体育祭 頭ではわかってるはずなのに
夜なべして書いた話を、誤字脱字確認でき次第アップしてます。
青山は特に変化もなく、いつも通りに話しかけてきた。
オレはいつも通りに対応しようと、ことさら意識して顔を向けた。
「……く、靴をさ。持って帰りたいんだけど、袋持ってなくて」
「あぁ、なるほど」
青山はガサゴソと自分の鞄を漁ると、少し大きめのビニール袋を取り出した。
「あ。……いいの?」
「あぁ。俺も持って帰ろうかと悩んでたんだが、思ったより汚れてなくてな。良ければ使ってくれ」
「……ありがと」
オレは青山から袋を受け取ると、いつものように礼を言った。
いつもみたいに、穏やかに話が出来ている。たぶん、表情も柔らかい。
遠慮なく言葉に甘え、オレは汚れた運動靴を袋に包んで鞄に入れた。
「ありがとう、助かった」
オレは改めて笑って礼を言うと、青山も「気にするな」と微笑んだ。変わらないやり取りに、オレはホッとするのを感じる。
するとその時、離れたところから甘い声が響いてきた。
「――あっ、いた!仁くーん!」
「――……あぁ、柊さん」
オレはスッと熱が冷めるのを感じた。あぁ、もう終わりか、と。でも、顔には絶対に出さない。さっきまでと変わらない顔を浮かべ、青山と柊先輩を待った。
「もう、探したんだよ?教室にもいなくて、ビックリしたんだから」
「……すみません。柊さんは柊さんで、忙しそうだったので」
青山は静かにそう言った。
「はぁ、忙しそうとか、いちいち彼氏が気にしないでよ……あ。あなた昼間の。ありがとうね、本当に助かったから」
柊先輩はにこやかにそう言った。オレも懸命に笑い返す。
「いやほんと、大事なくて良かったですよ!」
そう言えば、柊先輩は「ありがとうっ、可愛くて優しいのね」と、少々おだての入った礼を言うと、「靴履き替えてくるから待ってて」と言って、二年の靴箱に向かった。
またも、オレと青山は二人となる。
「……良かったじゃん。柊先輩彼女にできて。一回は振ったって聞いてたけど、やっぱお前も男だな」
不意に、そんな言葉が漏れた。
その言葉は、きっと男友達をからかう程度のもののはずだ。だが、それを聞いた青山はいつもみたいに笑わなかった。かといって、別に不機嫌にもなってはいなさそうだったが。無表情が腹立たしい。
「――……志龍、俺には、事――」
「――仁くーん!まだぁ?」
が何か言いかけると、出入口の方から柊先輩の甘い声が聞こえた。
青山は「……今度時間があれば、絶対」とか言って、さっさと柊先輩の方に行ってしまった。
寄り添うように歩く二人は、とても仲が良いように見えた。
オレは非常に身勝手にも、一瞬「取られた」なんて思ってしまい、乱れた心を収めるために、必死になって深呼吸した。
皆に「女だ」と言われてきた言葉の燻ぶりが、今になって燃え上がっているように感じられる。
友達の幸せを喜べない人間にはなりたくない。オレは理屈を転がして、ようやく一呼吸ついた。
ーーー
夜は人を惑わせる。
どこかの格言に、「夜書いた手紙は送るべきではない」という文言があるらしいが、つまり夜は少しばかり頭が“トんで”、正常な思考ができないということだろう。
だからきっと、今の俺の気持ちも気の迷いに違いない。だから、こんなことで考え込んだって悪くない。
夜オレは、一人ベッドで布団にくるまり、暗闇の中丸くなっていた。
頭にあるのは、体育祭の楽しい思い出でも、結局明日に持ち越した靴の掃除の面倒さでもなく、青山のことだった。
「――なんで、今日なんだよ……」
せめて明日にでも柊先輩が告白していれば、きちんと自分の気持ちに整理がついたかもしれないのに。
ちゃんと整理がついていれば、こんなに泣かずに済んだかもしれないのに。どうしようもなく自分が滑稽で、オレは涙を止められなかった。
周りには元は男だ何だと吹聴して、そのくせ女の子みたいって言われるたびに、心のどこかで動揺して。全然気にしないなんてできてなくて。
元男と分かっていながら、彼と一緒にいて心休まるようになって。
勝山に向ける友情は信頼で、彼に向ける友情がもっと複雑な感情になったのは、いったいいつの話だろうか。
彼がオレを嫌いになったわけじゃないと知って、むしろ気を使っていたのだと知って、本気で安心したのはどこの誰だったか!
涙にむせぶ声が耳に届く。
柊先輩が告白して、彼がオーケーして、最初は意味も分からず動揺したのはどうしてか。
頭でこねた理屈で取り繕っても、こうして我慢できずに泣いているのはどうしてだ?
振られたはずの柊先輩が隣にいるのに腹が立ったのはなぜだろう?
そしてそれ以上に、あんな大勢の前で了承した青山にそれ以上の怒りが湧いてきているのはなぜだろう?
――彼のことを思うと、もう手の届かない場所へ行ってしまったと思うと、こんなに心が苦しくなるのはどうして?
自分が彼の前だと本当に安心できて、一緒にいたいからって話しかけていたのに気づかなかったのはなんでなの?無くしてから気づく自分が嫌いになりそうだった。
「――あぅ……あぐ…………す、っ好き……だったぁ……っ」
夜は人を多弁にする。
オレはきっと、青山仁に恋をしていた。元男だと分かっていても、それでも彼と一緒にいたかった。そしてその大事な気持ちを、オレは失ってようやく直視したのだった。
ーーー
翌日になっても、気分が晴れることは無かった。
泣きたくなるほど重い頭を持ち上げれば、オレは二度目の生理が来ていることに気づいた。周期は記録していたし、そろそろかとも思っていたのだが、昨日すっかりヘコんで忘れてしまっていた。
こんな時に、またも自分が女の子なんだという実感を湧かされ、オレは自嘲気味に笑った。まだ不慣れだが、きちんとナプキンを身に着けた。
重い足を引きずるようにして学校に向かう。今日も学校は普段通り、むしろ昨日の体育祭の熱気も残ってか、いつにも増して明るい雰囲気だった。
オレはいい加減切り替えろ、と自分を叱咤した。
もう遅いのだ。それに、やっぱり自分が元男だと知る環境に来れば、彼が好きというのは憚られてしまう。周りがどういったって、尻込みはしてしまうのだ。
ズキズキする女の子の痛みを堪えて教室に行くと、早くに来るメンツはもう軒並み来ている風だった。もちろん青山もいる。
彼を見ると、胸がえぐられる思いがした。少し落ち着いた今だって、多分、あいつを好きだと思える。
「――や、おはよ」
「……おはよう」
それだけ言葉を交わして席に着く。そういえば何か言いたいとか言っていたなあと思って青山の方を向いたが、教室の外からの声に呼ばれ、緩慢な動きで廊下に出ていってしまっていた。
――オレより柊先輩のが優先か。
そんな当たり前のことを不服に思い、情けなさと腹の痛みでオレは突っ伏した。
あぁ、本当に今日は変だ。
思考が同じところをぐるぐる回る。あの時気付いていれたらなぁなんて、意味のないたらればに頭が流れて嫌になっておでこをぶつけた。
「そ、空?何してんの?」
「……由佳」
由佳が心配そうにオレを見ていた。またも奇行に走ってしまっていたらしい。
オレは「あの日」とだけ告げれば、由佳は納得した風だったが、「もう少し大人しくしてなさいよ」と呆れた声で言った。彼女もまたそうらしく、「今日は体育一緒に見学だね」と言って笑いあった。
本当は鎮痛剤を飲んでいるのでそこまでひどくもないのだが、痛みに集中しないと思考が変な方向に向かってしまう。昨日の青山と柊先輩の姿を思い返し、もうダメもうダメと自分に暗示することも忘れなかった。
いつになくボーっとした頭のままに時間が過ぎてゆく。なんだか食欲も湧いてこず、お昼休みになっても弁当を丸々残してしまった。
「ちょっと、ホントに大丈夫?全然元気ないじゃん」
楓は弁当を包みなおすオレを見てそう言った。
「……生理だからってそんなになるか?」
紬も不自然に思ったのか訝しんだ。
「絶対、何かあったか言えよ。誰でもいいから」
彼女はそう釘を刺してきた。「うん、わかった」と言えば、「声から元気ないな!」と背中をなでられた。
青山は昼休みも柊先輩の呼ばれて外に飯を食いに出てしまった。今頃数多の男子からの羨望を集めつつ、よろしくやっていることだろう。これ以上考えたくなくて、オレは次の時間の体育に頭を切り替えた。
オレと由佳は制服姿のまま体育を見学した。授業自体は、今日はもう流石に疲れているだろうということで、体育でやるもののアンケートを取り、賛同者の多かった卓球に興じている。
「あー……。こういう遊びの時に限ってくるんだもんなあ」
由佳は唇を尖らせた。向こうではソフトテニス部の紬が、卓球に妙に順応して次々にポイントを重ねていた。
「……ほんとな。次もアンケートじゃないかなあ」
金曜日にも体育はあるので、そこでもこういう形なら嬉しいものだ。
由佳は「ないでしょ」と笑い、オレも「それもそうだ」と笑った。
「――ねえ、由佳」
皆は体育館の隅の方で卓球に興じている。一方オレと由佳はそこから離れた壁際にいて、周りに人はいない。オレは隣の親友に、自分の気持ちを聞いて欲しくなった。
「なに?……なにか、あった?」
「……うん。昨日のことなんだけど、聞いてくれる?」
聞いて欲しくも、やっぱりやめておいた方が良い気もした。でも、オレを案じてくれた友達になら甘えても良いかなと、軟派なことを考えた。随分弱っているらしい。
「うん、いいよ」
「……オレさぁ――」
由佳には色々と打ち明けた。
順序が違ったり、途中声が震えたりしたが、とにかく「青山が好きだったみたい」と言えば、「だよね。やっとわかった?」と返された。オレはなんだか情けなくなって、うつむき気味に頷いた。
「オレ、青山が柊先輩と、歩いてるのを見てっ、嫌だなって思って……でも、もう諦めるしかないって思ったら……」
言葉に詰まる。口に出してしまったその思いは、頭の中以上に存在感が大きかった。
由佳はオレの背を何度も撫でた。しかし、その目はただ慰めている風ではなかった。まっすぐに、ハッキリ見開かれた相貌がオレの視線を捉える。
「――空、あのね、聞いて欲しいことがあるの」
「――……なんだよ」
由佳はいたずらに笑って口を開いた。
「まだ諦めるには早いかもしれないよ?」
「え?」
オレは期待に胸が打ち鳴らされるのが聞こえた気がした。




