志龍空の女道
青山君の日頃の変人ぶりが書きたくてその布石になる話。
ばあちゃんの特訓は時に厳しく、また時には激しく行われた。「女房こうあれかし」とする基準はばあちゃん自身かそれ以上のものに違いなく、オレはすっかりお淑やかに矯正されていた。
訓練はばあちゃんと話した部屋を出るところから始まった。廊下へ出て数歩歩くと、ばあちゃんはオレのことを立ち止まらせた。
「なんやそないガニ股に歩いて。男丸出しやないか」
「へ、ガニ股?」
ちらりと足元を見たが、そこにはいつも通りのオレの足があるだけだった。
ばあちゃんはオレの脚をぐいぐい閉じさせ、「これで歩き」と言った。おずおずと足を踏み出せば、数歩もするとばあちゃんが脚を閉じられる。
どうやら随分とガニ股だったらしい。それからというもの、どこに行くにしてもばあちゃんが鋭い目線と共に着いてきた。
居間で寛いでいると「しばらくは我慢しい!」と、胡坐をかくことを禁じられ、飯を食えば「大口を開けるな」と得体の知れない漬物が配膳される。やたらに塩辛いそれはおそらく失敗作であった。
初日からオレはほとほと疲れた。夜になり、せめて田舎の清澄な空気を吸おうと廊下に出れば、見知った老婆が襖の傍らで正座をしていた。
「うぎゃああああああああ!!!!」
「もっと色のある声は出んのかこの娘はっ!!!!」
「いやーーー?」
「なんで襲われとんのや」
きゃあ、なんて叫び声がとっさに出るはずもなく、オレは今度こそ疲れて眠るのだった。
明日は青山の試合がある日だ。ばあちゃん家からバスを乗り継げば着くということらしく、オレはバスで観戦に行く。
いつか見た居残り試合を思い返しながら、オレは彼女面して剣道部の試合を見に行くことに険しさを感じていた。元男だとかはまあ気にしていないのだが、よくよく考えてみれば、自分が彼女ですっていうのはこそばゆいものを感じる。
「……まあ、いっか」
オレは女として生きるしかなく、なら別に女らしくなっても良いはずだ。無理をしてるかと言われたら、そんなわけないと答えよう。
なぜなら、自分が抱いたこの気持ちは、まぎれもなく本心で、どうしようもなく奴が好きなのだから。
「多分大丈夫だろ」
「――……その口調も直しや……」
「ひいぃっ!?」
襖の向こうからしゃがれた妖怪の声が聞こえてきたので、オレはさっさと目を瞑った。
口調はまぁ、青山の前だと直しているので勘弁して欲しかった。
ーーー
閑散としたバスに揺られ、オレは勝手にドキドキしていた。やっぱり遠征先に押し掛けるのは中々「がち」な態度な気がする。
意味深な視線と共にオレを送り出したばあちゃんを思い出しながら、オレは膝をくっつけた。
今日は流石に素の格好だ。レディースのなぜか肌にくっつくジーンズに、着ていて楽な白のカットソーだ。バッグを男時代のものしか持ってこなかったことを夏生に糾弾されたが、母さんとばあちゃんは「似合ってるからええわ」と言っていた。母さんは帰省すると関西弁が戻ってくる。
ばあちゃんの女らしさの琴線はどこにあるのか考えているうちに、バスは目的地に着いたらしかった。
大きなクジラが横たわったような会場は、各地の高校関係者がぞろぞろといるらしかった。全国大会だけあって人が多い。バスから降車しつつ辺りを見回せど、うちの高校っぽい集団は見つからなかった。
「どうかされましたか」
「え?あぁ、ちょっと……」
親切にも声をかけてくれた人がいたので、うちの高校を知らないかと聞こうと振り向けば、そこには巨人がいた。
サイズ感としてはまるまるヒグマのようなその人は、金剛力士像のような険しい顔を精一杯緩ませつつオレに話しかけていた。
「……え、や、あの……う、うちの高校を探してまして……」
そう言うと、金剛力士像はにっこり笑った。笑顔は本来威嚇行為である、とは本当のことらしい。
非常に恐怖心を煽る笑顔であった。
「あぁ、どこの高校でしょう?」
「ほ、星ノ森高校でしゅ……」
オレが高校名を出せば、金剛力士像は「おや?」と首を傾げた。
「……うちの高校にマネージャーなんかいたっけか?」
「え?あの、うちの高校の人なんですか?」
二人して見つめあって固まった。こんな怪物がいたのなら、体育祭とかで見かけてもおかしくない気がするのだが。オレはこの人を見たことが無かった。
そんな会話があってすぐ、遠くから「お~い!金剛先輩~!」と聞こえてきた。目の前の金剛力士像はその声に反応し、「お、紺谷!」と声を上げた。振り向くと、細目の薄い身体をした男が走って来ていた。二年生のリレーに出ていた気がする。
「丁度よかった、紺谷はこの子知ってるか?」
金剛力士像……改め金剛先輩が言った。きっとこの人が青山の言う金剛先輩なのだろう。体に合う防具がなさそうなこの人は、いかにも強そうな見た目をしている。
金剛先輩の言葉を受けた紺谷先輩は、オレを見た後に首を振った。
「いえ?初めて見る子ですけど」
「そうかぁ。なんかこの子がうちの高校を探してたみたいなんだが」
「はぁ……君、うちに何か用?」
何かあったかい?そう微笑みを浮かべて聞く紺谷先輩に、オレはおずおずと目的を打ち明けた。
「え、えと……青山君を探してまして」
そう言うと、二人はにんまりと笑顔になった。
青山は一体どういう男なのだろうか。
二人に「それは悪かった!じゃあ一緒にうちのとこにおいでよ!」と言われ、誘われるままにエントランスに入った。少し入り口から隠れた場所に、たくさん人が集まっていた。どの人も同じシャツを着ていて、背には「星ノ森高校剣道部」と毛筆の字体で印刷されていた。
「おうい、青山やーい。知り合いがおいでだぞ~」
「待たせるな、早く来い」
二人がそう言うと、部員全員の注目と共に青山が姿を見せた。彼は虚を突かれた顔をしている。
約束より早めに着いたので、それでびっくりしているのかもしれない。
「……え、えと、ごめんな?一本早く乗っちゃって」
「あぁ、いや……それは良いんだが……」
いつになく歯切れの悪い青山が言葉に困っていると、彼の背後から何人かの剣道部の人が顔を出した。
「……青山お前……ここ何日か部活に気合入ってたのはこういうことか?」
「観戦に一人増えても良いかってこういうことかぁ?」
「…………まあ」
片やスキンヘッド、片やソフトモヒカンの二人が青山に絡んだ。
青山は何やら最近張り切る出来事があったらしい。口ぶり的に、もしかしてオレのことだろうか。だったら嬉しいなと口元が緩んだ。
そんな二人だったが、青山の「まあ」に悶え、「柊に振られたばかりのくせに!!」「俺らだって部活頑張っとるわ!」と悪態をついていた。しかし、すぐさま上級生らしい人たちにノされれば、近くの空きスペースに鎮座させられていた。
次いでオレに、剣道部の女の人が絡んできた。
「こんな遠くまでわざわざ応援に来るなんてすごいわね!ねえ、青山君とはどういう関係?」
しぃん、と全員の声が潜んだ。オレはこの上なく露骨な勘繰りに赤面した。青山を見ると、彼は紺谷先輩に肩を組まれていた。
「…………かっ」
「か?」
ベリーショートの凛々しい先輩は笑顔で首を傾げた。
「彼女……です」
言ったそばから一同がどよめき、みんな青山に色々言葉を投げかけた。一方オレは、公衆の面前で彼女宣言をしたことに恥じらいとこの上ない成長を感じてよく分からないことになっていた。
ただ、このままだといつ解放されるか分からなかったので、オレは青山の手を引いて逃げた。もちろんガニ股ではなく女らしく。通路に入って自販機前の休憩所みたいな場所に着いたところで、オレは青山の手を離した。
「……すごかったね」
「……そうだな。志龍は早く着いたんだな、迎えに行こうかと思っていたが、金剛先輩にあったのか」
「うん。なんかすごい笑顔で案内してくれた。親切な人だな」
青山は途端に苦笑いを浮かべた。
「みんな志龍がいたら面白いだろうからな」
「面白い?どういうこと?」
青山は「いや、嘲るような気持ではないんだが」と前置きした。
「俺が観戦席を一つ開けてくれと言ったら、新しい彼女かとみんなして盛り上がっていたんでな。みんなどういう奴が来るのか楽しみにしてたらしい」
「た、楽しみに……」
だからみんなニヤニヤとこっちを見ていたのか。オレは合点がいくと同時にむず痒かった。
「まあ、そういうことだ」
「そっか……あのさ」
「ん?どうした、志龍?」
青山はいつもの顔でいつものように言った。だが、これから話すことはいつものことじゃない。今日はこれを言いに来たんだ。
「試合、頑張ってね。応援してるから……ひ、仁……さん」
「…………あぁ、頑張る。ありがとな……空」
たったそれだけのやり取りだけだったが、オレも青山も撃沈し、二人してその辺の椅子に腰かけた。
名前を呼ぶのって、こんなに緊張するものだっけ?呼ばれただけで、ここまで嬉しくなるものだっけ?
なんだか大冒険をした気分になって、オレは頬を抑えてうずくまった。
暴れる心臓を押さえつけ、落ち着く頃には何分か経っていた。顔を上げると、青山がスポドリを持って立っていた。片方をオレに差し出してくる。オレは「ありがとう」と礼を言って両手で受け取った。なんか変に意識して丁寧になってしまう。
「あぁそうだ。観戦席は先輩たちもいるからな。その……色々聞かれるかもしれん。先に言っとく」
「えっ」
オレは凛々しいベリーショートのお姉さんを思い浮かべ、桐野さんや楓に通じる何かを感じて身震いした。
でも、オレの知らない青山の話が聞けたらそれはそれで楽しいかもしれない。
オレはニコリと笑って「うん、教えてくれてありがと」と言った。
たぶん女らしく言えたのだと思う。青山は少し目を見開きながら「……おうっ」と言った。




