女三人寄ればいかなる知恵が出るか
文殊と言ったり姦しいと言ったり、ことわざとは面白いもんです。
週末、市内の図書館にてオレや由佳たち、加えて後藤さんは集合した。言わずもがな、期末テストのためである。今日勉強するしなあ、と昨日手を抜いていたオレは、やや重くなったリュックを背負いなおした。中には特に目も通していない科目のノートが満載されている。気も重くなる。
長いこと背負っているのでそろそろ疲れてきた。そろそろ自動ドアから漏れる冷気に身を包みたいものだ。
「うへえ、やっぱ空のリュック大きいね。なんかサイズ感でちっちゃい子に見えるよ」
由佳は図書館に入るというのに買ってきたらしいアイスをなめながら言った。おかげで入り口の前で立ち往生している。
そしてオレのリュックはでかい。なぜなら服とは違って、男の時のものをそのまま使っているからだ。かつてサイズが丁度よかった我が愛リュックも、今や亀の甲羅である。ちなみに今日はインナーの上にシンプルなシャツを身に着け、下はデニムだ。みんなはショートパンツやら短めのスカートなどで惜しげもなく足を晒しているが、オレはそこまで大胆にはなれずにいる。
「まあ、私物は男物そのまま使ってるしなあ」
「そうなんだ。そういやバッグとかも男の子っぽかったね。ショルダーバッグっていうの?暗めの色の」
何度か遊びに行った時の記憶をひっくり返せば、確かにそういうカバンも持って行った記憶がある。皆には「ボーイッシュな感じがしていいじゃん」と囃された気もする。
「空ってなんか活発な感じするし、そういうのも似合うよね。まあ、素なんだろうけど」
楓は落ち着いた色のブラウスを手ではためかせつつ言った。いい加減由佳が食べ終わらねば、オレ達は茹だってしまうだろう。
「似合ってくれて助かったよ。オレはみんなみたくそんなに足見せるのとか無理だからな」
これは本音だ。よもや桐野さんみたいなおっとりお嬢様系女子にでもなれば、ジャージなどは似合わなかっただろう。今の姿は男の時とはまた別方向にラフな格好が似合うので助かっている。ちなみに向いた方向は親しみやすい女子だ。
そう言えば、さっきから話を聞くだけだった後藤さんが「おや」と好奇の声を上げた。
「志龍さんはあんなに男男言ってたのに、服は女の子として似合うのが着たいんだね」
「――だ、誰だって変な服は着たくないし?」
「ふっ、今はそれでもいいさ。空には夏休みにじっくりと乙女心を目覚めさせるからね。食べ終わったから中入ろ~、もう溶けかけだよ」
由佳はそう言うとゴミ箱に棒を捨てた。ハズレだったらしい。
「由佳よりあたしらが溶けるわ。クーラー当たるとこ行こう」
紬は由佳の頬を突きながら言った。
「汗だくでそんなところ行ったら、風邪ひくよ?」
麦わら帽子で清純さを確保しようとする皐月が肌をさすりながら続いた。
「え、ちょっと待って、え、今なんて?」
女子たちはオレに構わず図書館に入館していった。オレの夏は一体どうなるのだろうか。後藤さんは「青山君と遊んだりするの?」と横から聞いてきて、思わず彼女のサイドテールを風車のごとく回してやった。あまり余裕の持てないからかいをするものではないのだ。
さて、この図書館はさほど巨大というわけでもない。週末とはいえ人がすし詰めになるでもない静かなこのスポットで、オレ達はそれぞれノートと向き合った。分からないところがあれば順次後藤さんに教えを乞うのである。普段から予習復習も完璧だという彼女は、自分一人だけその辺の本棚から見繕った小説を読んでいる。日頃の努力が生み出す圧倒的な余裕に、オレ達は恐れひれ伏した。ノートにかじりついて頭が下がっているだけである。
……まあ、特段面白いことがあるわけでもない。どちらかといえば面白くない。
わざわざ週末にまで後回しにしていた科目に、得意な教科が残っているわけがないのだ。何が起こっているかもわからない化学式に真摯に向き合うことを放棄してきていたところ、他のみんなの集中も切れたらしい。集まってから三時間という時に、ひそひそ声でのおしゃべりは開幕した。
「はぁぁ、つっかれた~お腹減った~。帰りなんか食べて帰らないか?」
机に頬を密着させた紬が言った。
今の時間は午後の四時だ。確かにいい時間かもしれない。勉強というのは、案外お腹が空くものらしい。小さく腹が「くぅ」と音を上げて、少し照れてしまった。
「空もこういってるしさ」
「腹にしゃべらせないでくれ。まあオレも行きたいけども」
「お腹もこういってますし~」
訂正するように、隣の由佳がオレの腹を不意につまんだ。びっくりして肩がはねたが、オレはすぐさま彼女を睨み返した。口元は「やったな」とニヤけてしまっているけども。女の子同士のスキンシップは未だ予測できないが、される分にはもう慣れた。
楓も後藤さんも賛成の声を上げ、皐月は近くにあるパンケーキ屋のウェブ広告を見つけたとのことで、紬のその提案は議決された。
今まで勉強で押さえつけられていた自堕落さはもはや自重を知らず、オレ達は取り留めもなく話を続けた。
「――あ、そうだ。話は変わるんだけどさ」
「――ん?なになに?」
話がかき氷かソフトクリームかどちらが夏らしいかという話になった時、楓は思い出したように声を上げた。ブルーハワイのかき氷を熱烈に推挙していた後藤さんが相槌を打つ。
「学期中はさ、みんな予定合わなくてあんまり遊ばなかったけど、夏はたくさん出かけない?」
紬や由佳は運動部で、楓や皐月、後藤さんは文化部だ。みんな休みもばらついていて、週末も部活だったり、部活の友達との予定が入っていたりした。帰宅部のオレはといえば、色々大変だったし、落ち着いてもこまめにみんなと帰りに寄り道したりして、改めて出かけようという話にはなっていなかった。
そうか、オレは今年の夏は女の子として過ごすんだな。女の子は何をして過ごすんだろう。少なくとも汗を垂らしながら、冷房の壊れた部屋で格闘ゲームをし続けた汚い記憶はできることはないだろう。勝山とのその記憶は、オレの人生最初の熱中症の記憶でもある。
「やっぱさあ、行くとしたらどこだろうね。海とか行く?」
由佳はそう言って水を掻く仕草をした。
「あ~っ良い!私も行きたい」
紬も元気に手を上げた。皐月も「目の保養……?」とか言ってる辺り、乗り気ではあるらしい。これは本人から聞いたことだが、彼女はどっちもイケるらしい。性別にかかわらず彼女の視線はやましさを孕みうるのだ。
さらには楓が「後藤さんも行く?」と聞けば、「いいの?きりのんも呼んでいい?」と返し、桐野さんまで巻き込んで計画は進んでいった。
「――お、オレは遠慮しよっかなぁ?」
オレがそう言うと、みんな「え?」と声を揃えた。予想だにしなかった――そんな空気だ。
だがしかし、少し待って欲しい。男子諸賢なら分かってくれるだろうが、太ももを晒すことすらオレには恥ずかしいのだ。スカートは膝丈を守り続け、休みの日も出かけるときは長ズボンかロングスカートを貫き続けているオレにとって、海に行くというのは至難の業だ。海というからには水辺で遊ぶ。そして水辺とくれば身にまとう装束があるのである。
――そう、水着だ。
男の時は躊躇いもなく着ましたとも。見られるより見る方に注力していたからね。しかし、こんな風になってからというもの、オレは妙に自分の体を意識してしまっているので、ほぼ下着と同義の水着姿になるのは恥ずいのだ。残念なことにじろじろ見られる感覚は知っているので、むざむざそれを味わおうとも思わない。
由佳は指を左右に振りつつ「ナンセンス!」と言った。
「空、よく考えて。海だよ?みんなで冷たい海に入ろう。キンキンに冷えたかき氷で頭を痛めよう?それとも私らと遊びたくない?」
「あ、いや……そりゃ行きたいし遊びたいけどさ」
「――待って、由佳。私にはわかる」
突然皐月が待ったをかけた。皐月は自信ありげに口角を釣り上げている。
「空はみんなに見られるのが恥ずかしい。じゃあ、見られて嬉しい人を呼べばいい」
「ミラレテウレシイヒト」
皐月はサムズアップと共に頷いた。何がグッドなのか。そんな人物存在しないが。
「それに、その人とかがいればナンパ除けにもなる。――ね、楓」
その言葉に楓はにこやかに頷いた。後藤さんは楽し気に「あっ」と笑っている。
「なるほど私が圭吾を呼んだらいいんだね?『女子の中に一人だと寂しいだろうから、誰か友達呼んでもいいよ。あ、空も行くからね』とか言って」
「…………ウレシイヒト?」
いや、頭では出ている。もう顔まで出ちゃってる始末だ。そりゃあ女子だけで行くのは不安もあるだろうし、正直オレも行きたいし、ボディーガードを連れて行くのはいいと思うのだが。
「私言ったよねぇ?夏で空に乙女心を目覚めさせるって。覚悟決めるために海行く前に女子だけでお泊り会しようか。決戦の準備しないとね?」
肩に置かれた手が重い。この状況、オレ一人が恥ずかしいだけでみんなもう行く空気になっていて、非常に分が悪い。別に恥ずかしいなら上に何か羽織っていれば問題なくね?となまじ思いついていたり、図星を突かれていたりしているので、もう半分くらい陥落しかかっていいる。
「ご、後藤さんは男が来てもいいの?」
そう聞くと、後藤さんはふわりと笑った。
「きりのんと一緒にいたら平気だから大丈夫。それに、別に触られなければセーフだから」
何が?とはもう聞くまい。葛城先生率いる空手部員の桐野さんは有段者らしく、確かに一緒にいれば安心だろう。
夏休みに海に行くこと、そしてその前に準備のための買い出しついでのお泊り会をすることは決定され、オレは図書館を出ながら放心した。
――あいつに水着姿を見せるのか。
ぞわりとした感触は決して不快じゃなかったが、絶対心地いいものでもなかった。どう思われるかな?なんて微塵にも思ってない。きっと。
パンケーキを食べながら、みんなで「夏の予定ができて楽しみだね」なんて笑いあっていたが、後藤さんが「テスト開けが楽しみ」と爆弾を起爆させ、オレ達はうめき声とも悲鳴ともつかない声を上げた。
パンケーキは甘かったが、現実は渋かった。
主人公はまだまだ言い訳しちゃうお年頃。




