攻めよ男子、然るのち敗北せよ
私が青山の腕から抜け出すと、サイもすっかり死角に退避してしまっていた。
なので私たちはさっさと次に向かうことにした。サイの柵から目を離すと、順路の先にキリンがいるのが自販機越しに見えた。
「おぉ、見える見える」
「流石にデカいな」
キリンたちはまるで灯台のように、遠くから私たちに存在をアピールしていた。別にそんなつもりは無いだろうけど、のっそりと進むさまを見て私は無性に近づきたくなった。
私も青山も立ち上がり、長いまつげをしばつかせるアミメ柄のもとに向かった。
「――おっ?」
「……ん」
キリンや他の動物を見ようと一歩目を踏み出そうとした私の口から、不意に間抜けな声が抜け出た。
私が傍らに目を向けると、涼しい顔で私の手を握りこむ青山がいた。力強く握られた私の右手は、私が現状を把握するにつれ、これ以上なく手汗にまみれていった。
――え、私手握っただけで緊張してんの?確かに前は恋人どころか女子の手を握ったことも無かったけども。でも元は同性だぜ?あいや、やっぱ好きな相手だけども。
一瞬で色んな事を考えた私は、しばらく手を見て固まった。が、青山も距離を詰めたいのだと悟るとすぐに頬がほぐれてきた。まあ、情けない顔をしてるだろうから顔なんて見れないわけだけど。
「どうした空、照れてるのか?」
青山が私の頭越しにそう言った。私はすぐに首を振った。
「ばーか、喜んでるんだよ」
私は目線を上にやり、にんまり笑って見せた。
そのままグイッと手を引いて、青山を引いているにしては足早に人ごみに紛れた。どこもかしこも手をつなぐ男女ばかりだ。
すぐに誤魔化して話を切り上げるのは、もう照れ隠しっぽくないか?私はすぐにそう感じ、後ろを歩く青山を見上げた。
「……照れてないからね」
「あぁ、照れてないな」
青山は目を薄らげて頷いた。
まるで私が照れているかのような返しに、当の私は不満を覚えつつも、熱を持つ耳のせいで青山を説得出来るだけの返事は思いつかなかった。
ーーー
キリンの長い首を見上げたり、ゾウの親子に目を奪われているうちに、遂に私の空腹は限界になった。一日歩き続けたこともあり、すでにお腹は「きゅぅ」という可愛い声を上げる時期は過ぎ去り、「ぎゅるる」と猛獣のような呻きを上げ始めている。
動物可愛い、お腹減った、お腹減った、動物……お腹減った……。こんな精神状態で、果たして動物園――しかもサファリ――を楽しむことができるだろうか。いや、できない。
私はいつの間にか手を引かれる形になった青山の手を強く握った。
「なぁ~、仁~」
「ん?」
青山は唇を少しとがらせて振り向いた。
「ねえ~、おんぶしてぇ」
「…………おんぶ?」
私は青山の背からサファリを楽しむことに決めた。かなり私的には大胆なお願いというか、色々気になる密着ではあるのだが、何回かしてるし平気だ。それに服も着てるし、何より私たちは恋人だし。それ以上にもう足が動かないし。
でも甘えた言い方だったなあと思い返し、私はすぐさま顔を引き締めた。
「おうっ!空腹で倒れそうなので、私は仁の支えを希望するであります!」
なんちゃって敬礼を決めれば、青山は案外すんなり「分かった」と言った。ずっと汗ばんでいた手を放して、彼は私の前で後ろ向きにしゃがんだ。やたらに広い背に体重を預けると、青山はいともたやすく立ち上がった。
私が重いからなのか、ちょっと背が傾いている。
「……重くない?」
不安になってそう聞いた。青山はほのかに首を振った。
「おぶるとなったら、こうもなるだろ」
青山はぽつりとそう言うと、ゆっくりとしたペースで揺れないように歩き出した。私は青山の気づかいに感謝しつつ、ずり落ちないように肩口から腕を回した。腕に力を籠め、自分の体を固定する。憎たらしいほど鍛えられた青山の身体は、私の身体などものともしないほどに硬かった。
やっぱりおっきくなった気もするなあ。
逞しい背の上から私はシマウマを眺めつつ、左頬を青山の肩甲骨の間につけた。
もしゃもしゃと草をはむシマウマを睨み、私はこっそりとダイエットを決意した。……いつかだらしないお腹を見せるのは、私としては嫌だからな。
ーーー
えっちらおっちらサファリを進み、遂に高台からネット越しにライオンを見下ろせば、サファリゾーンを制覇してしまった。
水の中でのんびりしているというバイソンを覗き込むために青山の背から降りて以降、仲良く並んで歩いていた私は見落としとかないかなぁと、今まで進んできた道を振り返った。
「ねえ青山、何か見逃してなかった?全部見たかな?」
私が軽い口調でそう言うと、青山は「どうだったかな」と言った。
「う~ん、遅れてるからって急いじゃった感もあるしなあ。気になる。いっそ戻る?」
そう言うと、青山は「それはいいんじゃないか?」とあいまいな笑みを浮かべて言った。
「そんなに気になるなら、また今度二人で来ればいいだろ。その時に見直そう」
「……もう一回」
何もデートは一度じゃないと気づいた私は、青山に言われるままにこくこくと頷いた。
「そっか。じゃあ、また今度」
まだ約束もしていないデートのことで上機嫌になった私は、へらっと笑って青山を見上げた。青山も青山で微かに笑っていた。
「おう。それより早く行かんと、また四人に怒られるぞ」
「それもそうだ!それにご飯も食べれないじゃんか!」
私は今何よりも優先すべきことを思い出し、青山を急かしてショップエリアに急いだ。スマホを見れば、ちょうどそのエリアにあるファストフード店で四人が座っているというメッセージが五分前に送られていた。
俄然焦った私たちがその店についたのは、それからさらに五分が過ぎた後だ。なんだかんだ空腹だったので、走る気も起きなかったのである。
「――はい、ポテト」
「やったぁ!」
そして着くや否や、私と青山は勝山に頼んでおいた遅めのランチにありついた。私が楓から受け取ったポテトをつまむ傍ら、青山は大口を開けてどでかいハンバーガーを頬張っている。いったいどこにあんなに大きな物が入るのだろうか。
「サファリも案外広いもんだな。昔はサファリバスで回ったから狭いと思ってたわ」
コーラをちびちび飲む勝山は言った。楓は「案外どころか広いでしょ。楽しかったけどつっかれたぁ」と伸びをした。
「そういや皐月たちが一番早く出たの?」
私がスマホをいじる皐月に聞くと、彼女はスマホを置いた。
「ん。リア充の空気から逃げたら、いつの間にか」
皐月がおどけると、楓は「皐月はもう包囲されている!」と言った。ちょうど私と楓の間に皐月がいるので、まあ包囲は包囲である。
皐月越しに楓と肩を組むと、皐月は「青山、勝山、彼女はもらったよ」と私たちの腰に手を回した。男どもは反応に困っているようだったけど、私も楓もわしゃつく皐月の手から逃れるべく抵抗した。
「あはっ、あはははは!やめ、ちょ、皐月、聞いてる!?」
楓は皐月の肩に「降参だ」とタップした。
私はと言えば、楓がくすぐられる反面じっとりとした手つきで這わされる彼女の手を本気で引き離そうと必死になっていた。元がやんちゃだからなのか、腕は万力のように力強く私を引き付けて離さない。
「……さっ、皐月っ!やばい、これやばいから!」
「ふふふ、どうやばい?」
私が止めても止まらぬ皐月は完全に暴走していた。いや、仕返しなんだろうけど。ちょっと変な声が出そうではないか。私が助けを求めて青山を見ると、すぐに目が合った彼はハンバーガーを置いて立ち上がった。
「日比谷、お前はその辺にしとけ」
「……ふぅん。お前は、ね」
皐月はそう言って私と楓を放すと、大きくため息をついた。
「やんなきゃよかった……」
「自業自得だ」
無口キャラ二人の会話は色々と察するべきところが多いが、私はもう話に混ざる気は無かった。
(お前はって!!どういうこと!!)
他ならぬそう言うことなのだろうけど、当然男の時からそういう接触は絵空事だった私は、一瞬にして口をつぐんだ。何を隠そう、どこまでいうのがセーフかなんて分からないからである。
「あちゃー、空がダメんなった」
「志龍よ、お前はどこまで初心なのか」
「うっさい!バカ!」
私は悪態をついたが、それすら顔は伏せたままであった。横目には、先ほどから頭を抱える西出が見えていた。
ーーー
しばらくした後、皐月は一度トイレに向かった。楓が付き添うと言い、場には私、勝山、西出、青山が残された。
「……すまん……!腰抜けの俺を許せ友よ……!」
西出はそう言っておでこを机にくっつけた。
何でも、結局あの長いサファリですらぽつぽつと話すくらいしかできなかったらしい。手をつなぐなど考えるのもおこがましい事態に、私たちは頭を抱えた。
「俺もそう簡単に行くとも思ってなかったがよ……ここまでとは思わなかったぞ西出よ」
勝山がそう呆れると、西出は「俺もだよ!日比谷ってあんな口数少なかったか!?」と言った。
「……お前は知らんが、俺は無口だと思ってたが」
青山の言葉に西出は「俺とは話してたのによォ」と噛みついた。
「……で、どうすんの。そろそろ本格的に見るところ減って来てるけど」
あとこの動物園で残すところは「北極・南極館」という、寒い気候で生きる動物たちが展示される場所と、午後からのイルカショーのみなのだ。いよいよ迫る西出失敗の瞬間に、私たち四人の顔もこわばった。
「良いか西出よ、志龍や楓のおかげで日比谷がオッケーなのは割れてんだ、さっさと突っ込め!」
勝山の叱咤に、西出は力なく笑った。もはや敗戦濃厚という表情である。
「くっ……こいつ、すでに諦めてやがる」
勝山が遠い目をすると、青山が西出の肩を叩いた。
「西出」
「なんだ」
青山は続けた。
「日比谷に対するお前の見てるだけでらしくないと思えるそれは、果たして心からの態度か。お前は日比谷とどうしたいんだ」
西出は力なく答えた。
「そりゃ一緒にいて、あわよくば甲子園に連れて行きてえよ」
そうだったのか。恐らく私も勝山もそう思った。しかしきょとんとする私たちをよそに、青山は真剣な顔で頷いた。
「なら、行動に移せ。当たって砕けても良い。元より、何もしなけりゃそんなこともできんのだ。はじめくらい苦労しないでどうするんだ」
青山がそう言うと、西出は今度は幾分か元気を取り戻した。
「お――」
「――ただいま~」
「……あ、おかえり」
そして間の悪いことに、西出が勢いづこうとした時に楓たちは帰還した。
さてどうなるのか。
イルカショーが始まるという時間は、こうしている間に近づいていた。




