体育祭 マドンナの求愛
柊琴という女性は、大層高慢な女の人だ。なぜかと言えば、彼女が美しいからである。
どの男子も一目見れば自分が不釣り合いであると感じ、大玉狙いの阿呆たちはこぞって彼女に言い寄っていく。そのたび男子が撃沈されていく様子を見て、彼女に近しい人は「蟻地獄」と評した。
しかしどれだけ男を振ろうが、新たな蟻は湧いてくる。しかし自分の美貌を正しく認識する彼女は、それらを丁寧に撃退してゆく。そして、意気消沈する敗北者や、蟻地獄を避けた賢明な男たちにラムネを分け与え、自らのファンを増やしていく。
そんな彼女が今現在、借り物競争という「ものを与えられる」レースに出場しているのだ。水面下で男たちのけん制が始まった。
「うわ、露骨……」
「借り物くらいで大袈裟だなあ」
オレと由佳はそろって呆れた。グラウンドと客席を仕切るロープ際には男子がひしめいており、その白魚のような手を握らんと画策していた。もちろん全員ではない。全体の三割ほどだ。それでも全学年ともなれば、相当の数となる。
呆れながらうちわを仰いでいると、ピストルの音と共にレースが始まった。先ほどより野太い歓声が多くなっている気もする。
「あれ?柊先輩こっち来てない?」
「ほんとだ。わざわざ一年の方来るなんてな」
お題の紙を見てすぐに、柊先輩はこちらへやってきた。いつものクールビューティなかんばせは、走って少し紅潮するだけで無垢な少女のようにもなる。大変蠱惑的だ。そんな彼女の顔に見とれるのも、今となっては昔の話だが。
「――あの、青山君はいるかしら?」
「…………はい」
彼女が美しい声でそう言った瞬間、不埒物たちは青山に一斉に注目した。あの男が抜け駆けした。借り物競争であるにもかかわらず、そのような空気となる。
「ついて来て欲しいのだけど、いいかしら」
「……良いですよ」
「そう、じゃあ行こっ」
「あ」
それは誰の声だったか。もしかすればオレだったかもしれないし、他の男子だったかもしれない。
柊先輩は青山の手を自らの小さい手で包み込み、懸命に引いて走り出した。他の走者が遅れる中で、見事彼女は借り物の審査員の所までトップでたどり着く。
『はい、暫定一位ですよ!お題を言ってもらっても良いですか~?』
審査員の持つマイクから、向こうの声がスピーカーを通して聞こえてくる。少し走っただけでも疲れたのか、荒い息の混じった声で柊先輩はお題を答えた。
『はい。私のお題は、好きな人です』
その瞬間、一拍置いて、悲鳴とも興奮ともつかない歓声が轟いた。
かの蟻地獄柊先輩が、大観衆の前で告白劇を演じて見せたのだ。相手は一学年下の男子。誰もが遠目に見える名も知れぬ男子の幸運を妬み、祝福し、柊先輩の大恋愛の成功を確信した。そんな空気だ。
『青山君、今度こそ、私と付き合ってもらえませんか?』
『……はぁ、分かりました』
その瞬間、グラウンドの空気は割れた。爆発的な歓声が渦巻き、お天道様をも揺るがした。全校生徒の前で行われた告白劇は、ありとあらゆる生徒に新カップル誕生を告げていた。
――そしてオレは、どういうわけだか酷い混乱に陥った。
「……すっごい大胆……あっ、そ、空?」
由佳が隣でオレを案じた。心配ない。オレは友達の幸運を祝ってやらねばならないのだ。
「ん、んん?なんだ由佳?どうした?」
「……あー、いや、え、空、いいの?青山君、取られちゃったけど?」
「取られた?いや、別にオレのものでもなければ好きな相手でもないし?友達だったし、あいつも大玉射止めたなあ!」
オレは必死に言葉を紡ぐ。大丈夫だ。まだ、オレが好きという感情を持っていたかどうかなんて分かっていなかったのだから。分からないことというのはいくらでも無視できる。まるでオレの性別のように。
性別なんて気にしないと誓ったのだから、オレは青山を純粋に応援すればよいのだ。
「そ、空、ホントに平気?その……えと」
「あのことか?まぁ、別に話す気なんてなかったし、問題ないって。それよりほら、次西出が走るみたいだぞ」
「えっ、う、うん。そうだね、応援しよっか」
オレは平然と嘘をつき、すっかり意気消沈した男子たちが引き下がり、見通しのよくなったグラウンドに目を向けた。
西出はその健脚を活かし、猛スピードでこちらに駆けてくる。「先にお題を言え!」と誰かが言えば、「団子頭!」とやつは答えた。
「オレ団子だぞ!」
「ナイスだ志龍!いくぞおい!」
「任せろ!」
西出に手を引かれ、引きずられるように走る。速いやつに引かれると、どうやら少しは速く走れるらしい。あっという間に審査をパスし、オレ達は一着でゴールした。
いい結果に、オレと西出はハイタッチした。
「……」
少し気になって青山の方を見れば、柊先輩が嬉しそうに腕を絡めて座っていた。
くそ、色男め。そう西出と一緒に悪態をついていたのだが、妙にオレは寂しさを覚えるのであった。
ーーー
退場しても、しばらく青山は柊さんと一緒に歩いていた。あれがカレカノの距離感というやつだろう。
西出とテントに戻り、のんびり二種目目を見ていると、青山が遅れてやってきた。
「いよっ!男前!」と万場が言えば、みんな大喝采で彼を迎えた。彼は苦笑いとも微笑みともつかないいつもの笑顔を浮かべると、「やめてくれ」と照れを隠した。
「まさかあんな手を使うとは思わなかった」
「何言ってやがる!光栄なこったぞ、あの柊先輩だ!」
クラスの男子から揉みくちゃにされ、それ以降彼の言葉は聞こえなかった。
「かー、そりゃ浮かれるよなあ。あいつは何だろう、蟻地獄のパートナーだからアリクイか?」
そう言えば、由佳や招集に応じる準備をしていた楓たちはいい顔をしなかった。
「マジで柊先輩、フラれたくせに図々しいわ。うちの空が泣くっての。青山君もなんで振らないかな」
楓はむすっとした表情を崩さない。だがしかし、こういう流れなら、それに順応するまでだ。
「いや、泣かねえし。むしろ変に意識しだす前にこうなって良かったわ」
「……はぁ、ふりだしに、戻った」
皐月も珍しくがっかりした声色だ。紬もむすっと不機嫌なリス顔を晒している。
「まあまあ。そろそろ行かないと本気で間に合わないぞ、応援するから頑張ってな」
そう言って、オレは彼女らを送り出した。不満げな顔で睨まれたが、オレはちっとも気にしちゃいない。気にしてなんかいけないのだ。
そうこうしているうちに、二種目目の台風の目も終了間近となっていた。あれは二、三年生しか参加しないので、特に面白くは無い。
ボーっとムカデ競争が始まるのを待っていると、青山はようやく解放されたらしい。やれやれと言わんばかりに肩を竦め、そのまま短距離走予選の招集に向かっていった。
「未練たらたらじゃないの」
「は!?ちょっと目に入ってただけだろ!」
由佳の呆れを含んだ指摘をオレは強く否定した。未練など、決してありはしない。
ムカデ競争の賭けには負けたので、むしろそちらに後悔した。がっかりである。
ーーー
短距離走予選は午前のメインである。一応午前の締めにクラス対抗リレー予選もあるのだが、葛城先生は予選は学年ごとにしかやらないので、イマイチ全体の盛り上がりに欠けると言っていた。
短距離走は容赦なく学年がごちゃ混ぜなので、こちらの方が見ごたえがある。
ちょうど今も、健脚西出が三年の陸上部に競り勝ったところである。思わず「おおおぉっ!!」とみんなで盛り上がった。またしても彼はほぼ使ってもいない力こぶをアピールしていた。
お次は青山が走るようだ。一緒に出ている人には、なぜか陸上の有名選手のコスプレをしている人がいる。世界記録を打ち立てた時のポーズを決めているが、まだ走ってすらいない。
「――がんばれーっ!」
ふと、そんな声が聞こえた気がした。少し離れた二年生がいる客席の方を見れば、最前列に柊先輩がいた。青山も少しそちらを見て会釈している。コスプレ先輩はロケットスタートの構えだ。
乾いた音と共に、走者は一斉に走り出す。コスプレ先輩は見事に反応が遅れ、最下位が固いと予想したのか、最初から流して走り出した。そんな中、他の数名は全力疾走を見せ、青山は二位と僅差で一位に輝いていた。
「……はっや」
「うちのクラス優秀だね。菊池君も一位なら快挙じゃない?」
「だなあ、久遠さん見てるのかな」
久遠さんも短距離走に出ているらしい。「これでも結構速いのよ」と豪語していた彼女はきっと、待機列から見守っているのだろう。
いくつかのレースを見送り、最終組になったところで、満を持して菊池が登場した。菊池の組はトリの大一番というやつらしく、いかにもな体育会系の人たちばかりの組だった。
走りだした時から構えが違う。先ほどまでのものと違い、全員がほぼ横一線になってグングンその勢いを増していく。ゴールしても、誰が何位だのは分からないが、菊池は三位の列に並んでいた。
「あー……残念。でも入賞だね」
「そうだな。まあ、決勝はタイムで選出されるらしいけどな」
このレースは順位ではなくタイムで全体の順位付けも行われる。その結果が昼休みに放送で流されるらしい。なので、一位でも落選ということもあるのだ。
「……なんで順位出してるんだろうね」
「……さあ?」
オレはひと切れレモンを食べながらそう言った。
ムカデ競争からみんなが返ってきたのに合わせて、おやつタイムと洒落こんでいる。




