なり。戦わずに胡坐をかける女というのは、それは妻くらいのものである。それまでは、私はずっと攻め続けるのだ。
「ありがと、青山」
私は改めてそう言うと、青山は急に顔をしかめた。
「空は俺を名字で呼ぶよな」
青山はそう言って私を見つめた。私はいつだかに仁と言って以来、これまた気恥ずかしくて名字呼びに戻してしまっていたことを思い出した。
そうだ、私は攻めるのだ。私は不退転の覚悟と共に、目を背け耳を熱くしつつ口を開いた。
「ひっ……仁、ありがとお」
私はなんだか二人きりで下の名を呼びあうというのが、とてつもなく特別なことのような気がして小声になりながらそう言った。
青山は顔を赤らめつつ、「気にするな」と呟いた。
「なっ、なんかさ、告白し直したみたいな、そんな感じがする」
改まった雰囲気で、相手のどこが好きかを言い合うなんて、私としては「好きです!」というよりハードルが高い気がした。そう言うと、青山は「そうかもな」と言った。
「――前の告白の時は、空から仕掛けてきたな」
「ふぇ?」
青山は身を乗り出し、かつ私の頬に手を添えた。私はそのまま固まって、青山はそのまま口を口に落として見せた。
あえて口に出すならば、マウストゥマウス、接吻、口づけ、キッス――私は頬にしかしたことのないそれを、仕返しと言わんばかりに未使用の口に落とされた。
あまりの出来事に全身が震え、顔が燃え盛るような感覚に襲われ、そして一部始終を見届けた目は彼の口にしか行かなくなった。
「――………………かっ!!風邪ッ、う、うつるぞ!!」
「人にうつすと風邪は治るらしいぞ」
「……もおぉぉぉ……もうっ!」
私は嬉しいやら恥ずかしいやら訳の分からない感情を閉じ込めるように布団に潜り込み、青山は布団越しに私をポンポン撫でると、そのままベッドから退いたらしい。
そのまま青山が出ていくまで、私は顔を出せなかった。
こんなニヤけ面をしておいて、彼の前に顔など出せるものか。私は何度かあの感覚を反芻すると、大人の階段を何十段何百段と上った気がして浮ついた心地になったのだった。
一度くらい接吻をせねばならぬ。
それがサカの掟。




