女空、クラスにはばかる
いきなり女に変わった時、人はどうするべきだろう?
俺はそれをずっと考えた。廊下で。そして今、答えを見つけた。それは――
「志龍空です!朝起きたらこうなってました!戻れるかどうかも怪しいですけどよろしくお願いします!」
――開き直りである。
葛城先生が懇切丁寧に俺の境遇を説明してくれたので、もはや俺が言うべきはこれしかないのである。
そして、なってしまった以上は仕方がないのだ。受け入れよう。
「そ、それじゃあ志龍くん、席についてください」
「はい」
ぶかぶかのブレザーを揺らして席に着く。クラス中の視線を集め、緊張から汗が出るが気にしない。これが今の志龍空であるのだ。
隣の席の友人勝山圭吾が呆気にとられていた。
「な、なあ。し……志龍?」
「ん?どうした?」
ちなみにこいつとは土曜に出かけた。また月曜になと別れた友達が女子になっているのだから、衝撃も大きかったのだろう。
仲がいいだけに、受け入れ難い部分もある様子である。
「まじで志龍か?」
「そう友達を疑ってかかるなよ、俺は志龍だって」
そう言っても、勝山は訝しげに俺を見続けた。
ぶかぶかの男子制服に入れられた名前の刺繍を見せても、効果は薄いようだ。
しかし、この勝山という男は野性の男である。
しばらく話していると、「その話し方とかは志龍だな……」などと一人で合点してしまった。
「……お前、大変だな」
「……純粋な労いを受けたのはお前が初めてな気がするよ。ありがと」
紛れもない真実である。
しかし、勝山は何やら呆けた顔を向けていた。
「……なんだよ」
流石に礼を言って呆れたような顔をされるのは本意ではない。じろっと睨めば、勝山は慌てて二の句を継いだ。
「あ、いやさ、志龍ってお礼言う時笑うんだなって」
「はい?」
俺だって笑うくらいする。それに、友達との軽い会話くらいなら結構そうしていたはずだ。と考えたところで、日本人は目を見て感情を読み取るとどこかで見たことがあるのを思い出した。
もしかして、童顔隠しの隠れ目のせいで俺の笑い顔って認知されてなかった?
「いや、結構笑ってたけど、もしかして前の髪型って表情分かりにくかった?」
「そーだな。てかあれお前無自覚だったの?不思議ちゃん扱いされてたんだぞお前」
衝撃の事実が発覚した。クラスの不思議ちゃんがさらにその奇妙さを増してしまっている。これで友達関係を繋いでいけるのだろうか。俺は不安感に打ち震えた。
「……俺、友達できるかな。不安になってきたわ……」
「いやまあ、できるだろ。そんな苦労しない気がする」
勝山の言うことは当てにならない。直情直感型のこの男は考えることを放棄するのにためらいがない。
周りを見てみても、さっきの勝山のような表情を浮かべているのと、訝しげにこちらを見ている者、すっかり興味をなくしている者とが入り混じっている。
前途の多難さを思って俺は項垂れた。
「勝山……お前やっぱバカだわ」
「女子にそんなこと言われると泣きたくなるから、やめてくれ」
俺は女子じゃない!と弁明して、机に突っ伏すことにする。
初手を誤った。廊下での結論は今後しないと誓う。
ーーー
「なあ志龍、飯食おうぜ」
「え?」
勝山が食堂へダッシュで向かってしまい、ボッチ飯に甘んじることになっていた俺に話してきたのはサッカー部の菊池蘭丸だった。健康を超えたレベルで焼けた黒い肌に爽やかな顔面を張り付けた、いわば爽やか君である。このクラスは二組だ。
「うわ、志龍って驚くんだな。なんか変わりすぎだしさ、色々話そうぜ」
流石爽やか君である。スポーツ推薦で入学したにもかかわらず、学力も高くておモテになる男は心まで爽やかのようだ。俺はありがたくお誘いに乗った。
「――へえ、朝起きたら」
俺はかいつまんで俺の経緯を話した。母さんに部屋を掃除されたシーンは涙なしには語れなかっただろう。俺は泣いてないが、テニス部の万場信二は泣いていた。ちなみに妹のシーンはカットだ。
「そうなんだよ。もうどうしようもなくてさ」
「病院とかは行かないのか?」
菊池は心配そうに言う。
「んー、それも考えたんだけどな。なんか母さんが心配して」
学校での扱いだけ見れば全く問題ない気がしてきた。「あ、変わっちゃったんですね~」くらいで済まされそうだ。
「なるほどな。まあ気持ちはわかるよ、でも行っといたほうが良いんじゃね?」
菊池の忠告に頷くと、その話は区切りとなった。それからは、男子らしい話へと向かうのだった。
「――中身は男なんだよな?」
万場の問いに、少し悩んでから頷く。そうすると万場はひどく真面目な顔で頷いた。そして――
「おっぱい触らせて」
――まるで告白でもするような表情で乳をリクエストした。
「断る!」
断固として。
「えぇ~なんでだよ、減るもんじゃねえのに」
「いや、減る減らないじゃないよ。冷静になれ、あの不思議ちゃんの志龍に胸を揉ませろって言ってんだぞ万場」
前髪の長い陰気な男と髪を短めに切りそろえた軽妙な男が乳繰り合う……自分で考えて悪寒が走った。
「……今普通に可愛いし……」
「節操ないな!誰かに告白でもしてこいよ」
「じゃあ志龍、付き合って?」
「嫌だよ気色悪い」
万場という男は節操をへその緒から取り忘れてきたようだ。元男を冗談でも口説くのは、元男からしてきついものがある。
しかし万場の目から光は消えない。むしろ猛々しくなっているようにも見える。確かに今の俺はさっぱりとした印象の女の子だが、そんなに執着するほどなのだろうか。
「中身男だから胸触ってもいいかと聞いたらダメだと言い、なら女の子なのかと告白しても気色悪いって、どういうつもりだ!」
「流石に誰でも胸触られるのは気持ち悪いし、告白十七連敗中のお前に言い寄られたらたまったもんじゃないだろ」
「はうぁっ!」
菊池の一言で沈み込んだ万場は、突っ伏したままジロリとこちらに視線を向ける。その目は座っていて、不意に肩を竦めてしまった。
「いいじゃん……元男ならわかるだろ、このやり場のない想いが。無理矢理やってやろうか……」
「……な、なんだよその目。ジロジロみるなよ」
これが女子の言っていた「男子の目はすぐわかる」というやつか。実況するなら万場は今俺の胸のあたりを……なんだか本格的に寒気がし、俺は席を立った。周りの席の奴らも少し顔をそらした。男子ども、お前らもか。
「ごめん、菊池。俺もう行くわ」
「あ、あぁ。こっちこそごめんな」
それに手を振り俺は教室を出る。とっさのことで、まだほとんど手を付けてない弁当が重い。
ふらふらと構内をさまよいながら、俺はさっきの感覚を思い返していた。
「いや、流石にないな」
変に見られて意識しただけだろう。そうは思うが、万場のあの目は本気だった。女子はあれを向けられるのか、すごいな。心の中でひとしきり称賛すると、目の前にあったベンチに崩れるように腰を下ろした。案外思い詰めていたらしい。
「はぁ……ダメだな。こう、もっと気丈にいかないと」
万場一人に狼狽えてどうするのか。
とはいえ、やっぱり男子から見れば女子なんだなと実感した。スマホを取り出して手鏡のようにすれば、そこには複雑そうに眉をひそめる女子がいた。ぱちりとした目は伏せられ、憂鬱さを醸している。
「――自分のことなんか見て、そんなに今の恰好が気に入ってるの?」
「へ?」
後ろからの声に驚いて振り返ると、そこには太陽をバックに立つ女の子がいた。逆光がまぶしい。
「……どうしたの?」
「逆光が……その」
頑張って目を細める俺を訝しんだ質問に答えると、その子はそそくさと俺の横に来た。普通に知ってる顔だった。
「あぁ、柏木さんか」
「声聞いて気付いてよね……」
柏木由佳さんは、同じクラスの女の子だ。背まである髪を豪快にポニーテールにまとめている、少しつり目の美人タイプである。密かに彼女に思いを寄せる不埒者は少なくない。
「で、柏木さんが何の用?」
「志龍君が心……いや、まあ特に用は無かったんだけど、自分の顔を見てたから、気になって」
しどろもどろで柏木さんは答えた。
「気になった?どゆこと?」
そう聞くと、柏木さんはさっきとは打って変わって捲し立てるように話し始めた。
「さっき万場に変なこと言われて落ち込んでないか気になったの!!気味悪がってる子もいたけど、手術とか、そういうものでもないんでしょ!?」
どうやら心配で来てくれたらしい。女子から受け入れられることをこの半日で諦めていた俺は、まるで神を見たような気分だった。人の弱みに付け込むとはとんだ悪女である。付き合ってください。
「まあ、現実見たって感じかな」
「どういうこと?」
柏木さんはこてん、と首をかしげる。生粋の女子はこういう仕草も絵になるものだ。俺がやろうものなら違和感から悲鳴が上がりかねない。俺から。
「なんといいますか、あ、俺女になったんだなぁって」
「……実感なかったのね」
「俺的にはあったんだけどね、なんか、そういう対象になるんだって思ったら急に」
万場的にはありだったみたいだし。他のクラスメイトも俺を見ていた。それに菊池も否定しなかった辺り、そういう風に思う節はあったのだろうか。なんだか憂鬱になる。
「ほんと、表情分かりやすいわね。ほんとに志龍君?」
「志龍だよ。前まで髪で目隠してただろ?多分そのせいで無表情って思われたんだと思う」
こちらとしては普通に笑ったり機嫌が悪かったりしたのだが、勝山すら気付いてなかったので他も絶望的だと思われる。やるせない。高校デビューと称して前髪を切っておけばよかった。
前髪をいじっていると、柏木さんはクスクスと女の子特有のかみ殺した笑い声をあげた。
「なんか毒気抜かれた。なんか、普通の女の子だね。万場に言われたことなんか気にしないでいいよ。私らで守ってあげる」
「え?どういう……」
どういうこと!?そんな俺の疑問は、ためらいなく繋がれた手によって霧散した。
「志龍君普通に……いや、結構可愛いし、なんかボーっとしてるから心配になるわ。私らと一緒にいよう」
なるほど守るの真の意味は女子のグループに入れてくれるということらしい。
女子に用がある時、決まってそこに複数の女子がいるので話しかけづらさを感じていたが、あれは防犯上の犠牲だったようだ。しかし、いいんでしょうか?
男の僕が女の子のなかに紛れるのって、本当にいいんでしょうかーー!!
――良いみたいです。いや、良いね。
柏木さんは女子の斥候役だったらしい。俺と手を繋いでやって来るのを見ると、柏木さんとよくいる女子たちは俺を近くの席に着かせた。
それから何が始まるかと思えば、言わずと知れたランチタイムだった――。
「ねえ由佳、ほんとに大丈夫なの?」
そう警戒心を強めるのは、ソフトテニス部の南原紬だ。短いボブカットを備えたリスのような小動物的な彼女は、菓子パンを頬張りながら俺を見た。
それを受けて柏木さんは大仰に頷いた。
「志龍君は不思議な男子だったけど、別に変な風じゃなかったでしょ。それにマンバカから口説かれて弱ってるんだし、心配してるような人じゃないよ」
「柏木さん……」
慈悲が人の面を被ったような人だ。俺は感激のあまりタコさんウィンナーを進呈した。南原さんも万場の名前が出ると同情的になり、なぜだか知らないが女子として振舞うことを許可された。特に振舞う気はない。
あと万場よ、君の彼女が欲しい気持ちはこのクラスでは叶いそうにないぞ。生粋の女子にすら警戒されてるじゃないか。何したんだ。
「万場のやつ、とうとうこのクラス全滅だね。志龍君は知らなかったみたいだけど、あいつ四月のうちにこのクラスの女子全員に告ったんだよ」
そう言うのはさっきから俺の髪を意のままにいじくる柳楓さんだ。腰まである髪を後ろに一本にまとめ、流した前髪から覗く大人っぽい猫目が特徴のお姉さん女子である。同じ年齢の気がしない。
そして万場の異常な女癖が明らかになった。このクラスの女子が総勢十六人(俺は除く。一抹のプライドである)と考えると、既に彼の魔の手はクラス外に伸びているのだろう。結果は察せられるが。
「なんだか万場が哀れに思えてきた……あれ?」
「ん?どしたの志龍君」
弁当を見ながら硬直する俺を南原さんが覗き込む。
「……お腹いっぱいだ」
南原さんが見る弁当は、未だその容量の半分をご飯で埋めている。前までは少し物足りない弁当箱だったのが、飯屋のチャレンジメニューのような量に感じられた。
「食べる量も女の子なんだね……変わったって話マジなんだ」
柳さんは後ろから弁当を覗くと、感じ入ったような声を上げた。
俺は物悲しくて凹んでいるがな。精神的に。好物は最後まで取っておく主義が邪魔をして、そうでもないものの処理で昼飯が終わってしまったよ。
「……体、女の子……なるほど?」
「どしたの?さっちん」
さっきからぶつぶつ言っているのは日比谷皐月さんだ。厚ぼったい黒縁メガネに三つ編みお下げの、容姿内面共に文学系女子だ。その相貌を拝んだものは未だいない。
そんな彼女だが、俺が合流してからずっとぶつぶつ言っていたのだ。嫌われているのかと思ったが、次第に柳さんと一緒になってそこいらを触り始めたので違うと分かった。
ちなみに、されるがままになっているのは女子の勢いに競り負けたからである。妹にすら勝てない俺が同学年の女子に勝てる道理がない。
そしてそんな日比谷さんはおずおずと、それでいてがっしりと俺の腕を掴んでいたずらに笑った。
「――ほんとに女子になったのか、確認。女子トイレに、いこう」
「――なんで?」
夏生よ、もういっそ病気にしておけば、息子の斬首疑惑なんて掛けられなかったのに。
まだまだある昼休みに恨みを覚えつつ、俺は柏木さんたちに周りを囲まれて降参した。
空くんの口調もあってか作者は彼の姿を美少女として捉えられてない節があります。
ちゃんと女の子(体は)です。