乳を出せと言っている
出した方が嬉しいだろ?
快速電車が夏の湿気をかき分けてオレ達を運んでいる。オレと由佳、楓、紬、皐月といういつもの面々が向かう先は、隣の市にあるショッピングモール――オレが初めて女性下着を買った――である。
目的は今年の水着の確保と昼飯、そして夜のお供の確保である。何を隠そう、今日はお泊り会当日であるのだ。由佳の両親が気を使ってかこれを利用してか、夫婦水入らずで旅行に出かけたというので、この計画は由佳の家で決行される。
「まずどこから回る?」
楓が窓の外を覗きながら言った。
「んー……まあ、順当にお昼食べようよ」
由佳はお腹を押さえた。今は正午を少し過ぎたくらいの時間なので、本格的に腹も減りだす。
「さんせー。なんか、がっつり食べたい」
「私はちょっとでいい……最近、暑すぎる」
紬は「肉、肉」と言っているが、皐月は「おこぼれちょーだい」と控えめなことを言っていた。今日の最高気温は30度を超えるらしい。嫌でもばてる。
「オレは軽めで良いかな」
「空も、夏バテ?」
皐月が仲間を得たりといわんばかりに聞いてきた。だがしかし、それは誤解である。
「いや、これ癖なんだけど、まだ男基準で決めちゃったりするんだよな。ちょっと減量してる気分」
まだオレの中の一人前の量は男ものさしで測られている。おかげで食が細くなった実感が薄れることは無い。いつもお腹いっぱい食べているのだが。
「……別にいいと思うけど、だからって食べすぎたら太るよ?」
「太る……」
そういえば、女子は太るのを嫌がる生き物だ。清少納言も「小さきものは可愛けり」とか言ってた気がするし、容積が増えるのは可愛さを減らすのだろう。オレは自分の頬を柔くつねった。増えてるのか?実感はない。
「お腹は出てきてくびれがなくなり、足はずんぐり寸銅のよう……顔は首と顎が繋がって……」
由佳は怪談でもしているのかという口調で言った。思わずそんな自分の姿を思い浮かべる。
「……おぉぉう……」
想像してみたが、そこには立派な子豚がいた。照井のような努力の末に勝ち取ったぽっちゃり体系なら割り切れるだろうが、オレの場合はだらしなく太ることになるだろう。
オレは腹八分の誓を立てた。
「……水着買う前に変な事言うなよ」
以前ダイエット経験を語った紬は、自分の腹を見ながら言った。この後、太っていないかを相互に確認するのだが、無事みんな大丈夫と励まし合った。
お前もやっぱ気になるのか?そう思った各位は、オレの青山に水着を見せてやりたいという気持ちを思い返していただきたい。
ちょっとは見栄をはりたいのだ。
モールに着き、足早にフードコートで腹を満たしたオレ達は、決戦の地、水着売り場へと進出した。お昼は妙に意識してしまってファストフード店のポテトだけだ。たらふく食べてお腹が出るのは嫌だなどと、女々しい思考が働いた。
由佳たちと過ごすと自分まで女子になる。プラシーボとやらだろうか。あるいは……。
さて、そんなこんなで物色は始まった。オレの。
みんな「自分はいつもみたいに選べば良いけど、空は初めてでしょ!」と言って、オレの水着選びに着いてきてしまった。
「さーて、青山君を悩殺する水着を選びますか」
由佳は意地悪く笑って手を擦り合わせた。
「あ、あんま変なのは嫌だからな」
「気にすんなって」
「するわ!」
紬はそう言っても気にもしない様子で、その辺のハンガーを引き出した。
「こんなのどうよ。脳死するって」
「紐じゃん……オレがするわ」
ハンガーになにか絡まってるなと思えば、それは水着だった。一応紐が交差するところに布切れが引っ付いてはいるが、それで何を隠すのか疑問である。一応ピンク色に染まっているが、遠目から見たら全裸である。アウトだ。
「えー、でもこれ見せたら絶対喜ぶって。空も男だったなら、こういうの着てるの見て嬉しくないのかよ〜」
「いや……一応、喜ぶかもだけど……ちょっと引くっていうか……。ていうか、こういうの人に勧めるけど紬だって絶対着たくない……」
「こっちも見るか」
「おおい!」
紬はオレの指摘をはぐらかし、さっさと紐を片付けてしまった。あれは絶対自分も着たくない口だ。
次いで由佳が「これは?」と、笑いながら水着を取り出した。
「……ビキニじゃん」
布地の少なめの。色は地味ながら、しっかりと出すところは出すデザインだ。胸の谷間ができるであろう箇所は、何故か金属製の輪っかが取り付けられている。ほんと、彼女らは自分が着れるかどうかの判断をしているのだろうか。
「かわいいけど」
「着れるの、それ?」
そう聞けば、みんなは何の気なしに頷いた。いや、皐月と紬は遠慮がちだが。
マジで?
「逆に、空はどんなの着ようって思ってるの?」
楓が言った。オレは吊られている水着の中から、大丈夫そうなのを持ち出した。
「これとか」
「これは……」
オレが出したのは露出の少なく、色も地味で、そして安い水着だった。ワンピーススタイルというのだろうか。肩甲骨周りは出てしまっているが、胸の谷もお腹も守られるそれは非常に安心感がある。股を隠すように付けられたスカートが、太もももある程度カバーしてるし。
由佳たちは呆れ顔だが。
「……なんか私、水着姿を青山君に見せて女の子って意識させたいって言われた気がするんだけど?」
由佳が言った。確かにちょっとご飯の時に零したが。あれは場のノリみたいなものである。楓が「せっかくだし」と張り切った水着を買うと言っていたので、オレも微かにあった悪戯心を打ち明けたのだ。
しかし、これもまた水着である。それに――
「……いや、やっぱ出しすぎるの、恥ずいし。足とかお腹とか」
「……空、そんなことじゃ、青山君は振り向かない。久遠さんも勇気を出したし、空もがんばる」
「皐月ぃ……それは卑怯というものでは……」
久遠さんを引き合いに出すのは意地悪なのではないか。かつて顔を火照らせながらも勇気を出した友達の姿を思い出した。彼女も躊躇いながらも、本気で足を踏み出したのだ。結果、日々惚気られるので耳に悪いが。
「空だって男の時に私がこんなの着ててもグッと来なかったでしょ!良いからもっと乳を出せ!乳を!そこそこあんでしょうが!」
「――そんな気軽に言うなぁ!」
確かにちょっとガッカリするかもしれないけども!
そしてオレは、堅実なデザインの水着がある区画から連れ出され、派手で大胆なデザインばかりの売り場に導かれた。
……ビキニないしはそれ以下の布しかない。
「うぅ……」
せめて落ち着いた色や柄のもので手を打とうとするが、そういうのに限って布がない。布が多いと思うものでも、容赦なく胸や脚が晒されるデザインばかりだ。
オレが選んだものより布は少ないものの、それでも落ち着きのあるデザインのワンピースタイプの水着を選んだ紬や、腹は出るもののしっかり胸や腰周りのシルエットが隠れる水着を買った皐月がうらめしい。由佳や楓はまだだが、それでも最後になるプレッシャーがオレを焦らせた。
いやしかし、なんでまた水着とはこうも下着っぽいデザインなのか。ちょっと良いなと思わなくもないが、これで外を歩くのは絶対照れる。
「――ん?」
少しずつ物色していると、水着に布地が帰ってきた。
そこで目に入ったのは、ビキニタイプながらも少し洒落たデザインのものだった。せめてこれなら、と手に取る。
「――お、結構かわいいじゃん」
いつの間にか横にいた楓がそう言った。オレもそれに頷く。
「うん。色も派手じゃないし、良いかなって」
藍色のそれは、下着のようなデザインの上にヒラヒラとしたカーテンが付けられたものだった。ついているのは前だけだが。後ろで結ぶのではなく首から吊る、というタイプだが、流石に谷間を全面に押し出すよりマシだ。ちょっと見えてるけど。腰周りには別に巻く腰巻みたいなのがついていて、不完全ながら太ももも守ってくれそうだ。
「パレオか〜。まあ、まだそれくらいで限界かな〜」
楓は残念そうにはにかんだ。
「……まあ、これくらいなら、セーフだろ」
「んじゃ、早速試着だね」
「……やっぱり?」
楓は当たり前だと頷いた。紬も皐月もしていたし、ある程度覚悟していたのだが。ちょっと大胆かもなと思った水着を今すぐ着るのは緊張した。
だがサイズが合わないのは論外なので、オレはみんなが着いてくる中試着室に入った。
「……よし、今から着替えるからな」
鏡の自分に言い聞かせ、オレはするするとズボンを下ろした。シャツとインナーも脱ぎ捨てれば、いつか楓に選ばれた紐ブラが出てきた。「……これは着れてるじゃん」と少し複雑になる。まあ見られないから良いのだが。
下着の上からねと由佳に言われていたので、その通りに上から水着を着た。ブラとショーツのせいで少し窮屈だが、サイズに問題は無いらしい。パレオというらしい布地も、紐結びで巻いてやれば完成だ。
「――おぉ〜、似合ってるじゃん」
「おわぁっ!」
由佳が試着室のカーテンから顔を覗かせていた。鏡越しに目が合って、思わず変な声が出る。
「へ〜、結構地味かもって思ったけど、着てみたらバッチリだね」
「そ、そう?」
「うん。似合ってるし」
「……そっか」
そう言われ、オレは胸をなで下ろした。鏡を見ても、多分大丈夫と思う。……ちょっと胸元が見えてるけど。
青山に見せたらどんな反応だろうか?体育祭の時みたく「いいと思う」なんて言われるだろうか。
「……はっ!や、やめとこ」
変な想像をして、落ち着かなくなったのでこの想像はここまでにしよう。とりあえず、これは買うことに決めた。
由佳の後に次々と顔を突っ込んできたみんなに「似合う」と言われ、照れながらも服を着直し外に出れば、紬と皐月は由佳の水着選びについて行ったらしく、楓しか立っていなかった。
レジに行って買ってくると伝えれば、楓は「ちょっと待って」と引き止めてきた。
「なんだ?」
「あ……いやさ。空って圭吾の好みとか知らない?」
「へ?」
勝山の好み?確かに、あいつとは長い付き合いなので、好みの水着はとかそういう下世話な話もした。なるほど楓はいい所を見せたいらしい。元男の面目躍如といったところだ。
「あー……そうだな、あいつ分かりやすと思うけど胸大好きだからな〜。……オレが嫌がっといてなんだけど、割と出した方が喜ぶ……かな」
少し楓の胸元に目をやる。きっと勝山もこうしてたまに目線をやっているに違いない。
楓は少し頬を赤らめて「……そう」と言った。
「まあなんだ……えと、楓ならバッチリだと思うよ……?」
「……空、ちょっと今覚悟決めてるから黙ってて」
「へい」
結局楓は胸を出すことと引き換えに、肩を守ることを選んだようだ。関節に当たるところにフリフリと飾りがあてがわれたもの試着して、楓は「これで褒められなかったら二人とも覚悟してなさいよ」と、オレと勝山が揃って怒られることが決まった。
勝山には頑張ってもらおう。あと、多分あいつは喜ぶ。見た感想なので間違いない。
レジに向かっていると、由佳が三着ほどの水着の前で難しい顔をしているので、さっさと選べと促した。紬も皐月も苦労しているらしい。
「うぅん……この水着は動きにくそうなんだけど色がかわいくて、こっちは動きやすそうなんだけど紐で解けちゃいそうで……これは一番泳ぎやすそうなんだけど」
「紐は怖そうだし泳ぎやすそうなのはほぼスク水じゃん!色かわいいのでいいじゃん」
「由佳、水泳部なんだし水着は迷わず決めて」
紬が容赦なく他の二着を売り場に戻し、「もうちょい!!」とせがむ由佳に構わず試着室に引きずって行った。皐月は水着を手に取っていた。
購入後、由佳は「いや〜なんだかんだこれが一番だったかもね」と笑っていたので、おそらくこのやり方で良かったのだと思われる。




