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男子やめました  作者: 是々非々
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勝気と下部

幼馴染との恋愛もの、いつか書いてみたいものです。

 軽快な音楽とともに、半球状のドームの大部分を占めるプールから水しぶきが上がる。クジラもすっぽりと収まってしまいそうなスケールのプールを泳ぐのは、クジラでも競泳選手でもなくイルカである。

 紡錘形の身体を駆使して高く飛び上がっては、天井から吊るされているボールを弾き、ついでに客席に向けて大量の水を弾いている。お母さんに許可を得たちびっ子たちがそれに濡れるのを見ながら、私はカラカラと笑い声を上げた。

 今は散々並んだ末に、階段状になっている席の中腹に陣取れたイルカショーを見ているところだ。

 隣の青山はスポーツでも観戦しているのかと言いたくなるほど真面目な顔をしているが、きっと楽しんでいるはずだ。イルカショーとの付き合い方も人それぞれである。


「――わっ、すご。今の見た!?」


「あぁ。本職はすごいな」


「なー!あんなの置いてかれるって普通」


 ウェットスーツに身を包んだパフォーマーがイルカの鼻先に足を乗せて水面を滑る。観客席からは惜しみない拍手が上がり、私も負けじと手を叩いた。

 年齢が上がるにつれて、スカして「子供っぽいものに興味はないぜ」とこういうのから距離は取っていたけど、なんだかんだ楽しめている。

 今度は尾ひれを水面でばたつかせてちびっ子たちを狂乱の渦に陥れるイルカたちを見ながら、私は青山に笑いかけた。


「楽しい。どうしよう」


 私が言うと、青山は私の頭に手を置いた。

 大きな手が私の頭頂部をほとんど覆い隠した。


「俺も楽しい。だから今はショーを見よう」


 そのまま青山は手を回し、私の顔をプールに向けた。イルカはちょうどすれ違うように飛び上がっていた。私は青山に言われた通り、素直にショーに集中した。


 ーーー


 俺という人間はどうにも上目遣いに弱いらしい。今しがた、隣からご満悦の表情の志龍……空の顔をプールに向けたところだ。

 本人が意識してかしないでか、彼女は活発そうな印象を受けるその顔をぱちっと綻ばせ、元気そうな相貌で俺を見上げてきた。惚れた弱みと言うべきなのか、俺は長く直視もできずに顔を背けさせた。

 それに素直に従ってキャイキャイ言いながらイルカショーを眺める彼女は、きっと猫に限らず動物が好きに違いない。


 さて、イルカショーも良いが、俺は空越しに見える二人の様子も気になっていた。

 流し目で見やれば、西出も日比谷も二人そろって沈黙している。いや、粛々とした雰囲気でイルカを目で追っている。西出はあれだけ啖呵を切っておいて、またしても踏み切れないでいるようだ。奴にも様々な葛藤があるに違いない。いい加減にしろと言いたいのを、俺も勝山も堪えている。


 そんなことを考えながらショーを見ていると、軽快なポップから一転してロマンチックな曲が流れ始めた。急に雰囲気が変わったなと思っていると、正面の大スクリーンに突然男女二人組の姿が映し出された。座っている椅子はこのドームのもののようで、スクリーンには二人を囲う色とりどりの花と『今日おいでになったカップル』の文字が浮かんでいた。

 編集の力を以て、今日やってきたカップルを歓迎しているらしい。俺はひっそりと身構え、隣の空は「あ……もしかしたら映るかな?照れんね、なんかさ」と頬をかいた。

 次々とカメラに抜かれてはめいめいに反応するカップルや夫婦たちに、会場も温かな反応を見せていると、急に空が「あっ!」と声を上げた。


「――西出」


 俺はぽつりと呟いた。

 スクリーンには硬い表情を浮かべた西出と、西出の方を微かに見やる様子の日比谷が映っていた。

 もはやこのカメラに映るということは、いかに自分たちが熱々のカップルかを競う競技のようになっていたのだが、西出はどう切り抜けるのだろうか。

 内心何もしないか手を振るくらいだろうと思いつつ眺めていると、不意に日比谷が動いた。手に持っていたスマホを傍らに置き、西出の襟元を乱暴に引っ張り彼女の方へと傾けた。そのまま西出の頭を両腕でがっちりつかみ、ハグというにはあまりに乱暴な抱擁を極めた。


「――え”っ?」


 志龍は素っ頓狂な声を上げ、俺はピクリともしない西出を見守った。

 次に写されていた、トイレに行くとかで入場のタイミングがずれて少し遠くに座っていた勝山と柳が肩を組みながら手を振っているのを横目に、俺と空は混乱した。視線の先では西出が耳を真っ赤にしながら日比谷を見つめ、日比谷はすました顔でスクリーンを見つめていた。


「なあ空、女子はこういう時、何を考えてるんだ?」


「……何だろうね。次はお前の番とか思ってんじゃない?私はまだ勉強中だし、ハッキリ言えないけどさ」


 空も俺も揃って首を傾げたが、それ以上の答えは見つからなかった。

 イルカたちがプールサイドに乗り上げて小さな子供らと戯れ、観客の注意がそちらに傾いた。どこか蚊帳の外になった客席で、西出は未だに閉口したままだった。

 イルカショーも、もうすぐ終わる。


 ーーー


「……ねえ、どうなったの?」


 楓が少し身をかがめ、私の耳元でそう呟いた。私はすぐさま聞かれていることに思い当たった。

 皐月はと言えば、私と楓から少し離れた場所を歩いている。もしかすれば、さっきのカメラの前で起こした行動を恥ずかしがっているのかもしれない。


「全然。西出ったらなーんも言わなかったよ」


「たは。いくら皐月のが勝ち気だったからって、あれだけされて何にもないとは」


「まあまあ、男にも葛藤はあるのだよ」


「それは男空が彼女できたことないのにも関係あるの?」


「……個性だよ個性。私は女子と話すの緊張したの」


 私は女々しいという言葉を頭から追い出し、個性という免罪符を掲げて目を逸らした。さほど見当外れでもあるまい。

 そんなことより、今は皐月だ。ここにきて皐月の方から動いたということは、きっと彼女なりの「オーケー」のサインなのだろう。西出としては、もう後戻りできないほどに膳が据えられている。早う食えと言いたいけど、彼はきっと攻められては動けないくせに動ききれずに日和った口だろう。案外内気な男である。恋愛に真摯なのかもしれないが。

 そんな彼を見てみると、歩きながらじりじりと皐月に近づいて行っている。私も楓も、声を潜めて西出を見つめた。

 今私たちはイルカショーのあった会場より離れ、動物園内の各エリアに繋がる広場を横切り、北極・南極館へと向かっている最中だ。ゆっくりと西出は皐月との距離を詰め、北極・南極館の前につく頃にはほぼ真横まで接近していた。

 前の方を歩いていた勝山が振り返って立ち止まれば、皐月も私たちもそれに倣った。人の流れから少し外れたスペースで、私たちは二人を見つめた。

 西出の横顔はもはや決死の表情であり、あの表情は紛れもなく覚悟を決めた男の顔である。


「――」


 西出は一度深呼吸をしたかと思えば、おもむろに皐月の手を掴んだ。


「…………」


 誰も、西出すらも声を発さない。皐月は少し顔を傾けて握られた手を見たかと思えば、続いて西出の顔を一瞥し、大きな大きなため息を一つついた。

 それはまるで、柄の悪いチンピラが吐いたのかと言いたくなるような、重苦しい響きがあった。


「――もういいわ。引かれても良いから言うぞ?」


 皐月は普段のおっとりとした表情をかなぐり捨てるように眼鏡を外した。分厚い黒縁メガネの奥から、切れ味鋭い三白眼が姿を見せた。上目遣いながら鳩尾をえぐるように睨みを利かせる相貌は、ガキ大将日比谷皐月を思わせるには充分すぎるほどの迫力であった。

 それに相対する西出は、すぐさま手を放して背を伸ばした。さながら叱る上官と叱られる下士官のようだった。


「お前私が今日はお前が告ろうとしてんのに気づいてないとでも思ってんのか?空も楓も雰囲気違うしな。一日中ずっっと手握ろうともじもじしてる丸坊主の傍にいて、何にも気づかねえと思うか?」


「おっ、思いません!」


 西出が威勢よく答えると、皐月は「分かってんのかホントに!?」と声を荒げ、ずいっと西出に詰め寄った。西出は「分かってます!」と答えた。

 息と息がぶつかる距離感になった二人の会話……いや、皐月の叱責は続いた。


「だいたいよォ、お前が気遣って二人きりになるとかってのがもう無いだろ。そんなに気回るなら今頃彼女の一人や二人いるだろ」


「えっ……いや、そ、そうすか?」


「そうだからそうなんだよ!」


「はいぃ」


 皐月はどんどん西出を捲し立て、いつの間にか西出は皐月に合わせるように腰を下げて縮こまりながら皐月に怒られていた。


「気も回んねえし、私がいざお前を抱いたらお返しが手つなぐ?しかも無言で無断だと?信じられるかそんなヘタレ!?」


「しっ、信じられません!」


「お前だお前!バカソウ!」


 皐月はお下げを振り回して荒れ狂った。そして言いたいことを言い切ったのか、今度は軽く一息ついて西出の顔を右手で掴んだ。両頬を拘束し、西出は口が塞がれた状態になった。


「いい加減私も覚悟できたわ。ソウ、私と付き合え。ただし、金輪際その気色悪い躊躇をするな」


 皐月の急な告白に西出は目を丸くしたが、返事は皐月の右手に押し込まれてふがふがと言うばかりだった。唯一頷く彼の首が、答えがイエスだと言っていた。


「それでよし。いい加減、私にもリア充させろ」


 そう言って皐月は西出から手を放した。そして彼女は自らの手のひらをしげしげと眺め、小さな舌でちろりと舐めた。

 西出はたちまち顔を赤くし、皐月はそんな西出と腕を組んだ。

 彼女は器用に片手で眼鏡をかけると、私たちの方を振り返って笑った。


「……トリプルデート、完成」


 黒縁メガネの奥の鋭い目線が、満足そうに綻んでいた。

 私もみんなも、声を揃えてこう言った。


「……おめでとう」


 こうしてまたしてもカップルは生まれたが、皐月は見かけによらず、獰猛な恋をするようだった。

 西出が皐月をリードする日は、もしかすれば永遠に来ないのかもしれない。

 私たちはどこかはっきりしない足取りで、皐月と西出を追うようにして北極・南極館へと足を踏み入れた。

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