悶々とその日を思う
久しぶりに志龍家に出てきてもらうぜ。
「うごぉおおおお……」
夜、オレは自室でクッションに殴りかかっていた。それもこれも昼に後藤さんに洗いざらい話すと言ったせいである。青山に抱き着いたくだりでみんなから、そしていつの間にか部屋に侵入していた家族一同に冷やかされ、オレは壁にクッションを磔にして拳を押し付けていた。夏生たちは足蹴にして部屋から追い出した。母さんが夏生とニヤけ面で顔を合わせ、父さんが小声で「娘はやらん」と練習していたのが腹立たしい。
『もうめっちゃ可愛いじゃんそんなの』
通話で紬が言った。スナック菓子を食べているらしい彼女はボリボリという音を通話に響かせている。
『そんなことして今日の罰ゲームなんてしちゃったら~、もう絶対次で決める流れよねえ』
「……そ、そうか?そういうもんか?」
オレは桐野さんに薄々意識していたことを指されて狼狽えた。やっぱその答えにたどり着くのか……。
『どしたのそらっち。なんで浮かない声なのさ』
後藤さんは真新しいあだ名をぶっこんで来た。桐野さんをきりのんと言ったり、由佳たちにごっちゃん呼びを提案するあたり、彼女はあだ名が好きなのかもしれない。
「やー……女子歴三か月とかでこんなんになってる自分が複雑でもう……」
オレがチョロすぎる可能性が出てきている。別に男心を弄ぶ趣味はないが、なんかこう……悔しい気がするのである。
それを聞いてみんなは笑った。
『それは間違いないかもね!男子の反応が嫌なのはわかるけど、あそこまで青山君にくっつくなんて思わなかったし!』
由佳は楽しそうに言った。みんな異論はないようで、同調の声が漂った。
「ぐうぅ……なんだろう、この妙な拒否感は。まだ早いって感じがすごいんだが」
オレが正直な心境を漏らすと、みんな「ほほう」と反応した。
『早いぃ?あんだけ好きとか言っといて今更ヘタレるなよー』
紬は不満げに声を低くし、『好きならいいだろ』とぶすくれた。
『うふふ~、奥ゆかしいって言ったらいいのかしら?それとももっと焦らしたいの~?』
桐野さんは一方で愉快げだ。ガサゴソと雑音が混じってくるあたり、ゴロゴロしながら言っているようだ。
『しっかし、早いってどういうことだろうね?』
楓がそう言えば、皐月はPC版のアプリに付属しているという効果音を鳴らして注意を引いた。幼児用の靴についてる鳴り物みたいな音がした。
『あら~?日比谷さんは何か分かるの?』
桐野さんがそう言えば、皐月は『うむ』と大仰に返事をした。彼女は通話越しだと少し小ネタを挟んでくる。
『空にはまだ女の子としての自信が足りない。青山君に「可愛い」って言われたこと、ある?』
「……自信て……いや、確かに言われたこと無いけども……え、そんなこと?」
似合うとかは言われたしその線は無いのでは……と思ったが、周りでは皐月を持ち上げる空気感が形成されていた。もしかしたらそうなのかもしれない。……こういうとこがチョロいのかもしれない。
『空は女の子になり切れてない自分が恋人を作るのに抵抗があるということね!』
由佳がそう言えば、満場一致でその結論は事実になった。皐月からパフ音が鳴り響く。オレはどういう風に話が流れるかが気になり続けていた。
『……そういえば、空って結構男物流用してるけど……青山君とのデートにはどんな格好していくつもりなの?』
楓がそう言うと、通話でみんなが口々にカバンが男物だったけどだのおしゃれな服は買ったことがあるのかだのと言い出した。オレは未だに洒落たカフェなどに異世界感を感じる女子だ、言わずもがな洒落た服の置いてあるブティックなどには独力では入れない。つまり完全なる私服でデートに臨もうとしていたのである。
「……い……いつもの服で……」
『髪は?バッグは?お化粧は?』
楓は続け、オレはいつの間にか正座していた。
「髪は下ろして……カバンはいつものショルダーバッグで、化粧はBBクリームとかで良いかなって」
『良くないねえ……女の子としてそれはどうなのさ?』
「だって……だってさぁ……」
気合入った服を着た経験が無いわけじゃない。ちょっと格式の高い店に外食しに行った際など、変に見栄を張るものだから一家揃って緊張し、身の丈に合わない服を着せられたものだ。もちろんこれは女子になってからの話である。
しかしその時感じ入ったのだ、女の子然としたきれいな服を着るとオレは落ち着かないのだと。普段はつい楽だからと通販で買ったジャージをヘビロテしていたのが祟った。楓たちのいない夏服の調達に一人で赴き、ボーイッシュな服だらけになったので、なおのこと免疫が下がっているのである。
……メンズは買わなかったのかだと?サイズも合わなければ、流石に男然としすぎる服は似合わない。似合わない服は着たくないので却下である。あと肩が落ちる。
『だってもへったくれもないっての。可愛い服着たくないの?それに青山君、空がおめかししたら嬉しがると思うけどな~?』
楓は囁くような声色でオレを唆した。可愛い服を着たいという欲が皆無とは思わないが、これはいたって純朴な興味である。似合うかどうか調査と呼んでいる。まあ、それはともかくとして、青山は喜ぶだろうか、いやあの似合うという言葉が喜びを表しているのかもしれないが。
「そうか……そうかあぁ?」
『頑張って男の人に可愛い自分を見て欲しい……空はそうは思わないのかねっ?』
由佳が声を弾ませている。まあ確かに、普段そうでもない女子がお洒落してきたともあれば、男的にはグッとくるものがあるかもしれない、いやある。かつてのオレならその時点で落ちる。……かつてのオレからチョロいな。
……まあ、そういうことなら、頑張れるかもしれない。
「……ちょっと、頑張るかな」
部屋着で行くより絶対良いに決まっているし。オレがそう言えば、「がんばって」だとか、「応援する」とか、皐月の「キスプリ待ってる」とかの声が寄せられた。
「――話は聞かせてもらったよ。まずお化粧と髪型から始めようか」
「――夏生さんや、なぜそこに?」
夏生は「追い出された後すぐにこっそり入った」と言った上でその有り余る腕力でオレを拘束し、スマホの通話をスピーカーにしてベッドの上に置いた。なぜかオレは彼女の膝の上に乗せられ、部屋のドアには母さんが歴史を感じさせる貫禄のある微笑みと共に寄りかかっていた。
『どったの空?今の声は?』
由佳がそう言うと、夏生はオレにのしかかって通話口に顔を近づけた。すっかり覆われたオレにはもはや成す術は無い。
「初めまして~、志龍空の妹の夏生です~」
『え~~前に楓が言ってた子~!?初めまして~柏木由佳っていいます~!』
あぁ、やめておくれみんな。楽しんでるんだ、この一家はオレがすっかり女子になってることに喜びと愉快さを感じて群がるピラニアなんだ。みんな声だけなんだからそんなに早く迎合しなくて良いじゃないか、なんで会う約束がそんなに爆速で取りなされるんだ。オレが可愛いトークに花を咲かせるんじゃないよ。まだ約束の日も決まってなければ本人が妹の胸板で潰されてるのに、着せたい服を集計するとはどういう了見だ。……あ、夏生と母さんに加えて楓と皐月がレクチャーに来るのですかそうですか。
成す術もなく寝そべるうちに、どんどん話は固まっていった。かくしてオレは青山とのデート(仮称)に挑むこととなったのである。
……青山のよろしくなって、どういう意味なんだろうか。
ーーー
みんなとの通話も終わり、夏生や母さんから「女子堕ちおめ!!」と揉みくちゃにされてオレは一人ベッドに倒れていた。なんか妙に疲れる一日だったなあとタオルケットを抱き込めば、青山に抱き着いた感触を思い出して「おひゃあ!!」と叫んでタオルケットをぶん投げた。全く心臓にも悪い一日だった。
「――お?」
荒く息を吐いていると、枕元のスマホが鳴動した。震える画面は“青山”と文字を浮かび上がらせていた。
あいつ、どうやら電話を選んで連絡してきたらしい。オレはちょっと息を落ち着けてからスマホを取った。
「おっす。もしもし~」
『よう、今大丈夫か?』
「ぉっ……おう、大丈夫だぞ」
さっきのスピーカー通話で音量の設定が最大になっているオレのスマホは、大音量で青山の低い声をオレの耳に響かせた。話すというより耳元で囁かれてるみたいな感覚がして、オレは背筋を粟立たせた。
……ちょっと好奇心が湧いてきて、オレは音量設定をそのままにした。
『そうか、さっきは通話中だったんでな、掛けなおしたのが遅くだったから不安だった』
「さっきは女子で話してたよ。まあ今日の振り返りみたいなもんかな」
間違っても内容は話さない。そんなこと口走ろうものならそれは告白である。オレの人生のポリシーの中に「告白は顔を見て」というのがある。なのでそんなことはあり得ないのだ。
『豆だな。まあ谷口や西出はチャットで騒いでたが……。それより、志龍はいつが都合がいいんだ?』
「オレか?オレはな~……んー、来週の日曜日とかかな?」
オレは先ほど決められていたオレの「勝負衣装作戦」が終わっていそうな日を指定した。青山は難しく唸ると、しばらくした後に「分かった」と言った。
『その日は開けとく。また都合が悪くなったら言ってくれ、合わせるから』
「いやいや、そっちこそ言ってよ。オレも合わせるからさ」
オレ達はしばらくいやいや、いやいやと言い合った後で、まあ遠慮しないで良いかと笑いあった。
『行先はどこにする?志龍はどこか行きたいところとかあるのか?』
「へ、うぅん、そうだな~」
そういえばそんなこと全く考えていなかった。オレはデートといえばどこだろうと頭を巡らせ、遊園地、動物園、水族館などを思い浮かべた。今日レジャーに行ったばかりだからか、それらはあまりピンとこない。
「……青山は何か買いに行きたいのとかない?オレ海行ったばっかりで思いつかないや」
そう言うと、青山はしばらく沈黙した後に「あ」と言った。
『……怒らないで欲しいんだが、そろそろ部活の道具が切れそうなんだ。ありきたりだが、モールで良いか?』
このあたりでモールと言えば、オレが水着を買ったあそこということになる。まあ服を買いに行くというのは違うところにあるブティックらしいし、オレとしても大型のモールなら暇はつぶせるだろうと思った。
「全然いいって。なんなら変なとこでも良かったしな。買い物しに行くか~」
『……そうだな。そう言ってくれると助かる』
電話口で少し青山はどもっていたが、オレは気にせず寝転んだ。なにか買いに行きたいものとかあったかなあと考えを巡らせる。
電話口では青山ものんびりしているようで、小さくテレビの音声が流れていた。今話題の映画のCMが耳に触れた。
「……その映画とか、どう?モールに映画館あったよな」
レジャーの後は室内の落ち着いたものに触れたくなるらしい。
青山も特に異論はないのか「それもいいな」と言った。
『じゃ、そういうことで決まりで良いか。いつ集まる?』
「休みだし昼前で!お昼もついでに食べに行こう」
『分かった。じゃあ十一時ごろに駅にいる』
「おけーおけー。楽しみにしとくから」
『あぁ、分かった。……俺もな』
「――へ」
通話はそれきり切れてしまった。オレはこの体になって可能になった女の子座りのままスマホを見つめた。青山は、楽しみにしてるって言った。
「……くそぅ、絶対やり返してやる」
最後の最後に驚かせやがって。こうなったらオレもいつもと違う格好で度肝を抜いてやろう。オレは決意を固くした。
……あと、オレは意外に耳が弱いかもしれない。スマホの設定音量を下げつつ、オレはクッションを押し付け耳を労わった。
誰しも変なとこでもお前となら良いと言われてやり返さないやつはいないんだな。




