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男子やめました  作者: 是々非々
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それはとかくも時期来たる

スローで申し訳ない。

 地球の北のてっぺんと南のてっぺんに住む生き物たちのために用意された住処というのは非常に寒い。

 なのでここ、北極・南極館は私たちに白い生き物たちとの出会いと、汗ばむ肌を凍てつかせる冷気を提供してくれる。

 はじめは私だってペンギンを見てはしゃいでいたさ。アザラシを見ておでこをひんやりとしたガラスにくっつけて眺めたさ。しかし今は寒さに肌をこすりつつ、あったかそうな毛皮を羽織る白熊の様子を眺めている。白熊は呑気に大あくびをし、私は「くしゅ」とくしゃみを漏らした。


「……確かに寒いな。大丈夫か?」


 隣で青山が言った。私は気遣ってこちらを見下ろす彼に、何でもないと手を振った。


「大丈夫大丈夫。私上着羽織ってるし」


 大きめに腕を振ると袖が落ち、七分袖が私の肌を隠した。空調の風で簡単に吹き飛ぶような温気がふわりと広がった。

 瑞々しいながらも枯れ木のように細く脆そうな腕を眺めると、たまに不思議な感覚に陥ることがある。私の女としての人生などまだまだ始まったばかりだ。未だに15年もの含蓄は、私を押しとどめているのかもしれない。

 ともあれ、頼りない袖で守りを強固にした私は、青山ににっこり笑った。


「あったかい!」


「そうか。寒くなったら言えよ」


「おう!」


 そんなことを話していると、隣で並ぶ勝山と楓が話に割り込んできた。


「ねえねえ、二人はどうすんの、来週末」


「来週……あっ、文化祭?」


 展示ガラスからのけ反るようにして顔を出した楓の言葉に、私はすっかり忘れていたことを思い出さされた。

 近く我が星ノ森高校でも文化祭が開催される。席の巡りあわせとかでポヤポヤしていたためにあまり集中しておらず、口も挟んでいなかったが、うちのクラスではどうやら喫茶店をやるらしい。隣の青山が教えてくれた。私は基本的に頬杖をついて彼の方を向いているので、自然と情報は流れてくるのだ。


「喫茶店だっけ?メニューとかどうだっけ、私作った方が良いのかな」


 私がそう聞くと、楓は「まあそれはそれだけどさ」とおかしな顔をした。片眉を上げた彼女は首を傾げ、隣の勝山はなにか気にするようにこちらを見た。


「空結構乗り気なんだね。メイド執事喫茶」


「……めーど、しつじ?」


 私はちらりと青山を見上げた。青山は少し目を逸らす。

 嘘をついたのかとわき腹を突けば、突く前に腕をそっと掴まれ戻された。


「…………え、まじで?私もメイドすんの?」


 私がそう聞けば、楓は曖昧な笑みを浮かべた。


「んー、空はなんかねえ、男装するみたいな話になってたよ。西出がネタでメイド服着るってなったから、じゃあ女子からは空だって」


 楓は「どうせならメイド服も着て見て欲しいけどね~」と言った。勝山は「志龍はそういうの恥ずかしがりそうだけどな」と呟いた。

 私はそれを聞いて、文化祭は大変そうだなぁと漠然と思った。

 何せ男装するのだ。女子である……私が。


「……男装、かぁ」


「そだね。男装だね」


 私のごちた言葉は楓に返され、あっけなくどこかに消えていった。

 視線の先では二匹の白熊がじゃれあっていた。


 しばらく中を回っていると、いよいよ寒くなってきた。結構私は寒さに弱いらしい。はて、去年までこんなにも弱かったかと思えば、去年は男だったと気づいた。またやったかぁと一人で苦笑いを浮かべていると、青山が繋いでいる私の右手をさらに包み込むように握りこんだ。


「流石に寒いんじゃないか?」


 青山は特に冷えていた指先を温めながら言った。じんわり伝わる温もりが心地良い。

 私は残る左手で少しの隙間を作って愛想笑いを浮かべた。


「へへ、ちょっとね」


「見ていたい気持ちも分かるが、風邪をひいても悪いだろ。先に外に出よう」


「……ん」


 青山が諭すように言うので、私は大人しく頷いた。

 まあ、また次にゆっくり見れば良いのだ。青山がみんなに先に出てるとメッセージを送り、少し先にいた皐月に手を振って外に出た。西出は舎弟のように皐月の後ろにつき、彼女のカバンを持っていた。そのくせ手は繋いでいたので、意識はカレカノなのだろう。


「不思議だなあ」


 私は青色基調の壁を見送りながら呟いた。

 すでに空調の冷気は薄れ、数メートルを置いてすぐのところに両開きのガラス張りの扉がある。今もせわしなく人が出入りしているそれを尻目に、私は青山と一緒にベンチに腰かけた。


「不思議?」


 青山は首を傾げつつ私の顔を覗き込んだ。私はそれに薄い笑みで応える。


「男装って思うなんてさ。こうして違和感なく彼女してるってさ」


「……まあ、そうかもな。心残りでもあるのか?」


「いーや、無いね。むしろ今戻られちゃ困るもん。もうちょい筋肉はついて欲しいかもだけどもさ!」


 私はまんじりとも反応しなくなった上腕をつまんで言った。思い切り力を入れてるつもりなのだが、男の時と比べたら岩とおまんじゅうである。

 柔い腕に唇を尖らせ不満を伝えていれば、青山がそっとつまむ手をほどいて両手で包んだ。彼は静かに目を瞑って首を横に振った。


「空はそれでいい」


「……そう?」


 青山は「そうだ」と頷くと、そのままひんやり冷たい私の手を、両手でじんわりと温め続けていた。


 ーーー


「――お、皐月ー、皐月ーっ!」


 青山がついに目を瞑って精神統一をしだした頃、西出を引き連れた皐月が出てきた。私が手を振ると、彼女は軽く手を上げて返した。


「聞こえてるから。はしゃがない」


「母さんみたいなこと言いやがって」


 皐月は軽く笑うと、西出の持つカバンを開けた。そのまま文庫本を取り出すと、私の隣に座って読み始めた。


「なになに?」


 私が本を覗き込むと、物語の途中を織りなす活字が目に入る。なにやらシリアスなシーンらしく、鍵括弧のセリフも控えめだ。

 私が本から目を上げて皐月を見れば、皐月は少し眉をしかめた。


「んー。今読んでる本だからって持ってきたけど、失敗かも。……性転換物」


「……へえ」


 皐月は私の耳元でそう囁くと、続けてストーリーを教えてくれた。


 主人公はある日とある条件で女の子に変わってしまうようになった男の子で、自分の特殊な体質と時に向き合い時に無視する生活を送っていた。そんな彼は、ある日男として生きるか女として生きるかの選択を迫られることになったという。この本では結局のところ男としての道を選び、幼馴染の女の子とひっつくストーリーのようだ。

 私はそれで皐月が気を遣っているものだとすぐに合点がいった。

 私は軽く彼女に笑った。


「ふふ、気にしないでよ。そういうの皐月が好きって知ってるしさ。いちいち突っかかんないよ」


「そうだね。空はそういう子だもんね」


 彼女も軽く笑い、この話題は頭のどこかに消えてしまった。

 その後ペンギンの被り物をした勝山と楓を迎えれば、私たちは帰ろうということで話が一致した。

 着た時より遥かに遅い牛歩で動物園のエントランスまでたどり着く頃には、あれだけ私たちの肌を焦がしていた太陽は西日へと変化しつつあった。

 口数少なく電車に乗り込めば、私はすぐに眠くなった。幸いにもボックス席に座れた皆はささやかな雑談に興じていたが、私にそんな元気はなかった。すぐに頭は重力に負け、顎を鎖骨にくっつけて目を閉じれば、すぐさま意識はぼやけて消えた。

 次に目を開けた時には、どういうわけか皐月も楓も笑っていた。どういうことかと身を起こすと、私の頬と頬とくっついていた何かとの間によだれのかけ橋ができた。慌ててハンカチで拭ってみれば、くっついていたのは青山の二の腕だった。なんと私はぐーすかと彼の腕で安眠し、あろうことかよだれを垂らしていたらしい。

 私は謝った。ものすごい勢いで彼の腕を拭った。青山はただ一言「気にしてない」というばかりだった。

 嘘つけ。気にはなってるだろ。

 後々そう思いもしたが、寝起きの私は平謝りする以外のことを考えられなかった。


「今日は無事に西出が告白してもらえたということで、解散!おめでとう日比谷!」


 勝山がおどけてみんなが笑い、皐月は一人不満げで、西出は照れ臭そうに鼻を掻いた。


「……言いふらさないこと」


 皐月が低く言うと、勝山は肩をすくめて笑った。


「分かってるっての」


 駅のロータリーで各々が分かれれば、私は青山とも別れることになった。それぞれ家は別方向なのだ。


「……また明日ね、青……ひとし」


「あぁ、空。また明日な」


 彼が先に手を振るものだから、私も慌てて振り返した。

 明日から文化祭の用意のために、六限の時間からは自由に使えるようになる。男装に少しの不安と高揚を感じつつ、私は一人帰路についた。


 今日は疲れているし、帰ってシャワーだけ浴びたら寝ようかな、頭はそれでいっぱいだった。

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