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男子やめました  作者: 是々非々
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久遠さんの手作り弁当

言ったからにはやらねばならぬ。

料理教室編です。

 台所は女の城である――と、誰かは言う。女房たるもの、家庭での仕事場である台所は守り抜くべしという、最近では流行らないような文句である。

 しかし、こと久遠さんについて言えば、城くらいの安定感を求めてしまって止まない。これでは戦場である。

 黒煙を吹き散らすハンバーグを見て、そう強く思ったのを俺は覚えている。


 久遠さんは料理ができない。これは、菊池に手作り弁当を持ってくると宣言した日に発覚したことだ。

 レモンを切って流血沙汰になった時点で察してはいたが、本当の本当にできないらしい。試しに包丁を握らせてみれば、刺殺の構えを取っていたし、何かを焼かせてみれば、火力調整のツマミを限界まで引き絞っていた。野菜を洗えば洗剤を取り出していたし、オレは久遠さんに料理方面での常識を求めないことにした。


 一体なぜここまで料理ができないのか。

 彼女の親は、父母共に何らかの事業に取り組んでおり、普段はもっぱら留守なのだという。そんな彼女は、小さい頃より母親の料理する姿というものを見る機会がほぼ無かった。家が大きいゆえに大変であろう家事も、定期的に業者に頼んでいたようで、普段はプラプラと遊びに出ていたらしい。そしてそのついでに外食で食事を済ませ、掃除の行き届いた台所はただ埃を被るばかりだったのだという。

 お金持ちだからこそできる食習慣であった。


 二日後の火曜日に体育祭を控えた日曜日、オレは大所帯で久遠さんの家に押しかけていた。半ば友達の家に遊びに行っているような感覚である。

 オレ、楓、皐月、林さんの四人の女子が久遠家に集結した。


 女の子の家に入るというのは元男からして少し緊張を伴うが、何度か入るうちに慣れた。男の時に僅かながら経験した女子の家の特別な感慨は、女になってしまってすっかり薄れたようだ。男を惑わせるふわりとした香りも、ひとの家の匂いだなぁと呑気に受け止められる。


 さて、今日は久遠さんの手作り弁当に免許皆伝を言い渡さねばならない日である。というより、時間的に今までの成果を出してもらわねばならないのだ。焦げだらけの手作り弁当にも、男には滾るものがあるだろうが、どうせなら美味い方が良いに決まっている。


「よ、よしっ、今日こそ美味しいの作るわよ」


「私も、頑張るわ」


 菊池の心を射止めんとする久遠さんと、勝山の胃袋を掴まんと奮起する楓がキッチンに立った。

 楓は少し自信の無いメニューにアドバイスが欲しいとのことで、久遠さんのキッチンを間借りするらしい。自分の家だと、見かねた母親が手伝ってしまうようだ。

 ダイニングでは、オレ以外の面子が紅茶を嗜みつつクッキーに舌鼓を打っている。「美味しいの待ってるぞー!」というヤジも忘れない。

 軽音部でボーカル担当だという林さんの声はよく通る。彼女はカチューシャでその前髪を豪快に後ろに流した元気な女子なのだが、その賑やかしぶりに料理教室は大いに湧いている。


「さて、それじゃあ始めましょうか」


「うん」


 ある程度経験がある楓は放っておいても大丈夫だ。彼女は下ごしらえやら火加減に雑さが見受けられるくらいなので、横目で見ておけば良い。


 久遠さんはまずジャガイモの皮を剥き始めた。

 初心者ということもあり、作る品は二品に留めたのだが、今はその一品目、ポテトサラダを作っているところだ。


 久遠さんはピーラーでジャガイモを剥き始めた。本当なら皮を剥く前に茹でたいところなのだが、残念ながら久遠さんの肌は熱に弱かった。四苦八苦しているうちにすっかりジャガイモが冷めてしまうので、先んじて皮を剥いている。皮が剥けたら、予め火にかけていた鍋に投入していく。このまま、竹串が刺さるくらいまで柔らかくなるまで茹でてゆく。

 柔らかくなったようなので、ザルで水気をこすと、すぐさまボウルに移し替えて木べらを使ってマッシュにする。久遠さんは熱いうちにマヨネーズを投入し、根気よく混ぜていく。額には汗を浮かべ、何度か木べらを握り直すうちにマッシュは完成した。


「よし、よし……良い感じ」


「上手いですよ。んじゃ、次は野菜切りましょっか」


 久遠さんは次に玉ねぎを取り出した。つんとした刺激に涙ぐみながらも、久遠さんは玉ねぎを薄くスライスしていく。スライスし切れば、それを水に漬けて辛味を抜いた。

 涙混じりに切ったおかげか、非常にドラマチックな様子になっているが、まだ一品目の途中である。

 玉ねぎも薄く小さく切れたので、ひとまずこれくらいで良いだろう。オレが頷いて促せば、久遠さんはキュウリをまな板に乗せた。トントンと子気味良い音はしない。ゴツ、ゴツ、と硬質な音がこだまし、キュウリを切っているのかまな板を切っているのか分からないほど力強くキュウリを切っていく。切り上がったキュウリも不揃いなものだったが、きっと食べ応えがあるに違いない。塩で揉んで水気を絞れば、ひとまずキュウリも完成した。


「うっ……」と、少し自分の仕事に不満を持ったようだが、今はそれで良い。「良い感じですよ」と言えば、彼女は少し頬を染めて次に取り掛かった。

 ちゃんとした包丁の握り方をした久遠さんは、左手を招き猫のように丸めてハムに添えた。包丁を丁寧にハムに滑らせ、決してギロチンのように振り下ろすことは無い。柔らかいものを切るのは順調に上達している。


「できたっ!」


「うん、ちゃんと細かくなってますね。じゃあ、ポテトに混ぜていきましょう」


 久遠さんはボウルに入ったマッシュポテトに、それぞれの具材を投入した。後はもう混ぜるだけだ。しばらくかき混ぜれば、立派なポテトサラダが完成した。

 しかし、忘れてはならないのはこれを7月の炎天下の中運ぶということだ。生ものである具材は、たちまちのうちに傷んでしまうだろう。

 それを防ぐために、今回はオレのお気に入りのアレンジを加える。メジャーなのかは知らない。

 小さなお椀に小分けにしたポテトサラダの上に、細かくちぎったスライスチーズを乗せる。それをトースターに入れ、しばらく焼いていく。チーズの表面に焦げ目が入れば完成だ。

 ポテサラグラタンとオレは呼んでいる。


「ど、どうですか……?」


「……美味しい」


「ほんと!?」


 誓って本当だ。もう炭化している部分は無いし、砂糖で揉まれたキュウリも入っていない。具材もそれぞれ食感を楽しめるくらいの大きさだったし、多少不格好なのがそれまた良い。男なら涙を流す一品だろう。


「うん、本当ですよ。この調子で次に行きましょうか」


「分かったわ!」


 久遠さんがポテトサラダの調理に使った道具を片しているうちに、少し楓の様子を見る。

 彼女は今卵焼きをひっくり返していた。少しばかり焼き目が付きすぎたそれは、伊達巻のような模様を付けている。

 彼女はそれが不満なようで、眉をひそめながら調理を続けていた。


「美味しそうじゃん。勝山が羨ましいよ」


「もう、茶化さないでよ。こっちは真剣なの〜」


 楓は不満げな声を上げた。


「いいだろ、いっつもからかってんだから。ちょっと砂糖多かったんじゃないかな、それは」


 彼女は、というより勝山は甘い卵焼きを好む男だ。とびきり甘いのも食ってみたいと以前言っていたらしく、楓は多めに砂糖を入れていたのだが、そのせいで感覚が狂っているらしい。楓は苦笑いを浮かべて頷いた。


 さて、久遠さんは二品目に移った。

 二品目は皐月の強い要望のもとで決定されたハンバーグだ。気になるあの子の手ごねハンバーグは滾るとのことだ。全面的な同意をして皐月とは熱い握手を交わした。由佳には少し引かれてしまったのは遺憾である。


「うぐぅ……またしみる……」


「それが……ハンバーグというもんです……」


 今度は先程より多めに玉ねぎをみじん切りにしていく。後半はもはやなめろうでも作っているのかというほど荒い手つきであったが、滂沱の涙を流すその姿は口を出すことを躊躇わせた。

 玉ねぎがすっかり細かくなったので、久遠さんは泣きながらボウルに合挽き肉を入れた。そのまま軽く混ぜて慣らし、先ほどの玉ねぎと、つなぎの卵やパン粉、塩、コショウ等を混ぜる。


「うぅ……これ苦手なのよね……」


「まあまあ、これも菊池の為と思って」


「……が、頑張る」


 久遠さんは意を決し、何やら手をわしゃつかせながら構えたかと思えば、勢い良くボウルに手を突っ込んだ。


「うひぃ……」


 そのまま手をグー、パーと開閉し、ハンバーグのタネを仕上げていく。ダマになった部分があったのが次第にほぐれていき、しばらくすれば立派なタネが出来上がった。


 ここからは成形に入る。

 手っ取り早いので、まず普通サイズのハンバーグを作り、それを一口大に切って弁当に入れる方式を取る。

 久遠さんは少し多めにタネを取った。もにもにと肉を歪め、なんとか楕円に近い形に整える。形が出来れば、左右の手で軽くタネを投げ合い、含んだ空気を抜いていく。力強く投げるあまりに手に着いた瞬間にタネが破裂したり、オレの顔が肉まみれになったりしたのは良い思い出だ。今や、やわく手を打つ肉の音が響くだけである。


 次々にハンバーグの素を仕上げていき、タネが二つ出来上がったので焼く行程に移る。

 久遠さんはフライパンに油をやや過剰気味に敷き、フライパンを揺らしてそれを慣らしてゆく。中火にかけて次第に温もってくれば、火を弱めてハンバーグを投入した。かつて少し目を離した隙に、強火で焼き始めたのは忘れない。むやみに焦げたそれは、久遠さんをして「黒ごま団子」と言わしめた。


 しかし、今度は順調だ。じっくりと片面に火を通し、焦げ付きながらも十分美味しそうと思えるくらいまで焼き目がつけば、久遠さんはハンバーグをひっくり返した。ここまでくれば後は焼き上がりのタイミングを逃さねば良いだけだ。フライパンに蓋をかぶせ、久遠さんは情けない声と共にため息をついた。


「……はあぁぁぁ〜……。つっかれたぁ……」


「お疲れさまでした。ちゃんと時間測っといて下さいよ」


 そう言えば、久遠さんは少しむくれて「分かってるわよ」と言った。

 そして久遠さんは、戸棚から大きめの弁当箱を取り出した。菊池のために購入したものだ。オーソドックスな一段式の弁当箱で、男子高校生の胃も十分満足させるだろう。


「ちゃんと足りるわよね?」


「大丈夫、冷食もありますからね」


「……そーね」


 冷凍食品には頼りたくないと久遠さんは言っていたが、オレはあれらがどれだけありがたい存在か熱弁した。

 忙しい朝に、ただレンジで回すだけで、もしくは弁当に入れるだけで一品出来上がる彼らのなんと頼もしいことか!

 オレの熱意に感銘を受けたのか、それ以来久遠さんは冷凍食品に反感を示すことは無い。


 さて、そうこうしているうちに時間になったのか、久遠さんはフライパンの蓋を上げた。

 開けたそばから蒸気が溢れ、油が跳ねる音が広がった。箸でハンバーグを皿に取れば、両面ともに焦げは目立つものの、しっかりと火が通っていそうな具合だった。

 恐る恐る箸で割れば、中からはじわりと肉汁が溢れてきた。半生の部分も無い。少々いびつながら、大きな手作りハンバーグは完成した。


「……ど、どうっ!?一番いいと思うんだけど!?」


「成功ですよ!これなら菊池だって喜びますよ!」


「ほんと!?やった、やったぁ!」


 なんだかオレまで嬉しくなって、浮かれる久遠さんと手を取り合い、跳ねて成功を喜んだ。


 先に卵焼きを完成させ、のんびりダイニングで流れるテレビ番組を眺めていた楓の手を借り、お弁当を詰めていく。

 弁当箱の半分をご飯で埋め、残りのスペースにおかずを詰める。ポテサラグラタンに、出来たばかりのハンバーグを1つ、買ってきていたミニトマトを入れれば、おかずのスペースの6割がたしか埋まらない。副菜として冷凍食品のきんぴらを詰めても、もう一品入りそうだ。


「あ……もう一品あったっけ?」


 あるにはあるが、その冷凍食品は少し大きめのサイズであり、無理に詰めればおかずが潰れてしまうだろう。


「んー、ハンバーグが予想より大きかったから、ちょっと入んないですね。もう一品作りますか?」


 そう言うと、久遠さんは目を丸くした。


「えっ!?でも、材料が無いじゃない」


 そうは言っても、ポテトサラダの材料はいくらか残っている。オレは手早く残ったキュウリをハムで巻き、つまようじで刺した。


「ほい、できた」


 丁度隙間を埋めるような大きさのそれは、弁当のおかずを隙間なく埋めた。


「へえ〜、こういうのもあるのね」


「楽で良いですよ。んじゃまあ、こんなとこですかね」


 一応確認の為に久遠さんのお弁当も詰めてみたが、結果は上々だった。

 大きさは違えどおかずは同じの弁当が二つ並び、久遠さんは嬉しそうに笑っていた。


 その後、ダイニングで弁当と卵焼きをみんなでつついたが、結果は絶賛であった。

 久遠さんは早くも菊池に渡す時のシミュレーションに余念が無く、楓もそれに当てられてか照れていたようだった。


 ……オレも、こんな顔を浮かべているのだろうか。

 思わずオレは、一同に「あのさ」と話しかけていた。

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