現代草食系男子
人は失敗して成長し、長所も時には短所になる。
そんなお話。
青山に連れられ、オレは現在階段を上っている。後藤さんを追って上った階段である。行き着く先は踊り場だけだ。
青山は屋上に続くドアの前で立ち止まり、階下を覗いて誰かいないかを確かめた。
「――どしたの、青山」
「……志龍、俺に悩みがあると言ったら聞いてくれるか」
今までにない切り口だ。今まで悩みと言ったらオレから青山に話すことばかりだったので、オレは言葉の意味が一瞬飲み込めずに彼の顔を見返した。目が丸くなっていると思う。
青山はその無表情を陰気さに染め、見れば口元を少し不快そうにゆがめている。以前食事中にクシャミをしてしまい、米粒を青山に飛ばしてしまった際すら無表情を彼は保った。そんな彼がここまで顔に出すとは、相当なことに違いない。
「もちろん聞く。オレにできることならさせてくれ」
正直、柊先輩ではなくオレを頼ってくれたことが嬉しく思えた。いろんな感情がわだかまっていたはずなのだが、いざ青山と話したらすっかり会話に集中してしまう。オレは純粋に協力してやりたいと感じていた。
「――今から言うことを聞いて、幻滅するなら罵ってくれても構わない」
「……はい?どういうことだよ、話が見えないぞ」
一体何が青山をここまで思い詰めさせるのか。あくまで話し方は穏やかなのだが、話す内容が妙である。
「……俺は、柊さんが……苦手なんだ」
「っ……へ、へぇぇ……」
諸君、信じられるだろうか。
あの尾ひれは、まさしく真実であった。オレはなんてことないような顔をして、意地の悪いことに喜んでしまっていた。
柊先輩は、少なくとも青山を好いているはずなのに。
「……でも、お前あんな大勢の前でオーケーしたじゃん。なんでだよ?なんで苦手なら告白受けちゃったんだよ」
オレは少し声が棘のあるものになっているのに勘づいた。しかし、気づいてもどうしようもできなかった。きっと話が全く判然としないからだ。
「…………可哀そうだと、思った」
青山は逡巡の後、ポツリと言った。
「はぁ?」
よりにもよって、可哀そう?
オレはなぜそんな感情がオーケーに結びつくのか理解できなかった。
「……俺があの時、柊さんを振っていたら、あの人は皆の前で振られることになる。そう考えると、また振るのは不憫な気がした」
「……お前なぁ……」
オレは腹の奥から底冷えするような感情がせりあがってくるのを感じた。
青山仁とは優しい男だ。その優しさは周囲にあまねく振りまかれ、彼を知る人物はみな一様に「変わってるけど良いやつ」と評する。
しかしこいつは、よりにもよって可哀そうだなんて理由で、柊先輩の気持ちを受けた。それは優しさではなく傲慢である。または、多くの人の前で気が流れてしまう臆病者であるかだ。
もしかすれば両方である。そんなことなら男が廃る。
「幻滅して良いって言うくらいなんだから、お前、自分が何してんのか分かってんだよな?」
そう言えば、青山は小さく頷いた。苦虫を嚙み潰したような表情が浮き出てくる。
「……後悔してる。あの時は、場の空気に流されて、つい告白を受けた」
「なに言い訳がましいこと言ってんだ。なんで受けたかなんてもう興味ねえわ。お前これからどうするつもりなんだよ」
今までさんざん甘えてきておいて、こいつにこうも辛く当たるのに心苦しさも少し感じる。しかし、それ以上にこいつのしたことは不誠実な真似であるのだ。誰も得をしない無駄な行為である。
なら、正してやるのが友達の道理というものだ。
「……わからない。一度受けたのだから、やはり最後まで付き合うべきなのか、俺の思うままに振っていいのか、他に何かあるのか、見当もつかない」
少し呆然としたように青山は呟いた。階下ではチャイムが鳴るのが聞こえる。お構いなしに奴を見た。どうせ自習なことを見越して連れてきたのだろう。
「……オレは柊先輩がなんで二回も告白してきたのかも、お前がなんであの人のことを嫌ってるかもわからないけど、少なくとも柊先輩は本気なんだろ。先輩の本気を本気で受け止められない奴に、先輩と一緒にいる資格は無いね。どうなんだよ、お前、本気になれんのかよ」
そう言い切ると、オレは青山を睨みつけた。ここで柊先輩と別れるよう、唆すことは難しくないだろう。しかし、オレにそうする気は起きなかった。
――「別れちまえ」――そんな言葉は、意地汚い横暴だ。
青山は難しい顔をして黙りこくり、しばらくしてオレを見つめ返す。何を言うかとそのまま睨めば、青山はほぐれるように微笑み、「ありがとう」と言った。
「……どういうありがとう?」
「やっと決心できた。どうしていいかも分からなかったんだが、志龍のおかげで腹は決まったよ」
青山はしずしずと正座をしだす。この流れで黙想に持っていくのは流石である。
「……ちなみに、どうするつもりか聞いてもいいのか?」
そう聞けば、青山は俯くように頷いた。
「俺は、柊さんが苦手だとちゃんと言う。だから付き合えないってな」
「……そっか」
この様子だと、先輩に気持ちをちゃんと伝えたことは無かったに違いない。青山という男は優しく臆病な男だ。
告白を無下にしただけでなく、人格まで受け入れ難いなんて言える肝は無かったに違いない。柊先輩も色んな葛藤があって、青山に再アタックをかけたのだろう。
今さら青山だけ放って行くのも忍びなくて、オレは彼の隣に腰かけた。
しばらく静かな時間が過ぎる。オレは隣の青山に話しかけても良いのかと迷いながら視線を彷徨わせた。
十分ほど経っただろうか、青山がフッと息を吐くのが聞こえ、ようやく黙想が終わったのだと気が付いた。
「でも、柊先輩のこと好きになれないって相当だよな。なんであの人が苦手なんだ?」
「…………あの人は、押し付けがましいんだ」
「そ、そうなんだ」
「……悪い人じゃ、ないんだけどな」
草食系男子青山仁、彼は肉食獣に怯える子鹿であった。
ーーー
その後教室に帰るなり、みんなから浮気だの略奪愛だのと糾弾され、オレは「話聞いてただけだ!それにオレのホントの性別知ってるだろ!?なあ後藤さん!」と言い返した。後半は照れ隠しだ。本心から言ってしまえば「好きな青山から相談されて乗らねえわけないだろ!」となる。絶対に言えない。
後藤さんからは「まぁ……うん」という曖昧な返事を頂いた。
「素直じゃねーやつ」
「うるせぇ。オレは素直だよ」
隣の勝山と軽口を叩き合い、オレは来たる期末試験の為にノートを開いた。
みんなに色々と聞かれるかと思い身構えていたのだが、結局何も言われることなく終礼を迎えていた。もっと青山と何を話していただとかの勘繰りがあると思っていたのに、あっさりとしたものである。
そう思いながら帰りの支度をしていると、後藤さんが「一緒に帰ろう?」と、彼女と仲のいい桐野さんと連れだって言ってきた。桐野さんは楓と双璧を成すお姉さん女子というのは以前紹介した。たおやかでおっとりした彼女は、少し身をかがませて囁いてきた。
「……冴子と三人で、ちょっと真面目な話」
「え?」
実のところ、桐野さんとはさほど話さない。彼女自身、女になったオレを警戒していた節があったからだ。最近では態度が軟化しているが、どうしてなのかは謎に包まれたままだった。
そんな彼女に真面目な話と言われては、そういう方面の話としか思えない。オレは久々に身構えた。
「ふふ、大丈夫。もう変なことは言わないから。志龍さんはもう大丈夫?」
「あ、帰りの準備?それは大丈夫だけど」
オレがそう言うと、彼女は「じゃあ行きましょ~」と言って歩き出した。オレと後藤さんは肩を並べて彼女に続いた。
しばらくは今日出た宿題が多いだの、新しい制汗剤がはずれだっただのと他愛ない話をしながら帰っていると、桐野さんが「……さっきのことなんだけどね」と切り出した。
「冴子のことなんだけど、志龍さんは男慣れをさせるために話してるんだと思ってるの?」
「……え、まぁ」
オレは戸惑いつつも頷いた。後藤さんが唯一気負わず話せる男がオレという話ではなかったか。そう言えば、桐野さんはやれやれと首を振り、後藤さんは「うぅ……」とうめき声を上げた。
「……ごめんね志龍さん。変に勘違いさせたまま過ごさせて」
「え、なに、なに?勘違いって?」
どっちかわかんなくなっちゃったから、大丈夫。という彼女の言葉が思い出される。彼女にとって、オレは男であり女である存在ではないのか。疑問が深まる。
「……私、友達っていったじゃない?変な意味じゃないけど、なんで友達になったのかって覚えてる?」
後藤さんが言う。
「うん。男か女か分からないから、友達になってくれたんじゃないの?」
そう言うと、彼女は桐野さんに「うわあぁん、きりのん、私やっちゃってたぁ」と泣きつき、桐野さんは胸元に来る後藤さんの頭をなでながら「いいのいいの、大丈夫大丈夫」と慰めていた。
「……えっと?」
「うぅぅ、ごめん。私、どっちかわかんないとか言っちゃったけど、志龍さんのこともう女友達って思ってるの」
「――えぇ!?」
「志龍さんって青山君のこと好きでしょ?なのに、なんで告白しなかったんだろうって思ってて、もしかしたら私が男とか色々言ってて気を使ってるのかなって」
「気を使ってるぅ!?」
オレは予想もしないところからの言葉に、声がひっくり返るほど驚いた。確かに今日も言い訳まがいの照れ隠しに後藤さんを使ってしまったが……そういえば、あれは存外本心から思っていることかもしれない。
「みんなに女の子だ~って言われて、しかもあんなに女の子っぽい雰囲気になって来てるのに、まだ元男とか言うんだもん。私のせいかなって思っちゃうよ」
「えー、あ、いや……その……待ってくれ」
すっかり落ち込んだ表情の後藤さんに待ったをかけ、オレは深く息をついた。
いったん休憩させてくれ。あの口ぶりだと、もう元男だとか気にしてないみたいじゃないか。そんな馬鹿な。今となっては昔のことだが、こちとら生粋の日本男児(元)である。ちょっと女の子の体になって、最近甘いものに目が無くなって、私服の組み合わせに思案するようになって、近頃剣道部の男子が好きなことに気づいただけの。
「――……あれぇ?オレ、男子?」
確かにやめるとは言ったが。存外これは女子じゃないか。趣味がゲームの女子も結構いたし、少年誌を欠かさず購読する女子もいた。趣味なんて性別関係ないっしょと言いながら、一昔前の拳法殺戮漫画を読んでいた紬の姿が忘れられない。
好きという気持ちを自覚してしまい、すっかり男としての自信がなくなったオレにとって、自分が女の子然としているということまで自覚するのはきついものがあった。今まで無意識のうちに守っていた部分が崩れ去りそうになる。
「あ、いや……でも、みんなオレのことは元男子って思ってないのか?」
「ふふ、やっぱり気を使ってたんじゃない?志龍さんが今までずっと頑張ってたのもみんな見てたし、それこそ冴子と仲良くなっちゃうなんて本物よ?」
桐野さんがそう言うと、後藤さんも「私は男か女かのリトマス紙なの?」と不満げであったが、否定はしなかった。
「あの、だからね、変に元男とか気にしなくていいからっ、これ、クラスの子みんな思ってることだから!」
後藤さんの最後の爆弾発言により、オレはすっかり困り果てた。
男子を止める以上のことは、正直何より難しい。なぜなら女になるということなのだから。
有り余っていたはずの男心は、今やすっかりしなびていた。
私は世の中のハッピーエンドという概念を愛しております。




