オレは、女ではないよ
タグのほのぼのを最近は疑ってます。
「――何、後藤さん?」
オレたち以外誰もいない屋上にて、オレを嫌う後藤さんと向き合う。後藤さんは憮然とした態度のままにオレを睥睨した。
「私、前に言ったよね。女みたいなことしないでって。気持ち悪いって。志龍くん、いつまでそんな態度でいるわけ?」
後藤さんは怒りのこもった目を向ける。その怒りがオレの態度に向けられているのは明白で、オレはきっと、どこかで間違ったのだろう。
しかし、オレには何が悪かったかなんて全く身に覚えがない。
「……オレだって、女らしくしようとかは思ってないよ」
鼻持ちならない小馬鹿にするような声色で問いただされ、思わずトゲのある口調で返す。
後藤さんはより一層眉を寄せた。
「いつもいつも柏木さん達と仲良くしてさ、男子が話しかけてる時は女子みたいな外面浮かべてさ、ずっとずっと女子みたいな表情でいてさ、青山くんに色目使ってさあ!前から変わりすぎなのよ!ほんとはホモなんじゃないの!?」
「落ち着け!由佳さん達は友達だし、男にだって普通に接してるだろ!それに青山に色目なんて使ってねえよ!オレはホモじゃない!」
息の荒い後藤さんを慌ててなだめるが、興奮した彼女は「うるさい!」と言ってオレが手を置いた方の肩をしきりに擦った。男性不信気味なのがヒステリックに変わっている。
彼女の中では、未だにオレは男子なんだ。そのことを示すような態度に、オレは不満とも安堵ともつかない感覚でいた。
「うるさいうるさい!男のくせに、ふざけないでよ、なんで普通に女子みたいに生きてんのよ、気持ち悪い!」
遠慮など一切無いむき出しの感情が吐き捨てられる。それは一切合切全てオレに降りかかる。
足元が揺れるような錯覚がした。
「オレは、女子らしく生きようなんて思ってない。オレは…………」
そこでオレは答えに窮した。オレは取り敢えず高校生活を送っているだけで、どう生きるかなんてものは答えを出していなかった。石山医師の言葉が思い出される。オレはまだ自分が何なのかすら分からない。
しかし、きっとこれだけは言える。
「――オレは女子じゃない。オレには好きな人がいるんだ」
「……それは、女子?」
「うん」
嘘はついていない。
男の時に、淡い想いを抱いていた相手だ。恋にすら至っていない僅かな心情だが、この際想いの重さに糸目はつけまい。
「柏木さんだよ。最初に見た時から気になってたんだ」
「……そう。今でも?」
「…………あぁ、今でも」
嘘だ。
もう既に彼女は単なる友達で、そういう目で見れていない。なぜ見れなくなったのだろう。色々ありすぎて、すっかりその心情の変化を見逃した。
バカげていると思う。なぜオレのことをよく思っていない彼女に気を使っているのだろうか。ここでハッキリとオレはオレとして生きると言った方が楽になるのではないのか。
だが、オレにはそう言えなかった。心のどこかで、オレはもう男子じゃないと思っている。しかし、オレは女子にはなり切れないでいる。
そしてそれ以上に、後藤さんの言葉がみんなの本音を代弁しているように思えてきて、オレは怖くなったのだ。
中途半端な男女は、いったいどう生きるべきだ?
日陰に籠り、終始目立たず生きるべきではないか?それで波風が立たないなら、それが望ましいのではないだろうか。
「ふうん。じゃあ、柏木さんに告白したら、認めてあげる」
「は?」
認めるって、何を?
思えば、後藤さんはオレが女子が好きでも気持ち悪いのではなかったか。いつかの体育の時間の話を思い返す。残念ながらはっきりとは覚えていなかった。
「認めてあげるの。男子として。気持ち悪いのは変わらないけど、いいでしょ?女の子扱いされずに済むんだから」
その目には嘲るような色が映るばかりで、その他の感情は読み取れなかった。いや、それくらいオレは追い詰められた気持ちでいるのかもしれない。
思った以上に思い詰めていたオレは、返す言葉もなく頷いた。
ーーー
「――あれ?空ちゃん?まだいたんだ」
「うん。ちょっと、話したいことがあってね」
オレは、部活終わりの由佳さんに話しかけていた。
オレは今から玉砕必至の大立ち回りを行うのである。これはある意味、男時代の精算である。
後ろから見ているはずの後藤さんの存在に緊張しながら、オレは人気の無い廊下にて由佳さんと対峙した。
「――俺、男の時、柏木さんのこと好きだったんだ」
「……え?」
由佳さんの表情が変わる。さっきまでの柔らかな雰囲気が抜け落ち、こちらを勘ぐるような表情が浮上した。
「女になっちゃったけど、オレは……好きだったよ、うん。ごめん」
こんな薄い気持ちと指示で告白なんてしてしまった。自責の念が渦を巻き、オレの心をヤスリのように削っていく。オレはまともに柏木さんのことを見れずに俯いた。
「――……ごめんね。私は、他に好きな人がいたの。だから空ちゃんの告白は受けられないな。また、明日ね」
そうとだけ告げると、柏木さんは廊下の奥へと消えていった。消えたも何も、靴箱の方ではあるのだが。
そんな感覚になったのは、恐らく告白に失敗したからだろう。全国の、女子の心を射止めんとする不埒な男子たちもこういう心持ちになっているに違いない。
明日、オレはまた彼女に会えるのだろうか。
「――志龍くん、お疲れさま。失恋しちゃったけど、男子らしくて良かったよ。……また明日。気をつけてね」
「……あぁ、分かってるよ」
俺は少なくとも女子ではない。心は大和魂を備える男子である。
武士道精神を持つ俺は、ざわりと沸き立つ心を制し、後藤さんに手を上げることを良しとしなかった。
ーーー
翌日、俺は勝山と行動した。休憩時間は勝山と同様に机に突っ伏し、昼休みは食堂へのトライアスロンに参加し、猛烈な疲労からうどんを啜るに留まった。放課後も勝山とその友人達と連れ立って帰り、久しぶりに男っぽい生活をした。
勝山の友人ということはつまり俺の友人でもあり、最近話さなくなっていた大人しめの連中である。女子の俺が混ざって少し浮き足立つ。そんな具合だ。
柏木さんたちとは目を合わせられなかった。
「でもよぉ、志龍。お前今日変な顔だな。なんか気にしてねえか?」
帰り道の途中、勝山と二人になった途端にそう言われた。
こいつの動物的嗅覚は、人の緊張すら嗅ぎとる。きっと匂いフェチなのだろう。
「してねーよ。なんだ?友達と帰っちゃダメかよ?」
「そういう訳じゃねえよ。極端に態度変えてびっくりしてんだよこっちは。俺は嬉しかったがよ、食堂まで来たりとかすんのは異常だろ」
勝山は義に厚い男だ。爽やかなイケメンとは言い難いが、切れ味の鋭いその目線とガテン系のその容姿は、全てを見通すかのように俺を貫いた。
元よりこいつは幼馴染なのだ。俺がものを隠すのは難しい。早々に隠し通すのはやめにした。
「……あったよ。特大のがさ。後藤さんっているだろ?クラスの」
「――あー。なんとなく分かったぞ」
勘のいい勝山は事態をだいたい予想できたらしい。俺はポツポツと起きたこと、そして俺の今の精神を語った。
勝山と俺は昔から相互の相談役だった。実のところ、柳さんに告白するのを後押ししたのは俺だし、この高校に行くかどうか決めたのは勝山だ。
そんな勝山は俺の話を聞き、少し唸った。
「それは俺の出る幕はねえな。志龍、お前バカだなあ」
「……うっさい」
「お前は肝が変に座ったやつだもんな。後藤のやつにサシで向き合うって決めたなら、最後までお前で解決しろよ。俺は見といてやるから」
「分かってるよ」
存外大きく出た声が、俺の耳に届く。
それは少し拗ねたような、鈴の転がるような声であった。
「あとな」
「?」
勝山はその鋭い目をさらに鋭利に研ぎ澄まして言った。
「俺はお前が拗ねて隅っこに縮こまんのは許さねえぞ。そんな負け犬、男でも女でもねえよ」
「…………おうさ」
決めねばならない。女子が否かを。
「男子はやめる」そう父さんに宣言した言葉が、その重みを増した気がした。