祈るだけでは物足りない
ガラス玉先輩が腹を下したというのは、思った以上に深刻な問題らしい。クールビューティ牧谷さんはその切れ味鋭い眉を複雑にゆがめていた。
「金剛先輩いないと、やっぱり厳しいんですか?」
「元々いて五分なとこだったからね。負け濃厚よ」
「……そうなんですか」
目の前で打ち鳴らされる竹刀を眺めていれば、先鋒の人が突如として崩れた。
何とか打ち合っているようにも見えていたのだが、それは素人判断であったらしい。そこらじゅうをしこたま叩かれ、審判は相手側の旗を上げた。
「丸鐘ももうちょい粘れよなー。ビビッて踏み込めてないじゃないのさ」
「ははあ、踏み込み」
分からないなりに相槌を打つと、横では佐久間さんが「あの試合はねえ――」とうんちくを語ってくれた。おかげで剣道に対する知識が深まった気もするが、ほとんど感覚の世界の言葉で話されたので、きっとためにはなっていない。
ズンと来てバンらしい。剣道を嗜まれない方は、この言葉を胸に試合を見るのがよろしい。
そんなオレ達をよそに、次の対戦が始まろうとしていた。立ち上がったのは青山だ。
「青山だ」
「あいつ最近気合入ってたからねー。頑張んないとね」
「先鋒落としたんだから当然ですよ」
「……勝つかなー」
オレは期待と共に呟いた。全く動じずに「気負わず行く」と話した彼の言葉が思い出され、これで負けたら笑ってやろうと、いたずら心を燃やした。
いつか見た姿勢で青山は相手と睨みあっている。今か今かと試合開始を待っていれば、たっぷり間を取って試合は始まった。
「――お?」
「――ん?」
それと同時に、佐久間さんと牧谷さんは首をかしげた。鍔迫り合いをする青山を見ても、オレにはなぜ二人が疑問を覚えるのかが分からなかった。
「どうかしたんですか?」
牧谷さんは少し唸って腕を組んだ。
「青山、だいぶ焦ってるみたい。らしくない試合だわ」
牧谷さんがそう言うと、佐久間さんも「なんか違う。急いで取りに行ってる感じ」と言った。
オレはもう一度青山の試合を見たが、青山が焦っているようには見えなかった。
「あいつ柄でもないのに攻めすぎてんのよ。そのせいでペース崩してんの。ほら」
「――あっ!」
牧谷さんがそう言うと、青山はよろけたように身を傾け、変な姿勢で竹刀を鳴らした。今度は素人目に見ても劣勢だ。幸いすんでのところで躱しているようだが、青山のどこかに有効打が入るのは時間の問題に見えた。
柄でもない試合。やはり、青山だって先鋒の人が負けて焦ってるんだろうか。
でも、焦って負けるのはもったいないだろ。
「……あいつ、気負わず行くとか言ったのに」
「かーっ。彼女にそんなこと言っといて焦っちゃうとはね。なんやかんや青山と言えども飲まれてんねえ。相手の次鋒なら勝てるって当ててるのに」
頑張れー!と応援する周りの声を聞きながら、オレは青山を見つめた。
何が気負わず行くだ。頑張ると言ったくせに、焦って必死になってるだけとは情けない。余裕綽々という態度は虚勢だったのか。
……いや、まあ女子に見栄を張りたい気持ちはよくよく分かる。オレだってちょっとはよく見られたくて、無駄に仕草に気を使ったりしたものだ。それにオレのことが好きなんだろ?だったらそれは当然というものさ。オレだって色んな見栄を張っている。
しかし、それで自分がバランスを崩すというのは元も子もない。おまけに本職の剣道まで崩れてしまうとなれば、オレは黙って見ていられなくなった。
まあ、青山がひとりでに転びだしているのだが、そんな時にケツを引っ叩いてこそ良い彼女というものだ。
「全く、あのヘタレめ」
見栄ばかりにうつつを抜かし、それで結局かっこ悪くなるなんて許せない。
いや、なんか前から優しいというか、意気地のないところを見せたりしてたけど、そういうのはオレに向かってのものに留めて欲しい。オレへは良いのかだって?
いろんな面を知っておきたいのだ。
「――気負わず行くとは嘘だったのか!ヘタレるのはオレだけにしとけ!仁!」
そう叫んでやれば、一瞬青山の面がこっちを見た気がした。遠目で見ても分かるように、オレは不自然なくらい勇んで睨み返してやった。
冷静沈着な男が、急に猛々しくなっても成果が得られるものか。オレはいつものお前の試合を見に、今日はバスに揺られて来たんだ。
「……ヘタレるのはオレだけにって……カッコいいとこ見せろとかじゃないんだ」
佐久間さんが呆れているようだが、オレにはこれ以外言えなかった。なぜならオレは男の悲しいサガを知っているからだ。
「男子ってのはですね、カッコつけろと言われたらカッコ悪くなる生き物なんです。面白いこと言ってよってフリが寒いギャグしかもたらさないことに似てます」
「はぁ……そうなの」
いつもみたいにする。そう素でカッコつける青山が飄々と結果を掴んで帰ってきた時に、オレは「かっこよかったよ」と言ってやろう。その時の顔を楽しみに、オレは試合を見つめなおした。
視線の先では、青山は一度引いて姿勢を正していた。構えはさっきのままだったが、さっきまで見せていた小刻みな動きは無くなり、どっしりと落ち着いた構えだ。
相手の選手がさっきと同じように斬りかかったが、青山はそれに向かっていくわけでもなく、さっきと比べて遅いのではないかと文句を言いたくなるくらい落ち着いてそれを受けた。それを青山が押しのけ、相手が再び斬りかかる、という打ち合いが展開される。さっきと何が違うかと言えば、青山の姿勢が崩れない。一貫してゆったりとした足運びのままに、青山は先ほどまで苦戦した相手に食らいついて見せた。
もう何度目だという打ち合いになった時、青山は少し後ろに下がった。相手は好機と見たか、スキップするように深く踏み込み、袈裟気味に斬りかかった。
青山はそれを見越していたかのように前へと猛進した。ハッ、と息を飲めば、青山と相手の位置が入れ替わっている。確かな打撃音は相手の腹部から放たれた。抜き胴と呼ばれるものだ。
審判の旗が掲げられ、青山がポイントを取ったことを高らかに示した。
ワッと場が湧き、オレ達は総立ちになって喜びを表した。
「やったぁぁぁああ!!すごい!!さすがだぞーー!!」
「志龍さん落ち着いて、まだ試合時間残ってるから!!」
「あっ、す、すみません……」
そうだった。まだ青山は優位を取っただけなんだった。落ち着いて竹刀を構え直す青山を見ながら、オレは試合時間が早く終わらないかと悶々とした。
しかし、青山は序盤が嘘だったとでもいうようにポイントを重ねた。急いで出てこようとした相手の出鼻を、籠手を弾いてけん制し、しまいには頭に剣先を打ち込み、最後まで譲らず勝利をもぎ取った。
今度こそみんなで大歓声を青山に降らせた。面を取った青山は、素知らぬ顔で会釈をした。
「志龍さん今度はあんまり叫ばないんだね?せっかく勝ちが決まったのに」
「……さ、先に発散して疲れたと言いますか、そのね?」
周りのみんなからの視線に気づいてるのに、そこまで素直に叫べるものか。言っておくが、いくらオレのことを邪険にしないでくれるとはいえ、ここは言わばアウェーである。
気軽にぴょんぴょこ跳ねられないのだ。
その後中堅戦に移行したが、結果としては惜敗だった。オレのことを案内してくれた紺谷という先輩だったみたいだが、相手の二刀流剣士に食らいつくも負けてしまっていた。
そして問題の金剛先輩が入場した。二分前くらいにトイレから帰還した先輩は、どこか覇気のない雰囲気で試合場に足を踏み入れた。
「……ダメかもしれない」
牧谷先輩は呆然と言った。周囲も明るくない表情を浮かべ、さっきのソフトモヒカン先輩は手すりにモヒカンの先を擦りつけながら「なぜ負けた丸鐘ぇぇぇ」と憂いていた。
この大会は取得本数とやらの多い方が勝利するらしいのだが、金剛さん次第で勝利する可能性がかなり左右されるらしい。ワンチャン~絶望の大将戦くらいの狭間だという。
「金剛先輩ーー!ファイトーー!」
佐久間さんが叫ぶが、もはや枯れ木に水をやるようなものだろう。金剛さんは力なく竹刀を上げた。
ーーー
選手が出てくるというゲートの前で立っていると、青山はじめ試合に出ていた人たちがぞろぞろと出てきた。金剛先輩は青い顔をしており、先鋒の人と中堅の人が両脇から支えている。
「やあ。君は青山のお連れだね。僕らは先に集合があるんだけど、少しくらいなら構わないから青山は置いてくよ」
団体戦で主将をしていた人が、細めをにこやかに曲げてそう言った。
「へ、え、あ、はい」
そのまま主将の人の号令で、金剛先輩が運ばれていく。こんな暑い時期に腹巻を巻いていたあたり、筋金入りのお腹の弱さであるらしい。
それはともかくとして、オレは青山と向き合った。青山はいつもの無表情を少し陰らせていた。
「……負けた。すまん」
「お前は勝ったじゃん」
団体戦は見事に負けた。金剛先輩が派手にぼろ負けし、主将がそのマイナスを返済しきれず敗れ去ったのだ。青山はショックが大きいのか、声色まで暗かった。
「勝ったが、何というかだな……」
イラっとするほど歯切れが悪い。ここで「焦ったが、何とかいつものように勝てた」とか言いながら余裕の笑みを見せれば「かっこよかったぜ」と笑えもできるのだが、いかんせん雰囲気が悪い。負けたくない、というのは、どんな部活でもどんな立場でも思うことだ。
「やれることはやったんだろ?部外者だから言えるのかもだけどさ、気にすんなって」
「それはそうなんだが」
「あとは――」
オレは向かい合う青山にもう一歩踏み出し、ほぼ真下から青山の顔を見た。
「逆転劇でかっこよかったよ。見に来てよかった」
声を和らげそう言うと、青山は目をそらして「……ありがとう」と返した。
「目、合わせてよ。へたれ」
「……ヘタレはやめてくれ」
「ならへたれなーいーのー」
からかう笑みを向けてみれば、青山は深くため息をついた。
焦ってたことは言わないでおいてやる。何はともあれ、きっと青山が何かの拍子に克服したのだから。
青山はガシガシ頭をかくと、オレの目を見て「ありがとう」と言い直した。
なんだか告白の時の様子を思い出し、急に色々意識してしまい、今度はオレが顔を背けてしまった。
オレは男じゃないから、決してヘタレているわけではない。




