おまけ:ベルの一日
五月十六日の朝、ベルはいつもの時間に目覚めていた。
今日は平日で本来なら学校に行かなくてはならないのだが、昨日学園で学部棟の校舎が半壊するという事件が起きたため、魔導学園エスカトーレの高等部は二週間の休校になった。
ベルは重いまぶたを擦りながら、布団から抜け出すと、パジャマを着替えた。
部屋着に着替えてから、洗面台に向かい顔を洗う。
冷水のおかげで、なんとか完全に目がさめたベルは朝食をとりに一階へと向かった。
◆ ◆ ◆
食事をとる部屋では、いつものように椅子に座っているマルクトと、メイド服を着て朝食の支度を手伝っているメグミがいた。
「おはよう、ベル」
「おはよう、ベルちゃん。昨日はよく眠れた?」
ベルも二人におはようと挨拶を返し、自分の椅子に座る。
椅子に座ったベルの前にメグミと同じくメイド服を着たカトレアが朝食を用意してくれた。
カトレアにありがとうと伝え、ベルはいただきますと大きな声で言って、朝食を食べ始める。
朝食を食べ終えたベルにマルクトが話しかけてきた。
「今日は十時から始めるとするか」
その言葉は修行の開始時刻を伝えるものだったのだが、ベルはマルクトが心配になっていた。
◆ ◆ ◆
十時になり、マルクトと共に庭に出た。
「さて、いつものようにどこからでもかかってこい」
マルクトはいつものように、ベルから一定距離離れると、ベルに向かってそう言った。
だが、ベルには不安要素があった。
「……ねぇお兄ちゃん、本当にいいの? けがとか大丈夫なの?」
ベルは昨日、カトレアからマルクトが傷だらけだったと聞いていた。
一応、昨日の様子ではなんともないように振る舞っていたが、それでも心配なものは心配なのである。
しかし、当の本人は、ベルに向かって微笑みかけてきた。
「俺がそう簡単に怪我なんか負うわけないだろ? 俺の心配より、自分の心配をした方がいいんじゃないか?」
しかし、その言葉を理解できなかったベルは首を傾げる。
その仕草を見たマルクトは不敵な笑みを見せた。
「今日は学園での授業がないからな。いつもの倍は厳しくするぞ」
さすがのベルもその言葉に顔が青ざめてしまう。
ベルは、脚に装着していたレッグホルダーから十センチ程の棒を取り出す。
ベルが棒を前に掲げると棒は横に伸び、五十センチ程の長さになった。
これはベルがマルクトの元に来てから愛用しているステッキだった。
前にごろつきに襲われたことがあるベルに、マルクトが護身用に与えたものだった。
その性能は、魔力を込めれば意思によって伸び縮みするもので、他にもある程度の魔法式が組み込まれている。
本来、魔法を使うのに必要なものは属性、魔力、魔法式の三つである。
魔法式とは、魔法を放つ際に構築することで魔法が使えるようになるもの。
魔法を使ううえでは、なくてはならないものである。
詠唱によって自動的に魔法式を完成させることもできるが、そんなの自分の手の内を明かすようなものなので、詠唱をする人は最近では滅多にいない。
だからこそ、この世界の人間は自分の得意魔法以外は、戦闘で活用することはまったくといっていいほどない。
マルクトやカトウといった化け物クラスが相手でもない限り、考えなくていいとベルも教えられていた。
そのため、色々な属性の魔法式が組み込まれたそのステッキは魔法の使用に大いに役に立つ。
マルクトとの戦闘は約二時間かかった。
マルクトの終了という掛け声を聞いて、ベルはその場にペタリと座り込んだ。
マルクトは黒ランクでベルは濃紫ランク、お互いに魔力が高過ぎるため、なかなか魔力切れにならない。
ベルの魔法による攻撃は周りに被害がいかないように、マルクトが張った結界で相殺される。
物理的な攻撃はかわされ、ベルは結局いつものようにダメージは与えられなかった。
マルクトも容赦なく水弾と呼ばれる魔法を放って来るので、回避にも力を回さなくてはならなかった。
毎日ヘトヘトになるベルと違ってマルクトは余裕の表情で、いつもこの修行を終える。
そんなマルクトみたいなすごい魔法使いに将来なりたいとベルはそう願う。
「そんなところにへたり込んでないで昼飯食いにいくぞ」
そんな言葉をかけると、マルクトはベルに背を向け家の方へ歩いていく。
ベルは自分の心配を少しもしてくれないマルクトに膨れっ面を見せるが、いつものことかと溜め息をこぼし、マルクトについていくのだった。
◆ ◆ ◆
昼食はこの家の執事クリストファーが丹精を込めて作った料理が食卓に並ぶ。
「おいし~」
ベルのその言葉で場は笑顔で包まれる。
毎日こんなに美味しい料理を食べていると、本当にこの家に来てよかったと心底思う。ベルは顔を綻ばせながらそんなことを思っていた。
ベルは昼食を食べ終えてからは、メグミと共に部屋で勉強を行う。
今日は学校もメイド稼業も休みのクレフィが夕方まで付き合ってくれる。
クレフィの教え方はとても上手で、覚えの悪い自分にも、溜め息一つつかずに懇切丁寧に教えてくれる。
そんなクレフィの授業はベルにとっても、とても分かりやすく、お陰でたったの数ヶ月で文字の読み書きが出来るようになった。
ときに厳しく、ときに優しく、誰にでも分け隔てなく接し、何でもこなすクレフィはベルの理想の女性像だった。
そんなベルにとって楽しい勉強の時間も夕方の六時までで終わった。
名残惜しいが、今日は久しぶりに『ジェミニ』に食事に行くということらしいので、文句はなかった。
ベルは勉強の道具を片付けてから、二人と別れ、出かける準備を始めた。
◆ ◆ ◆
『ジェミニ』についたベル、メグミ、マルクトの三人は、料理を注文していた。
久しぶりにここに来たけど、さっきはびっくりしたな~。
だってお兄ちゃんがエリスちゃんとエリナちゃんのお母さんに真剣な顔で謝ってたんだもん。
お母さんもびっくりしてたんだけど、お兄ちゃんの言葉を聞いているうちに、もういいですよって言ってたから、きっとお兄ちゃんが悪いことしたんだよね。
ついこの前も、お兄ちゃんがぼろぼろの女の子と一緒にどこかに行ったってリーナが言ってたもん。
よくわかんないけど、きっと原因はそれだね。
あ……でもちょっと待って!
他にもあったかも。……あ!
そういえばエリスちゃんが前に、お兄ちゃんには変な趣味があるって言ってた!
なんだっけ?
ぼーいずらぶ? って言うのが先生の趣味だってエリスちゃんが顔を真っ赤にしながら言ってたから、きっとそれかもしんない。
でも、ぼーいずらぶってなんだろう?
エリナちゃんに聞いても早口で説明されてよくわかんなかったし、……まあ、いっか。
とりあえずリンゴジュースとすぱげってぃが食べたいかな。
注文をとり晩御飯を食べ終えた三人は家路についた。
今日は店が込んでいて、エリスとエリナは忙しそうにしていたため、二人とはあまり話せなかったが、また今度忙しくない時に来ればいいとマルクトに言われて今日は素直に帰った。
九時になり、いつものようにパジャマに着替えたベルは、布団の中に入る。
(明日も今日のように楽しい一日になるといいな)
そんなことを願いながら、ベルはやすらかな顔で眠りについた。




