日比谷皐月はオタクになった
私は由佳に連れられて、皐月と楓と一緒にファミレスに入った。幸い待ち時間もなく席に通されると、由佳はそれまでの由佳の家族旅行の話を打ち切った。
「さて久しぶりに空と話せる時が来たわね」
由佳はメニューで私の頭をなでながら言った。髪が崩れるので机に払いのけると、由佳はそのままメニューを選び始めた。今日の彼女の気分は肉料理かサンドイッチかグラタンらしい。かなり絞れてきている。
楓はおしぼりで手を拭き始めた。
「久しぶりだよね。もしかして青山君とのデートの準備以来?」
「そうかもしんない」
楓と会ったのは確かにそれが最後かもしれない。なんだかんだ彼女も部活で学校に入り浸ってギターの練習に励んでいて、結局都合が合わなかったのだ。ひと夏ぶりの再会だと思えば、確かにほんのり楓は日に焼けていた。
「まあまあ、積もる話もあるけどさ、今回ばかりはそうにもいかないのよさ」
由佳はメニューの同じところを何度も行き来しながら言った。皐月はふいっと窓の外に顔を向けた。
「まあねえ。まっさか皐月が塩対応で凹んじゃうなんてね」
「エ、皐月がヘコんでるの?」
私が楓の言葉を聞いて驚くと、楓と由佳はしたり顔になって頷いた。
私には皐月をヘコませる塩対応なんて西出の一件しか思い出せないで、すっかりその気になっていた。
「そ。この上なく乙女~な理由でね。もしかして空も聞いてる?西出君と皐月のやつ」
私はこくこくと頷いて答えた。楓は皐月の頭をわしわしと指先でかきながら笑った。由佳は目下サンドイッチに狙いを定めて唸っている。
「あれでしょ?コミケ行って使いぱしって先に帰ったっていう。皐月なんだかんださらっとしてた気がしたんだけどな」
私はばあちゃん家で電話した時の皐月の口調を思い返した。いつものどこか途切れ気味な話し方だった彼女は、そういえば妙な間を持たせた気がした。
「そうそうそれそれ。あれさあ、皐月が放置しといて皐月がダメージ受けてるのよ。なんでか分かる?」
楓が楽しそうな笑顔をいたずらに輝かせた。
「……なんだろ。やっぱ昔馴染みだと放って行ったら後味悪かったの?」
私の答えに、楓は首を振って答えた。
「思ったより西出の反応が引き気味で、皐月ちゃんはヘコんじゃってるのでした~」
「……仕方ない。やっぱ昔みたいにいかない」
ここで初めて皐月は口を開いた。隣でにんまりとした顔を浮かべる楓を無視しつつ、皐月は大きくため息をついた。
「昔は今みたいじゃなかったし、今の趣味は考えられなかったみたい。いい機会だし、こういうこともするって教えようとしたのが失敗だった」
皐月はため息交じりに呟いた。
「今みたいって?」
「……私、昔はガキ大将だったんだもん」
「「――え?」」
私と由佳は揃って声を上げた。由佳は何故かグラタンのページを眺めており、私はぽかんと開いた口を塞げずにいた。
話によれば、小学生児童日比谷皐月という女の子は、それは大層やんちゃな娘さんだったらしい。
常に男っぽい野暮な服を身に着け、好んで履くのはズボンにランニングシューズ、そしてうなじを惜しげもなくさらす短髪の裸眼の男勝りな少女であったらしい。そんな彼女は、いつでもクラスのやんちゃ筆頭だった。
暇な時間を見つけては外に繰り出し、所構わず男子たちに先週の少年誌に出てきた必殺技を以て保健室送りにしたという。そして西出もまた、そんな彼女に必殺技を放った男子が一人だったという。
「おい、日比谷。オマエ女子のくせに生意気なんだよ」
「なんだいがぐり。お前なんてモヤシ、すぐ泣かせてやる」
これが二人の初めての会話らしい。なぜここまで穏やかじゃないのか疑問だが、そんなことは今はどうでもいい。
そこで皐月が放ったウンタラ拳奥義と西出が放ったマキシマムなんちゃらが二人の悪ガキの友情を温めたのだという。拳で紡がれた二人はそれ以降ずっと遊ぶようになり、中学で離ればなれになるまで「悪友」だったのだとか。
しかしそんな皐月に転機が訪れる。
それは中学に上がってすぐ、仕方なしに引き受けた図書委員の仕事をこなしに図書室に行った時のことだ。
そこには隣のクラスの図書委員もいた。その女の子は既に自分の割り当てられた仕事をこなし、すっかり趣味の文庫本を読んでいたのだとか。何を隠そう、皐月は終礼中にグースカ眠って遅刻したのだ。
「……なあ、何読んでる?」
「えっ!?」
図書委員の仕事に暇を持て余した皐月のその質問が、彼女を現在の状態に引き込んだ原因なのだとか。
その図書委員の子の熱心な布教活動により皐月はその才能を開花させ、見事オタクの沼に引きずり込まれた。
もとより少年漫画の必殺技とかに影響される皐月だ、どっっぷりと作品に没入して影響を受ける彼女は、どんどんと趣味の守備範囲を広げていった。
短かった髪はオタ活に支障をきたさないように髪を切らなくなったおかげで長く伸び、遂に家族用から皐月用に進化したパソコンに食らいついた影響で視力はバッチリ低下した。
かくしてどっちもイケるオタク黒縁メガネ少女日比谷皐月は爆誕した。
そんな彼女が再び驚いたのは、かつての悪友西出と同じ進学先を選んだということだった。西出はしばらく同姓同名の別人だと思っていたらしいが、しばらくすれば腰を抜かすほど驚いたそうだ。
そんな西出の反応を受け、皐月は「オタク趣味は隠さねば」と思ったらしい。
かつてのガキ大将としての気概は既に消滅し、ただ推しと尊さを追い求めるオタク少女が完成していたのだ。その一方で悪友としての西出に引かれたくはない。そんな思考回路に動かされ、皐月は西出にはことさらに趣味を隠していたそうだ。
「――つまり皐月は西出君に脈あんの?」
やっと注文がハンバーグに着地した由佳が言った。
「……私は、西出が良いなら良いけど」
皐月はもぞもぞ言った。ぱっとサンドイッチと即決した楓はずいっと身を乗り出した。
「やっぱ幼馴染って大きいよねー。私は男子でそんなのいなかったけど、いたらそんな風になるもんなの?相手が良いならいいとかさ」
「そりゃ、昔は気も合ったし、遊んだし、家も近いし……中学の時は近所でも合わなかったけど。ああもう、変なこと言わせないで」
皐月は注文ベルを押して、店員さんを使ってこの話を一度止めた。
由佳が注文を決めたので、私たちはようやく注文できる。店員さんに注文してしばらくすれば、皐月はまた話し始めた。
「やっぱり、昔みたいになんでも笑って流せなくて、少し寂しい」
「――あー、えっとさ」
「なに?」
私はなんだか皐月と西出がすれ違っている気がしする。というよりすれ違っているだろう。なので私は言うことにした。
「西出、別に皐月に引いてるわけじゃないっぽいよ」
「え」
そう言うと、皐月は黒縁メガネの奥の目をぱちくりさせたようだ。口も控えめにポカンと空いている。
「谷口ンとこに遊びに行った時に聞いたんだけどさ、皐月の趣味のジャンルとかは谷口に説得されてたみたいなんだけど、西出は使い走りからの置き去りにショック受けてたけど」
「……あいつ、そんなに繊細だっけ」
皐月は呆然とそう呟いたが、そうなっているのだから仕方ない。好きな女子から素っ気なくされると落ち込んでしまうのはご愛嬌というものだ。
「まあ、私の趣味に引いてないんだったら、いいけど」
皐月はそれだけ言うと、脱力したように革張りの長椅子の背もたれに背を合わせた。由佳は「よかったねえ皐月」と言い、楓は「塩対応もほどほどにしないとね。ま、西出がどうかは分かんないけど、出かけようって言ったのはあっちなんでしょ」と声をかけた。
「――まあ、今後の西出と皐月次第だよねえ」
私は「西出が皐月にご執心だぞ」と答え合わせをするのはもったいない気がして、わざとはぐらかした。
由佳から「谷口君の家で話した時って皐月をどう思ってるのか言ってなかったの?」と聞かれたが、私は「いや、別に」とはぐらかした。
「ねえ空、目泳いでるよ?」
「えっ!?嘘!?」
楓の指摘にびっくりすると、彼女はぷっと吹き出した。
「ふははっ!鎌かけただけだって!その感じだとなんか言ってたんでしょ?なんて言ってたのさ」
私は鎌かけに引っかかる自分のうっかりさを呪った。圧を増す視線にすぐに降参して、私は素直に谷口の家で聞いたことを話した。
西出が引いてないどころか押してきそうな反応だと言えば、すっかり場の空気はほうっと温かくなった。
「まあ、それなら心配しなくても良いかな」
楓はのんびりとそう言った。
みんながやれやれと安心していると、ぽつぽつと注文した料理が来だした。私の前にはグラタンがやってきた。
「――ところでさあ」
「ん?どしたの?」
ハンバーグを一口食べると、由佳は不意に声を上げた。
「空のその口調とかは何があったのさ?」
「……あー」
何とみんなに言えばいいんだろう。正直になれば答えはすぐに出てくるけど。
……青山の嫁になりたいから女子っぽくしています?
「――ひえぇ」
私はそんなこと言えないと、誤魔化すいいわけを必死に考えたが、皐月も由佳も楓もそれを待ってはくれなさそうだった。
「似合ってるからいいと思うけど、何があったか教えてくれないかな~?」
「……た、タイム」
私は口を割るものかと豪快にグラタンを頬張って、見事に口の中にやけどを負った。




