体育祭 オレの勘違い
なんとなーく今までの話に日常パートが少なすぎると絶望しましたので、少し後から日常を思わせる描写を交えていこうと思います。
オレは、本当は今日、青山といつもみたいに話す気でいた。それで、自分がどんな気持ちでいるのか確かめようと思っていた。その先はその時の空気で決める気でいたが。
でも、それはできなかった。せっかく朝にチャンスがあったのに、機会を逃してしまった。また後でもいいかなって思ってたら、青山が柊先輩の告白を受けた。体育祭が終盤になった今も、まともに話せないでいる。ただ一言、髪型を変えるのはいいと思う、という、彼の言葉が重かった。
――もしかして、女の子みたいに見られてる?そんな思いが胸中に満ちた。
話すのはまた明日でもいいじゃないか。放課後捕まえてちょっと話せばいいじゃないか。そう思っているのに、気ばかり急いて仕方ない。今も、青山は柊先輩についてここにはいない。
なんてことないはずなのに、どういうわけかオレは辛かった。青山といつでも話せるのが当たり前、そんな風に思っていた。
オレは、もしかすると、いつの間にか女の子として青山に接していたのかもしれない。
そこまで考えて、オレは自分が元男なのだと再確認した。
あぁ、ダメなんだ。オレだって中身は男だし、青山だって、中身は男だ。こんな気持ちを確かめたって、そんなものに意味は無い。行き着く先は友情だし、青山は今や柊先輩というパートナーがいる。間違いなんて、起こりえない。女の子に囲まれて生活して、自分まで女になったとでも脳が勘違いをしたのだろう。変わったのは、体だけだ。この気持ちは、きっと外見に惑わされた周りに唆されて、勝手に傷ついたフリをしているだけなのだ。
嫉妬なんて、思い込みだ。
オレは理性でもって虚心に蓋をした。何度も何度も外れた蓋だが、今度こそしっかり閉じておかなければならない。
オレが考え込む前で、短距離走決勝が進んでいく。
十人の走者が立ち並び、スターターピストルが鳴るのに耳を傾けている。
乾いた音と共に、走者は一斉に走り出す。よく見てなかったせいで、どれが誰かなども分からないが、一先ず速いことは分かった。
しばらくして、放送で短距離走の順位が出る。西出は何と三着、菊池は七着だったようだ。クラスメイトの活躍に、オレたちは歓声を上げた。自分の声がひどく弱々しい気がした。
「ふんっ!」
気合を入れるために、両頬をぺちんと叩く。痛みはあるが、気は静まった。
「どしたのさ、いきなり?」
由佳がびっくりしてこっちを見た。グラウンドでは女子の短距離走決勝が行われようとしている。
「何でもあらへん。それより応援に集中しようや」
「う、うん。え、何弁?」
似非関西弁は難しい。
ーーー
短距離走決勝の後、ミーティングタイムと称される休憩時間が設けられている。
時間はたっぷり十五分。その間に今までの点数の集計や、体育祭終了後の片づけに駆り出されるクラブの説明がなされる。
少し離れたところに目をやれば、うちのクラスのリレーのメンツが話し合っていた。結構前から話し合っていたので、今はもう雑談の最中のようだ。
「――……」
青山の所にまたしても柊先輩が現れ、青山は立ち上がった。オレは、目をそらさない。何ともない。
やけに軋む心の感触は、勘違いなのだ。それを頭に叩き込むため、青山と先輩の語らう姿を目に焼き付けた。
この後、いつものように話す友達の前で平然といられるように、オレは何度も何度も暗示した。
時間がたてば、リレーも自然と行われる。
大トリの花形種目ともあれば、クラスの垣根を超えた歓声が上げられる。自分と同じ学年や、はたまた自分が興味を持ったクラスに次々と激励が飛ぶ。
一年で唯一決勝に残ったうちのクラスは、他の一年のクラスも一丸となって応援していた。
背丈も一回り小さなうちのクラスはよく目立つ。一番手の陸上部の小河原がじゃんけんで内側のレーンを確保すれば、それだけで歓声と拍手が送られた。
「どうだろうね、勝つかな、うちのクラス」
由佳は位置につき始める走者を見ながら言った。
「そーだな。……勝って欲しいな!」
やはり、こういう時は楽しまなくては損だ。
オレは皆と同様に立ち上がり、「がんばれよー!」と声を張った。聞こえたのかたまたまか、順番待ちの菊池や青山、西出がこちらを見た。クラスのみんなも同じように声を上げ、三人は笑って手を振っていた。
ピストルを持つ先生が、スタートラインの脇に立った。いよいよ最後の種目が始まる。
歓声もすっかり息をひそめ、ただ静かにスタートの時を待つ。
――タァン
という乾いた音と共に、全走者が一斉に駆け出した。
始めはみんな内側に入ろうと、息詰まる位置取り合戦が続く。全体で四位と出遅れたうちのクラスだったが、先頭からはそれほど離されていない。
「がんばれ!いいぞ!」
「追いつけ追いつけ!!」
オレたちの前を通過するときには、そんな言葉をかけながら見守った。みんなの声に飲まれ、もはや自分が言った言葉は聞こえなかったが、大体そういうものだろう。
第二走者は菊池のようだ。結局四位のままにバトンを渡されたのだが、菊池は勢いよく飛び出し、三位との差を詰めていく。しかしここで、三位の二年生が表情を変えると、走路を塞ぐようにして菊池に順位を譲らなかった。一年生からは先輩に容赦ない罵詈雑言が飛んだが、勢いを立て直した彼はすぐさまスピードを上げた。
三走は青山だった。青山は三位の二年生を追い抜き、見事に上位に躍り出る。その長い脚を素早く回転させ、決して順位は譲らない。堂々のフェアプレーに、二年からさえ指笛が鳴った。柊先輩のカレシ効果もあるかもしれない。
「――がんばれ!」
言葉が詰まって背中にかける形となったが、もちろんオレはそう言った。
さて、そしてアンカーとしてバトンを受け取ったのは西出である。野球部では一番バッターしか経験してこなかったという彼は、半そでの体操着の袖すら捲り上げ、いつの間にか「本日の主役」と書かれたタスキを身に着けている。
彼はとんでもなく速かった。
もはやあのふざけた内容のタスキですら、彼の勇姿を引き立てる材料なのではないかというほどのスピードで、二位の三年生にぐんぐん肉薄していく。地を蹴るシューズの弾く土の量が、その力強い脚力をたたえていた。
最終コーナーを曲がるというところで、彼は一位と二位の二人に追いついた。実に二十メートルほどあった距離を、一人で猛追したのである。
正直、その時何と言ったか覚えていない。ただ夢中で縮まる距離を眺めていた。
結局、西出は二位だった。しかし、それでも二位だったのだ。
オレたちは西出の健脚を称えてグラウンドに躍り出た。例え二位でも、最高の勝負を見せてくれたのだ。
一位のクラスに迫らんという勢いで、オレたちは西出を胴上げした。
まさしく彼は主役である。
そんなこんなで、体育祭は終わった。
校長は「リレーが良かった!久々に叫んじゃいましたよ。一年ぶりに」だのなんだの言って、またも手短に終わらせた。
興奮も冷めない中で、教室に戻る。男子たちが椅子を運ぶからと、女子を先に帰らせてくれた。点数稼ぎだと思われる。
その隙にオレ達は体操着から制服に着替えた。
もっぱら話は最後のリレーがすごいという話題に終始する。
「いやあ、すごかったね。西出って速いって聞いてたけど、あんなに速いなんて思わなかった」
由佳がそう言うと、女子は軒並み頷いた。
「あんなタスキ着けてて、ふざけてんのかっ!って思ったけど、ありゃホントに主役だよな」
紬は制汗剤をつけながら感心していた。口々に皆は今日の思い出を語っていく。中でも柊先輩の告白劇は皆の恰好の話題となり、「ありゃないわ」とか、「でもあれくらい堂々としてたら文句言えない」とか、「ドンマイ志龍さん……」とか言っていた。
オレはそんな言葉を受けながら、「慰められるようなことないって!」と笑い飛ばした。
教室に戻れば、すでに椅子は元に戻され、男子も着替え終わっていた。やいのやいのと今日の思い出を語らっていると、葛城先生が入ってきた。彼女も少し興奮している様子だ。
「リレーすごかったですね!他にも皆さんが活躍しているのを見て盛り上がっちゃいましたよ」
そう言われ、またも教室はざわざわと賑わいだした。
「はいっ!それでは皆さんお疲れ様でした!学校からスポーツドリンクが渡されてるので、それを取って帰宅してくださーい」
そう言って葛城先生は、教室に入ってくるときに抱えていた段ボールを開け放ち、中のスポドリを配っていった。
終わったのか。
何とも長い日を過ごしたなぁと、満足感のある気持ちに浸されながら思ったのだった。
ーーー
「――志龍さんっ、志龍さんっ」
「あれ?久遠さん?」
終礼後にみんなで写真を撮ったりしていると、教室のドアの所に久遠さんがやって来ていた。
「どしたの?菊池呼びます?」
一緒に写真でも撮りに来たのだろうかと思ってそう言えば、久遠さんは少し頬を染めて首を横に振った。
「あ……それは後で!とにかく、あなたにお礼が言いたくて……ありがとう。志龍さんのおかげで、菊池君と付き合うことになったから」
朗らかに微笑みながら久遠さんは言った。満ち足りるとは、こういう顔のことを指すのだろう。
「いえいえ、オレの方こそ、久遠さんが付き合えて良かったですよ」
そう言うと、久遠さんは一層顔を和らげた。
が、すぐに表情を整えると、次は眉を潜めてしまう。
「……ところで、剣道部の彼は本気なの?」
「本気も何も、そうでもなけりゃあんな大勢の前でオーケーしないですって。それがなにか?」
そう聞けば、久遠さんは焦ったように動揺した。
「へっ?いや、き、気にしてないの?」
「ないですって。みんな変に意識するから困ってるくらいですよ」
キッパリとそう言えば、久遠さんは眉をひそめながらも、「そうなの」と言った。
ーーー
帰りがけの昇降口にて、靴を履き替えていると、運動靴がやけに汚れているのに気付いた。今日の体育祭の土埃で汚れたのだろう。使用に耐えない汚さである。
「――最近の体育は体育館だけどなぁ」
どうにも汚れたままの靴を放置するのはよろしくない。さっさと持って帰って洗いたかった。しかし、今オレはこれを持って帰られるような袋など持っていない。
どうしたものかと少し唸った。
「――……どうした、志龍」
「……青山」
そんな俺の前に、同じく鞄を提げて帰ろうとしている青山が姿を見せた。




