11話 終幕7
「お姉ちゃんさ~まだ怒ってんの?」
エリナは、さっきから膨れっ面でそっぽを向いている少女に向けてそう言った。
「だって~初めてガウ兄に負けたんだよ。それに先生まで……」
先程、水柱がたってからしばらくすると、ティガウロとマルクトの会話が聞こえてきたのだ。
マルクトは、ティガウロがエリスの攻撃をことごとく避けていたことに感心している様子だった。
ただ、最後に大きな隙を見せてしまったエリスにはひどい評価をくだしていた。
それは自分でも仕方ないとわかってはいるが、エリスにはショックだったのだろう。
いやどちらかというとその後に聞こえてきた修行内容を倍に増やそうかなという発言の方がエリスにショックを与えたのかもしれない。
要するに、そもそもの原因となったティガウロに怒っている最中なのである。
「そうだね~。お兄ちゃん強くなってたよね~。先生にも褒められてたし、私も妹として鼻が高いよ~」
「ティガウロさんは確かに強いですよね。去年まで毎日のようにユリウスお兄様の剣のお相手をよくしていましたし、私もよくお世話になってましたね」
「そうなの?」
エリスが興味深そうな顔で、アリスの方を向いて尋ねた。
「はい。私も八歳の頃に初めてティガウロさんに会ったんです。当時は私が人見知りだったので、あまり関わっていなかったんですが、お兄様の戦闘訓練をよく見に行く私に優しく接してくれたり、お人形さんを作ってくれたりしました」
そのアリスの言葉に思い当たるふしがあるのか、エリスが「あ~そういえば私も誕生日の時にもらったな~」と呟いた。
「確かにお兄ちゃんは手先が器用でしたね。私たちにも人形とか、木彫りの動物とか作ってくれてましたし」
エリスの呟きに同意するかたちでそう言ったエリナ。
その言葉に、アリスも笑顔でうなずいた。
「そうなんです。私はティガウロさんからいただいたものは今でも大事に保管しているんですよ。そういえば、一昨年の誕生日祝いに木彫りのファイティングベアーというのをいただきました。細かい部分がうまく表現出来ていて、とても精巧な造りだったんですよ。それでですね、それを見た鑑定士の方が、金貨一万枚出すからくれって言ってきたんですよ」
「そんなに⁉️ それでどうしたの?」
「もちろん断りましたよ。せっかくいただいた物なのですから他人にあげるなんて考えられません」
「へ~」
急ににまにまし始めたエリス、その意味がまったくわからないエリナ、そんな二人に向かってアリスが顔を赤らめながら
「でも、ティガウロさんがくれた物は目に見える物だけじゃないんです」
と言ってきた。
二人はその言葉の意図がよくわからず、顔を見合わせている。
「ティガウロさんが人見知りだった私の心を無理矢理こじ開けていなければ、例え今日のように城にエリスちゃん達が来ても、共に食事をとったり、こうやって温泉に入りながらおしゃべりするなんてあり得なかったでしょう。だから、ティガウロさんには本当に感謝しているんです」
「……もしかして、アリスちゃんってお兄ちゃんのこと……その、好きなんですか?」
エリナが恥ずかしそうに聞いた。
「そうですね。嫌いではないですけど恋愛対象としてはまったく見てないですね」
そんな言葉を向けられれば、慌てふためいてもおかしくないはずなのに、アリスの様子はエリナの予想とは異なり普段通りのものだった。
「あれ? そうなんだ。てっきりあんな言い方してるもんだから、ガウ兄のこと好きなんだって思ったんだけど。そんでもってあの馬鹿兄貴のあること無いことでっち上げて幻滅させてやろうと思ってたのに」
(お姉ちゃんまだ根に持ってるのか)
さすがにそれは隣に本人がいるのだから止めた方がいいと感じたエリナは、そう思いながら続きを言おうとしていたエリスの頭にチョップする。
エリスは痛む頭を擦りながらチョップしてきた妹を睨むが、エリナの怒っているのだとわかる笑顔の前では何も言えずに怯んでしまった。
「お姉ちゃん、さすがにお兄ちゃんのあることないこと人に広めるなんて許さないよ。まぁでも私も何故お兄ちゃんがアリスちゃんにとって恋愛対象にならないのかは気になりますね」
アリスの方を向いたエリナの表情にアリスも笑顔を作ろうとするが苦笑いにしかならなかった。
「えっとですね。私そもそもユリウスお兄様より弱い方に恋心を抱かないんです。お兄様なら間違いなく最終的な障壁として立ち塞がると思うので」
それを聞いて二人は納得せざるをえなかった。
ユリウス王といえば、たった一人の妹と王妃を溺愛していることで有名だった。
確かに、あの人がそう簡単にアリスを嫁に出すとは考え難い。おそらく、俺を倒さなければ妹はやらんくらい言うと思う。
確かにティガウロも同年代では抜きん出て強いとは、二人も身びいきではなく、本気でそう思っている。
父から武術を学び、魔法はルーンのせいでほとんど使えなくなったが、ルーンという神の力とまで唱われる能力を兄は持っている。
そんな能力を持つ兄が弱い筈がない。だけど、さすがにあの人には勝てないと思う。
化け物じみた実力者で、ルーンが使えるうえに、魔法も濃紫ランクだと聞いたことがある。
王宮剣術を自己流に磨きあげ、世界最強の魔剣士と呼ばれている。
経験、魔力、知名度、財力、おまけにルックスでも負けてるし、比べる相手が悪すぎたのだ。
「こりゃガウ兄に希望はないね」
「そういうことならお兄ちゃんが恋愛対象から外れるって言ってたことも頷けますね」
「確かにティガウロさんも強いのですが、残念ながら私の中ではちょっと無理ですね」
「そりゃガウ兄の方が弱いんだから仕方ないんじゃない?」
「でも、それでしたらアリスちゃんの好みの相手って現れるのかな? ユリウス王ってこの国では最強だって言われてるよね?」
エリスとエリナがそう言った時、油断している二人をお湯が
襲ってきた。
濡れた顔を手で拭った二人が、かけてきた方向を見るとベルがばた足で泳いでいた。
「メグミ~、温泉って楽しいね~」
「もうベルちゃん! 温泉では泳いじゃ駄目でしょ!! エリスちゃんとエリナちゃんに謝りなさい!」
「ふっふっふ~、私を謝らせたければ捕まえてみるんだな~」
「へぇ、いいんだ? 私を怒らせてただで済むと思うなよ~。待て~」
「……お姉ちゃん、やっていることが五歳児と同列ですよ。でもたまにはいいかもですね」
「わ~い! 逃げろ~」
泳いで逃げるベルを三人で追いかける少女たち、その顔は本当に楽しそうだった。
「あちゃ~、エリスちゃんもエリナちゃん行っちゃった」
そんな同級生たちを見ながらアリスはアハハと苦笑い。
「……でもね、お兄様だって負ける相手はいるんですよ。今は振り向いてもらえないのは、あの人を見ていたらわかります。初めてあの人を見たあの日、お兄様が地に膝をついて敗北を認めている場面を見てから、私はあの人のことが少しずつ……いいえ、これは成就するまで口に出さないでおきましょう」
アリスはそう呟くと、ベル達のおいかけっこに混ざりにいった。




