そうなんです。俺女子なんです
書きだめが……
学校の有名人久遠麗子さんを説得すれば、面白いくらい噂が変化した。
どうやらオレが病気でこうなったという情報は同情を招いたらしい。七十五日を待たずして噂は収束していった。まあ、俺のクラスの女子の中にハズレがいるとかは耳に入るが。ハズレは事実なので無問題だ。
あまりオレを歓迎していないクラスの女子たちにも聞いてみたが、「そうなったこと自体は病気かなんかだろうね。男には変わりないけど」という意見をいただいた。オレが悪意から女子になったとは誤解されていなくて一安心である。
早く戻らねば……。その思いだけは強くなった。
さて、今俺がいるのは女子トイレの一室だ。いや、別に排泄シーンを強調したいのではない。
次の時間が体育なのだ。
俺は女子更衣室に行くのを嫌がった。それは照れでもあり、気遣いである。由佳さんや楓さんは気にするなと言ってくれたが、これは気を遣う場面だろう。警戒派の女子たちはホッとしたような顔をしていた。
「まあ、さっさと着替えますかね」
女子になったとはいえ、着替えは問題ない。個室の狭さも特に気にすることは無く、つつがなく着替えを終えた。
後は教室に着替えを置かせてもらい、グラウンドへ出るだけだ。
「ちょっと失礼」
ガラッと教室の戸を開けると、男子どもから囃すような歓声が上がった。また、これか。
そこまで気にはしないが、男子からは女扱いされ、女子からは男子扱いを受けるのには辟易としている。だがいちいち反応をよこすのも面倒なので、オレは特に何を言うでもなく席に向かった。
「なぁ~志龍はやっぱブラしてんの~?」
野球部のやつが聞いてくる。別に無視するような関係でもないし、はぐらかして勘繰られても面倒だ。オレは素直に答える。
「……してるよ。不本意だけどな」
おぉ~と、クラスの雰囲気が生温かくなる。注目を集めているのが分かって嫌になった。
「うへえ、ガチで女子じゃん。女子って体臭とかあんのか?」
「知らねえよ。自分のなんて別に嗅がねえだろ」
「自分のは分かんねえもんな!俺嗅いでやろうか?」
にやにやしながら聞いてくる。非常に気持ちが悪い。オレが元男子ということで明け透けなことを言っても問題ないと判断するらしい。オレが男でもこれは気持ち悪いと思うのだが。
クラスメイト達の名誉のために言っておくと、こういう下世話なヤジを飛ばしてくるのは欲求不満を隠そうともしないやんちゃな奴らだけだ。爽やか菊池君をはじめとする大人しめの連中は静観の構えだ。聞き耳を立てているともいう。
「ふざけんなよ気持ち悪い。元男になんつうこと頼んでんだ」
「元男と見込んで頼んでんだよ!頼む!ワイシャツだけでいいから!」
「志龍つれなさ過ぎだろ~?いいじゃん、女子としてのプライドとかねえじゃん」
「お前マジで女子になんの?」
「……それは……」
答えは分からない。しかし、こいつらが言うような扱いは嫌だということは言える。
オレは下世話な連中をひと睨みして、荷物を持ったまま教室を後にした。「お前らがして欲しいようなことはキモくて無理だわ」と捨て台詞を吐いたが、それが不格好に思えて仕方なかった。
「――あれ?空ちゃん、荷物どうしたの?」
グラウンドへ着くと、紬さんが不思議そうな声を上げた。
「教室に置こうとしたけど変にいじられそうだったからやめた。ベンチにでも置いて来るよ」
「うげえ、そっか、空ちゃんも大変だね」
何となく察してくれたらしい。周りにいた由佳さんや楓さんにも手を振り、オレは着替えをベンチに置いた。
「何?いっぱしに女子気取り?」
「……後藤さん」
棘のある口調で話しかけてきたのは、同じクラスの警戒派筆頭、後藤冴子さんだった。男子に苦手意識を持つ彼女は、中身が男子の女子というオレの歪さが苦手なのだという。
「せっかく女子の体手に入れたんだし、男遊びでもしたら?制服どうにかされそうでやだとか、まるで女子じゃない」
「いや、誰だって自分の制服人に嗅がれるとか嫌だろ」
「……。でも、男同士なら何ともないでしょ?私たちだって、別に何とも思わないし」
「……確かに男同士なら何とも思わなかったけどさ。あ、でも俺ホモじゃないから男遊びは無理だな」
まあ確かに男友達同士ならにおいがどうのこうのなんて気にしないだろう。それが体臭の確認程度であれば。そう思えば、オレの態度は「女子」そのものだと言いたいのだろう。後藤さんは不満げだった。しかし、鼻息荒いあいつらがオレのことを「男子」と思っているのかは疑問である。
「じゃあ女の子狙ってるの?サイテー。お近づきになれてご機嫌ってこと?今日どさくさに紛れて触んないでよね」
「触らないし、俺の好きな人は後藤さんじゃなかったよ」
「知らないし。とにかく、男子のくせに女々しいことなんてやんないで。それだけ、じゃ」
「……なんと身勝手な」
後藤さんよ、君も性転換したらわかる。自分がいかに孤立するかを。
ともあれ、腹を立てても仕方ないので、オレは仄暗い気持ちを忘れて整列するのだった。
「はい、それじゃあ今日は八対八でサッカーするぞ。日比谷は体調不良で見学な~」
体育担当の川端先生の号令で整列する。川端先生は女子担当の体育教諭で、自身は元大学女子日本代表のサッカー選手らしい。後ろで一つにまとめた髪が凛々しい人だ。
「志龍は元男子だし、運動の方は期待してるぞ。じゃあアップして始めるぞ~」
「「はぁい」」
女子の高い声で上げられる返事に違和感を覚えつつも、オレはみんなに混じった。
が、数分後、オレは体が固まっていた。
きっかけは、ゴール手前でパスを受けた時だった。前の女子さえ抜けばゴールを狙える。スピードを上げてドリブルでディフェンスを抜けようとしたとき、体の感覚が合わずに転んでしまった。幸い少し打っただけだったので、急いで立ち上がろうとしたが、思うように立てない。オレは混乱のあまり四つん這いで硬直した。
「空ちゃん、空ちゃん!大丈夫?どうしたの?」
楓さんが肩を貸してくれ、やっとオレは立ち上がれた。よろよろとしていると、オレだけ川端先生の指示で休憩することになった。
「志龍、お前その体で運動はしてたか?」
「いえ、全力で走ったのは今日が初めてです」
言われてみれば、この体は前に比べて異様に華奢になったのだった。身長も違うし、感覚が合わないのは当然なことだ。
「多分、頭が体についてきてないんだと思う。故障明けの時、私もそうなったことがあるよ。今日は無理しなくていいから、後で保健室行ってきな。打ち身になってると思うから」
「……はい」
情けないことだが、オレはまるで女子のような運動能力しか持ち合わせていない。後藤さんに睨まれながらも、オレは全く全力を出せず、ひたすら無難に過ごした。
「なんと無力か!!」
場所は保健室。保健医の先生にシップを張ってもらい、そのままそこで着替えさせてもらっていた。その時にあふれ出た咆哮である。
「志龍さんはもう女性ですからね」
「それでもですよ」
保健医の森岡というおばちゃん先生が呆れたような声を出した。
「無茶言わないで。女の子には男の子みたいな馬力は出ないんだから。それと、女子更衣室にはいかないのね?」
「無茶言わないでくださいよ……」
森岡先生は不思議そうだったが、これはおばちゃん目線で「こんなかわいい子だし問題ないじゃん」という感覚なのだと思われる。しかし女子高生とは気難しい怪物なのだ。全身を虎の尾と逆鱗で覆いつくした火薬庫なのである。
下手に刺激するべきじゃない。
「でも、これから三年間もこんな調子じゃ疲れますよ。心の問題もあるだろうけど、どこかで折り合いは付けなさいね」
「はい」
森岡先生からの忠告を受け、オレは保健室を後にした。
教室に入る前、ちらっと軽薄な男子たちや後藤さんの顔が思い起こされ、オレは幾分か凹んだのだった。
王道(?)に沿って行きたい