夢は虚妄で
久々の頻度
朝いつも通りに起きる。カーテンの隙間から漏れる朝日が白み、私の目元をちらちら撫でた。
そういえば今日は月曜日だったなと思い出し、私は日曜の気分と決別した。むくりと重い頭を上げ、ずしりと鈍重な足を振ってベッドから降りた。
部屋から出れば、丁度夏生も起きたらしい。彼女も寝ぼけ眼を擦りながら部屋から出てきていた。
「おはよ、夏生」
本調子でない喉でぼやくと、いくらか低い声が出た。夏生はわずかに私の方を向いた。
「んー…………はよ……」
二人揃って階下に降りれば、母さんも父さんも既に起きていた。父さんはスーツで新聞を読み、母さんはその横で紅茶か何かをすすりながら座っている。
私たちの席を見れば、トースト2枚とハムエッグが置いてあった。今日はパンの日らしい。
「いただきます」
ずずっと音を立ててコーヒーを飲むとブラックのままだった。あぁ、いけないいけないと砂糖を探したが、眠気覚ましには良いかと思ってそのまま飲むことにした。
苦味で目が覚めるかと思ったが、このコーヒーは酸味が強かった。
何も無く朝食も食べ終わり、私は制服に身を包んで家を出た。今日は見事な晴天で、いつぶりかというくらい爽やかな朝だった。
青い空の下で機嫌よく歩いているうちに、勝山に会った。勝山は昨日デートで疲れたのか、しきりに伸びをしたり肩を回したりしていた。
「なんだよ、お楽しみだったのかよ」
私がそういえば、勝山は小さく噴き出して私の背を小突いた。
「バッカ、変な事言うな!」
「否定しないじゃねーか」
「うっせえ!」
含みを持たせた言い方だったが、どうやらかま掛けは成功したらしい。勝山はまたもや楓と懇ろだったようだ。これが若さと言うやつか。
「金曜からずっと言ってたもんな。いい加減惚気てくんなよ」
「良いだろ別に。せっかく彼女できたんだしよ」
私がまあなと返せば、そこで話は途切れて歩くだけになった。
気づけば昇降口に着いていた。勝山に急かされつつ靴を履き替えると、今日もまた朝練終わりの菊池と久遠さんがイチャイチャやっていた。お元気なことでと横を通り過ぎ、教室へと向かった。
教室に入ると、それまで自分の席でスマホをいじっていた谷口が寄ってきた。「おはよ」と言えば、谷口も「おう、おはよう」と機嫌良く言った。
「何かあったのかよ?」
そう聞けば、谷口は不敵に笑った。
「ふふふ……見よ!今朝ガチャでクウたんが当たったのだ!」
谷口はスマホをかざした。そこには最近流行っているソシャゲの画面が写されており、谷口が近頃推してやまない女の子キャラが乳と太ももを強調するポーズで立っていた。
やや茶髪がかった黒髪を肩元まで伸ばし、ぱちりとした黒目が愛らしい。少し大きめの胸とすらりとした脚が男心をくすぐる、爽やかな印象を受ける少女であった。
「見ろよこの幼馴染感……圧倒的だ、もう俺はクウたんに朝起こしてもらいたい」
「極まってんなあ……まあ良かったな」
「谷口も好きだなあ」
私も勝山も、揃って微妙な反応を返した。それでも谷口は満足したようで、「そうだろうそうだろう」と言ってスマホをしまった。
場所は移り、谷口の席に3人で集まった。近くの空いた席の椅子を拝借し、谷口の机を囲った。
「……はぁ。勝山はまたしても懇ろか。万場にいつか刺されるぞ」
「なんだ谷口羨ましいのか?お前も当たって砕けろよ」
勝山が自慢げに言うと、谷口はしかめっ面をうかべた。
「砕けちゃいかんだろ、砕けちゃ。俺は失恋したことないのが取り柄なのだ」
「しようがねえだけだろーが」
「やかましい」
「まあまあ、谷口もそのうちくっ付くって」
私が二人に割って入ると、谷口は怪訝な顔をした。
「なんで志龍がそんな達観してるんだよ」
「え」
勝山はやれやれと首を振った。
「全くだ。未だに女子の前でイキりだす童貞のくせに」
「えっ?」
二人がそう言えば、私の足元は大きくうねり、やがてうねりは波となって私を大海へと押し流した。私が自分を見下ろせば、そこでは私は男子用のブレザーを羽織っていた。
「えっ?私、私は……?」
「私ってなんだよ、女みたいに」
私の呟きは、谷口の訂正で打壊した。ぐらりと頭を揺らされ、私はどんどん深海へと落とされる。
「えっ?うそ、私……オレ?」
信じられなくて、波に揺られながら服を脱ぐ。制服はまるで鉛のように重く、なかなか体から離れない。服を脱ごうともがけばもがくほど、更に深みへ沈んでいく。
やっとシャツ1枚になると、オレの体はすっかり力強さを取り戻し、そこには女性らしさは無かった。
底冷えするような感覚に襲われ、私は光の届かぬ深海へと辿り着く。私はただ青黒い世界に一人でいた。
「志龍もいい加減告ったらどうだ?柏木が良いとか言ってたろ?」
「え……あ……」
勝山の気軽な声が木霊する。私は何も答えられず、震える手でベルトを外した。
ズボンを履き捨てれば男物のパンツが顔を出し、それすら放り投げれば男の象徴は確かにそこにあった。
俺は生まれたままの状態で放心した。
「うじうじしてんなよな、男だろ?」
「まあ志龍も、俺と同じく確実な勝利を狙っているのだろう」
「ヘタレのだけじゃねーか。おい志龍、しっかりしろよ?」
どこかで二人の会話が聞こえる。
それを俺は聞き流しながら、俺の身は闇に溶けてゆく。
「いやだ」
体の輪郭がぼやけても、その言葉だけは確かに響いた。
ーーー
「――っっっやだっ!!!」
私が飛び起きると、カーテンの向こうは未だに真っ暗だった。暗くて自分の体はよく見えないが、まるであの深海から抜け出てきたように、体中が濡れていた。
「――や、やだ」
私は怖くて一人で体を掻き抱くと、華奢な体がくしゃりと曲がった。胸元は柔らかく、髪は長かった。恐る恐る股を触れば、そこに突起はいなかった。
「――ふぇ……」
良かった、本当に良かった。安心して私は脱力した。
私は汗だくの体を拭こうともせずに涙を零した。夢だと今は分かっていても、それでも私は嫌だった。
私は枕元に手を伸ばしてスマホを取った。液晶は深夜2時半を示していた。汗のせいで反応の悪くなった液晶に構わずフリックして、私は通話ボタンを押した。
長いコール音が部屋に響く。ぐしょりと濡れた掛け布団を手繰り寄せ、私はミノムシみたいに体に巻いた。
最初のコールに反応は無かったが、私はすぐさまニ度目のコールをした。
今度は相手が反応して、耳元で『……なんだ?』と眠そうな声がした。
「……ごめん。こんな時間に」
嫌われたら嫌だな。そう思いながらも私は安心していた。それでも嫌われたくないから、私は最初に謝った。
『構わない。それより、何があった?声が震えてるぞ』
青山はゆっくりと話した。私は寒気を覚えながら鼻水をすすった。
「……怖い、怖い夢を見たの」
『……電話するくらいにか。かなり怖かったんだな』
「うん……怖かった。怖かったんだ」
『大丈夫だ。俺が見といてやるから』
「……ん」
暗闇の中、ただ青山の声だけが私に届く。私はそれだけで安心し、いくらか話してはいたものの、そのままいつしか眠ってしまった。
今度の暗闇は怖くない。
悪夢は次は見なかった。
ーーー
次に起きると、時刻は七時だった。
また眠っても遅刻するだけだなと、私は大人しく布団を出た。
「さむ……」
そういえば、ぐしょ濡れの体を拭きもしなかったんだった。
私は体をさすりながら、フローリングを濡らさないよう裾をつまんでお風呂に向かった。パジャマを脱ぐと、シャツなんて濡れ雑巾みたいに湿っていた。玉のような汗が素肌を伝う。重くなったブラを外し、ズボンとショーツをひと息に脱ぎ捨てた。
お風呂場に入ると、肩くらいまでの髪を垂らした、汗ばむ女の子――私がいた。ぐにぐにと柔肉を揉んでみても、どこもかしこも女の子だった。顔をよく見ても、パチリとした目が眠そうなだけに映る。骨ばってない丸顔だ。
温かいシャワーを浴びると、眠気も一緒くたに流れ落ちた。強張っていた身体もいくらかほぐれる。
気持ちの良いお湯の弾ける感触を味わっているうちに、あの寒さも消えていた。
「あら、おはようソラ。朝からシャワーなんて女の子らしいわね」
タオル一枚で廊下に出ると、トイレの前で母さんが立っていた。私は女の子らしいという言葉で少しうれしくなった。
「ふふん、そうでしょ」
「……やけに素直ねえ。まだ寝ぼけてるのかしら?」
母さんはそう茶化してトイレに入っていった。流石にこれ以上は話は続けられない。道すがら父さんの目を潰しつつ、私は今度こそちゃんとした制服を着に部屋に戻った。
流石に九月といえども昼間は暑い。長袖のワイシャツを身に着けて腕まくりをした。
少しボーっとする頭を振って、私は朝食を頂いた。お味噌汁を啜ると、ワカメが入っていた。なんだか夢とつながってるなあと、ぼんやりしたことを考えた。




