喉元を過ぎるまでも熱は熱い
やっと真面目な空気が霧散していきましたよ。
後藤さんに爆弾発言を次々と投げかけられた夜、オレはすっかり悶絶していた。
男の時と変わらずさっぱりしたものを好む自室は、それでも「女の子らしさ」というやつが溢れてきていると再認識した。
最近みんなが使っているというので、人目を忍んで買ったちょっとした化粧品が机の上に置かれている。今まで適当に扱っても構わないものだらけだった服も、しわになってはいけないからと畳まれるかハンガーにかけて収納し、かつてのズボラさが薄れている。肌が荒れて痛くなったので、延々と床に放置していたと言っても過言ではなかったカーペットを処分し新しく買い替えた、肌触りの良いそれ。髪を適当にするなと怒られて買い与えられ、なんだかんだ言いながらも便利さを痛感している置き鏡が、なんとも複雑そうなオレの顔を映していた。
「……流石に女子じみたものは避けてきたつもりだったが……これは……」
せめてもの抵抗に部屋着のジャージが脱ぎ捨てられているが、生活感が増しているだけである。限界を超えた回し着も最近はしなくなったし、いよいよもって男の頃の面影が薄れてきている。
「…………わたし」
むず痒い。しかして自然だ。前よかつまりなく言えたが、それでもまだ変だと思う。
――青山はオレでも好きかな。
「ぬあぁいかんっ!」
頭の中の桃色を抜こうと頭を振っていると、隣の部屋から戸を閉める音が聞こえた。そして足音がオレの部屋に近づいてくる。
「――叫んで、どしたの?」
夏生はドアから顔を半分のぞかせ言った。風呂上りなのか、まだ少し髪が濡れている。
「夏生よ、オレは女子だろうか」
そう聞けば、夏生は半目になって一段と顔を突っ込んできた。
「まーた変なこと言って。女子じゃなきゃ何だっていうのよ。あ、でも無理に女の子女の子されても困るからね、お姉ちゃんってそういうのできないでしょ」
「……そうか?」
前に同じようなことを母さんにも言われた気がする。
「前の日曜日に『試しに一日女の子らしくしてみる』とか言って二時間で部屋に引きこもったことあったでしょ。もうあたしもそういうの諦めたから、また学校で何かあったか教えてね……好きな人とか」
「――なぁっ!?」
夏生はオレの黒歴史をほじくるばかりか図星をついた。しかし、思わず出た悲鳴が良くなかった。夏生は半目を楽しげに光らせた。
「あっ!その反応、何かあったな!?ママーー!!記念日案件!記念日案件!」
「待てえぇ!!!そんなこと記念日にさせたら恥ずかしさに殺される!!!」
オレと夏生の追いかけっこは母さんに拘束されるまで続き、オレが目の前で自分の黒歴史を朗々と語られるという拷問を受けたのち、我が家に一つ記念日が追加されたことは、このような紹介に留めてお話しておくことにする。
くわえてオレは、結局女子としての踏ん切りはつかなかった。いやむしろ、思考を放棄してさっさと寝て忘れたのが実情である。
ーーー
その翌日、オレはいつも通り登校し、教室につくなり後藤さんや皐月から肘でつつかれ続けた。
脇腹にアザが出来んばかりに突かれ続けるので、「んがあっ!やめい!」と振り払う。二人は変わらずのニヤケ面を浮かべていた。
「人の脇腹をサンドバッグにするその心は?」
そう聞けば、二人は顔を見合わせて笑いあった。何がそんなに楽しいのか。
「青山君別れたっぽいよ?」
「ほっ!?」
後藤さんのその言葉に、オレは一瞬頭が真っ白になった。
「そ、それはどこ情報で?」
「見れば分かる。青山君、今日は教室にいる」
皐月が親指で指した先には、確かに黙想とも放心ともつかないいつもの青山が鎮座していた。なるほど柊先輩に連れ出されなかったためにそういう推測が立っているのだろう。
オレは青山のもとに向かった。結局彼はどうなったのだろうか。
「よ、おはよ」
「あぁ、おはよう」
幾分落ち着いた声色で彼は挨拶を返した。いや、元から落ち着いてはいるが。
「……結局どーだったんだよ」
オレは挨拶より声を抑えて聞いた。青山は弱々しげに笑った。
「あぁ、振られた。ありがとうな、志龍。お前のおかげで半端な真似を止められたよ」
「……おう、気にすんな」
たったそれだけのやり取りだったが、彼が落とし前をつけたことに満足した。ごちゃごちゃしていたものがさっと流され、清々しい気分である。
そして、後ろで見守っているであろう後藤さんと皐月は、オレにこのまま引っ付けとでも思っているだろう。脇腹をつくあの態度が全てを物語る。
しかしそれは早計である。
かつて久遠さんは言っていた。「……もし失敗したらこわいから、ちゃんと私を好きになってから付き合いたいもん」と。
青山からしてみれば、オレは元男の女子(?)なのだ。きっと、振り向いてもらうためには多大な時間と努力が必要に違いない。今はまだ、青山に意識されてなんかいないと思う。確かにオレはもう青山が好きだと観念するが、恋愛とは相思でこそなのだ。
それに彼がフラれてすぐ告白とか、なんだか悪女みたいじゃないか?別れろと脅したみたいになる。そんな性悪ではない。
あとは、まだ後藤さんに言われた女の子っぽい発言を咀嚼しきってもいないのだ。だから青山に告白しないのは当たり前だ。ヘタレなんかじゃ絶対にない。
オレは胸の内で感情に結論を下したところで話をそらした。これ以上は顔に出る。
「ところでよ、青山は試験自信あんの?」
「試験?来週のか?まあ、そんなに焦ることもないからな」
青山はいくらか余裕を取り戻してそう言った。そういえば、中間は全く集中できずにひどい点を取ったものだ。なんとか次は挽回しなければ。
「余裕ぶるなあ。前はどれくらいだったんだよ」
「中間は確か学年十位とかそこいら……どうした、志龍」
「――……天はお前に二物を与えたのか……」
ちなみにオレも勝山も、中学時代の模試ではこの高校の合格評価は低かった。まさしくボーダーラインぎりぎりにいた男たちだったのである。当然日々の授業では、ざるのような脳が知識をすくわんと奮闘している。せめて平均点くらいには届きたい。
この目の前の男は文武両道を地で行っているようだが。
「……ようわからんが、勉強苦手なのか」
青山は言った。
「……ヘタレのくせに勉強も運動もできやがるとは……」
「俺が何をしたって言うんだ」
何もしていないが、少しくらい恨まれていろ。
青山との話の中に試験対策が盛り込まれることはこのように決定された。
ーーー
お昼休み、今日は女子連中で集まって弁当を突いていると、皐月が深刻な顔をして「とうとうこの時が来た」と呟いた。みんな一様に彼女を見つめる。
「どしたの、皐月」
楓はウインナーを噛みちぎりながら言った。
皐月はその黒縁メガネがズレているのも厭わずに俯いた。もうすぐで素顔が見れそうである。皐月はこの世の終わりのような声色で、「……試験が来る……」と声を虚空に放った。あまりに頼りない声量である。
「そだね。来週だね」
由佳が小さなシュウマイを箸で弄びつつ言った。
「やだな。なんで夏休み前にあんなひどい仕打ちを受けなきゃダメなんだ」
紬はマヨコーンなる惣菜パンを口に突っ込みながら器用に話した。オレの席にコーンが零れ落ちつつある。
「あぁぁぁ……なんでこの中に、秀才キャラがいないの……」
皐月は大きなため息と共に肩を落とした。皐月は眼鏡をしているし賢いと思った方々はカンボジア人であるか何かだ。彼女は文学系女子である。国語と社会、保健体育以外の成績は思わしくない。
そんな皐月の悲鳴を聞き、とある女子がふらりと現れた。というか歩いてるところを引っ掴んだ。皐月が。現れるというよりも召喚したと言った方が自然である。
「――うわっ!え、なに、日比谷さん?」
「――後藤さん、週末勉強教えてくれない?」
後藤冴子さんは勉強ができる。彼女はいわば、勉強ができる子グループの長たる人物なのである。
勉強はしなきゃできるようにならないと彼女たちに伝えてやってください。




