10話 反撃11
「はあ、はあ、はあ。くそっ!! あの男覚えていろよ」
丘の上をふらふらと歩いているのは、さっきまでマルクトと死闘を演じていたシーガルだった。
彼に左腕はなく、そのうえプランクの構成員が着ることを義務づけられた灰色ローブは鮮血に染まっていた。
衣服をつたって垂れた血がポタポタと地面に落ちる。それなのに、彼に血を止める素振りは見られなかった。
「……なんとか、ネズミに変身することであの場から逃げ出したが、天井が崩れだした時はさすがに焦ったぞ。なんとかここまで来れたが、はぁ、一時休憩するとするか」
そう言って、芝生の生えている地面にどかっと座る
「ふふふふふふ、さすがのあいつでも咄嗟にシャムシールを俺に変身させただなんて考えつく筈がねぇ。覚悟しろよマルクト・リーパー。お前の家族や友人をまずは殺して、今日のことを後悔させてやる」
そう言ったシーガルはその場で高笑いをした。
彼の言う通り、シーガルはマルクトから逃げおおせることができた。しかし、落ちてくる瓦礫に体の至るところにダメージを負ったため満身創痍になっていた。
そんな状態のシーガルに後ろから声がかけられた。
「やあそこの御仁、何故そんな傷だらけで笑っておるのだ?」
その言葉にシーガルは、驚いた表情を見せる。
気付かなかった。声をかけられるまでまったく気配がしなかった。
声をかけてきた男は黒いローブを羽織っていたが、フードはとられており、顔はよく見えた。
自分よりも年が上だというのはなんとなくわかる顔立ちをしている。髪は青かった。忌々しいあの男と同じような色なのが実に気に入らない。そして、貫禄のある顔つきで、筋肉質な体格なのが布越しにわかるほどの逞しい体つきだった。
情報通のシーガルでも知らない人物、こんな男がこの世に存在するのであれば忘れることなどあり得ない。
「……あなたは何者ですか?」
シーガルは彼の素性がどうしても気になった。
こんな男に構っている暇なんて自分にはないことはわかっている。ただ、この男が放つ強者としての圧倒的な威圧が自分をこの場に釘付けにしてしまう。……いいや違う。確かにそれもある。だが、シーガルが感じたのは恐怖だけではない。単純で純粋な興味だ。名前を聞いて変身するなんてことは思いもよらない。自分がただ立っているだけの男に怖いと感じた。そんな男の素性が知りたいと思った。
黒ローブの男は、堂々と言った。
「我の名は、ボナパルト」
「!? まさか、貴様が拳聖ボナパルト!?」
その名前に思い当たる人物は一人しかいなかった。
ボナパルトとは、マルクト以外に存在するもう一人の黒ランクを持つ魔法使いでありながら、拳一つで世界最強の座を奪った男だ。未だにその最強の頂きを誰にも譲らない姿に憧れを抱く者も多い。
五歳の時にファイティングベアーを素手でワンパンで倒したとか、十歳の時に四大竜王の一角をなす水氷竜を素手で屈伏させたなど様々な伝説を持っているが、その姿は誰にも語られていない。わかっていることは男だということと、ボナパルトという名だけ。
「我を知っているのか? ふむ、さすがはカルマが警戒するだけのことはある」
カルマという名にも聞き覚えがある。
魔導学園とかいう忌々しい場所で学園長をしている癖に見た目が野蛮人のカルマ・メルトーレという情報がシーガルの脳内をよぎる。
シーガルにはもはや彼が拳聖ボナパルトの名を語る偽物であるとすら思えなかった。
「拳聖ボナパルトともあろうお方が私に何の用でしょう?」
「……そうだな。今回はカルマという我の友人から貴公の排除を頼まれてな。仕方なく遠路はるばるここまで来たという訳なのだよ。まぁ、私としても貴公が持つ神秘の力に興味があったのだがね。シーガル・マルキュディス君」
ボナパルトはそう言うと、手をコキコキと鳴らす。
「さあ、早く変身という名の神秘の力を使いたまえ」
ボナパルトの金色の目は好奇に満ちており、シーガルに《ルーン・変身》を使うよう促してきた。
(くそっ、変身までばれてるのか。まぁいいさ。わかっていたところで関係無い。いいだろう、殺ってやるよ。所詮最強と唱われていたのは昔の話、同じ黒ランク魔法使いには勝てはしないだろう)
そう考えるとシーガルは変身のルーンを発動させようとする。変身する相手は先程自分を殺そうとした相手。しかし、
「なに!? なんで変身しない!! 私は確かにマルクト・リーパーに変身しようとした筈だぞ!! それなのに何故出来ないのだ!?」
マルクト・リーパーに変身しようとしたシーガルは何故か変身に失敗した。
その様子を見ていたボナパルトはつまらなそうな顔になった。
「なんだ? 何もしないのか? つまらん。もういい、さっさと死ね」
そう言ってボナパルトはシーガルを軽く殴った。
軽く殴ったように見えた拳はシーガルを数メートルぶっ飛ばし、血飛沫をあげながら何度もバウンドし、止まった時には彼は息をしていなかった。
こうして、マルクト達を苦しめたプランクという組織のボスであるシーガル・マルキュディスは呆気なく死んだ。
◆ ◆ ◆
「それにしても、あの子は今リーパーと名乗っとるのか? まったく、人の家名をなんだと思っとるんだ」
人を殺したのに顔には一切の変化が見られないボナパルトがそう独りごちると後ろから一つの影が現れた。
「終わったでやんすか?」
「……やっと来たのか? まあいい。ヤン・スー、後の始末は任せた」
「わかったでやんす」
ヤン・スーと呼ばれた鼻の長い顔立ちの背が低い男は、ボナパルトに向かって膝まずくと、シーガルの元に向かった。
「消滅のルーンよ。私の望みに応えるでやんす」
ヤン・スーがそう言うと、彼の手から光の粒子が出てきて、ぼろぼろのシーガルにその粒子が触れた。
触れた瞬間、シーガルと地面に付着していた血痕が全てなくなった。
「終わったでやんす」
「ふっ、相変わらず仕事だけは一流だな」
「お褒めに預かり光栄でやんす。ところで、これからどうなさるおつもりで? お孫様に顔を見せていかれるのですか?」
その言葉にボナパルトは少し考える仕草をする。
「……いや、今回は会わなくていい。秋にマゼンタ王国最強決定戦と呼ばれる大会があの国で開かれるとカルマからも聞いているし、その時に会うとしよう。ヤン・スー手配は頼んだぞ」
「承知したでやんす」
そう言って二人はその場から消えた。




