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彼の猫は其の髭に誓う   作者: 下心のカボチャ
7/12

断章追記 陳腐な戯れ言を胸に、生きると云う事

二時間後……アザムの街道南西筋


結局、猫人、少女、妊婦の二人と一匹(?)は追手を振り切り無事に街を出る事に成功していた。


「……。」「……。」「……地獄ダ。」


顔をしかめ、溜め息をつく猫人……彼の両脇では少女と妊婦がぐったりと洗濯物の様に腕で干されている。


「俺ノろーぶ……げろマミレ、オ前等弱スギル。」


「あ、あなたこそ妊婦にはもっと気を遣いなさいよ……ポンポン跳ぶんじ……ゃな……******。」


げんなりしながら街道筋を見回す猫人。


「ワカッタ……少シ休憩、アノ倒木ニ座レ。」


街道の脇、前日の強風で倒れたのだろう小柄な女性が座るのに丁度良い倒木を見つけて、二人を降ろす。


すると猫人は腰のポーチをまさぐり、水竹筒を取り出して少女へ差し出した。


だが少女は受け取った水竹筒をしばらくの間、虚ろな瞳で見詰めた後……黙ってイノリへ渡す。


「(……後は人間の足でも街道を抜けて逃げられるか。)」


恐らくはこの街道筋もそう遠くない内に寸断され通れなくなる……脳裏の片隅を掠めた予見に僅かな肌寒さを感じる猫人。


「(大陸東部に拡がる大森林地帯……今回、軍部の内乱によって連盟の介入を受けたエルダットとイーダの両王家は縁戚にあたると聞くが……。)」


「………。」「……。」


「……猫のおじさん。」


か細く、今にも消え入りそうなその声で我にかえり視線を落とす。


どうやら先程の声は少女のものだったのだろう……イノリは少女の肩を抱き寄せ、表情を曇らせている。


「……ドウシタ?何故飲マナイ、毒ハナイゾ。」


「何も口にしたくない……から。」


眼前の少女は明らかに衰弱していながら、その言葉には確かな拒絶が込められている……猫人にとってみれば困惑する他になかっただろう。


だが途切れがちに紡がれた次の少女の言葉で更に困惑する事となる……。


「……私を……早く、食べて。」


「(補食という意味だよな?)……オ前ハ、奴ラカラぱんヲ盗ンデデモ生キ残ルト決メタンジャナイノカ?」


翠がかったスリットの瞳を向けられながらも、少女はその問い掛けに対し沈黙を通す……が、問いの内容には僅かながら不快感という反応を示していた。


息苦しい、沈黙が更に空気を希薄にしてゆく……実際の話、猫人に限らず獣人族で人間を補食した者等居ない。


猫人にとってみれば、あの発言はあの場限りの脅しであり、茶目っ気を利かせた言葉遊び以上の意味はなかっただろう。


ともあれ、然程困った事態でもなかった……当初から追手を振り切った時点で『食欲が失せた』とでも言い、二人を街道で解放するつもりでいたからだ。


目を伏せて溜め息をつくと軽やかに『別れ』を切り出そうと口を開く猫人……だが皮肉にもその瞬間、イノリが先に言葉を切り出してしまう。


「この娘にはふたつ年下の弟が居たんです……。」


「……居タ?」


改めて視線を向けると少女は唇を噛み締めたまま、何かを耐える様にイノリの肩を掴んでいた。


「……。」


「アザムにはこの子達の様な戦災孤児で溢れているんです……頼れる者もなく、仕様がなく手を汚す……。」


「(見慣れた光景だ……この子達だけに限った事じゃない、だが、そうか……この娘は。)」


街道に流れる風鳴りに瞬きの間だけ耳を預けた後、猫人は少女の前へしゃがんで瞳を合わせる。


「弟ヲ守ロウトシタンダナ……デモ間二合ワナカッタノカ。」


その言葉に少女の虚ろな瞳は微かな光を宿したように見えた……そして。


「少しでもいいから、長く一緒に居たかった……食べ物だったら何でも良かったのに……弟をモランを楽にしてあげられたら……それだけで良かったのに……もうわたしには帰る家もパパもママもモランも無くなっちゃった。」


帰る場所なんかない……ましてや迎えてくれる家族すら居ない……少女の言葉のひとつひとつがイノリに重く、刺さってゆく。


「(……この二人は同様に過酷な目に遇いながら、真逆の選択を望んでいるのか。)」


少女の虚ろな瞳は猫人へ『死』を哀願している……。


弟を死に追いやったこの世界を怨みながら、同時に薄汚れたパンでさえ弟の最期に食べさせてやれなかった自分の非力を呪い赦せない。


イノリの脳裏に弟の死後、放心した様に街をさ迷っていた少女の後ろ姿が過る。


そんな彼女へ騎士達は事もあろうか、声を掛け、あまつさえ嘲笑を以て『恵んでやる』と吐き捨てのだ。


そして少女は駆けつけたイノリの制止も利かず『すべて』を放棄するように、握り締めたそのパンを騎士へ投げつけた……。


如何に耳障りの好い言葉を並べても最早、少女の決意を覆すには至らないだろう事は誰の目にも明白であった。


『知らん、勝手に死にたければ死ねばいい。』


そう簡素に淡々と突き放して目を背ける事も猫人は考えていた……だが実際にそう出来なかったのはイノリの表情を通して、当たり前に心を痛め、憤る機微を呼び起こされつつあったからなのかも知れない。


猫人もまた、戦場の禍中にあって感情を無くし……否、己れの意思で封じていたのだと気付かされた。


「嬢チャン……名前ワ?」


「……エリス。」


「えりす、ゴメンナ、俺達獣人ハ人ヲ喰ワナイ……デモ君ガ望ムナラ、苦シマナイヨウ介錯スルヨ、デモ。」


「………。」


「先刻ノ司祭ミタイナずるハシナイカラ、君ガ選ブンダ。」


そこまで言い終えると優しく右手の肉球でエリスの瞳を覆う……。


そして左手は何時でも抜き放てる様に椚木断の柄を逆手で掴む……。


その静謐で揺るぎない猫人の所作にイノリは青ざめた表情で唇を噛み締めながらも、強い瞳を一瞬たりとも逸らそうとしない。


介錯……間違いなく、エリスが選んだ瞬間にこの猫人は情を以て彼女を殺めるだろう。


一部の隙もない確信めいた直感がイノリに覚悟を促していた。


『覚悟』……否、見過ごすだけではないのか?


不意に、湧き上がった疑念がイノリの思考を停滞へと陥れようとした……その瞬間。


「……!?」


心身を揺さぶる胎動が彼女の……その眼差しを見開かせ、そして。


「……い。」「……?」


「選ぶ事なんかない!」


重苦しい『死』の影を一喝し、少女を猫人ごと抱き締めるイノリ。


「……!?」


刹那……エリスの冷えた身体に伝わる鼓動と体温。


計らずもそれは亡き母の抱擁を想起させ、少女の絶望にヒビを入れてその深淵に沈んだ微かな光を呼び起こそうとしていた。


「お願いだから甘ったれないで……親はね、きっと死んでも子供の幸せを想うものだから、自分達が死んで、モラン君を守れなかったって死にきれなくて……その上、貴女まで死んでしまったら……誰が……誰がみんなの無念を晴らすの?」


「……でも、でも……みんなにはもう。」


「死者ニ逢ウ事ハ出来ナクテモ、死者ニ寄リ添ウ事ハ出来ル……。」


「(どうか、この子に生きる力を……)想像してみて、お父様の、お母様の、そしてモラン君の顔を今のエリスを見て笑っている?それとも……。」


「……。」尚も 必死で言葉を紡ぐイノリに対し、不意に右手の肉球に違和感を感じ彼女を制止する猫人……その真っ直ぐで穏やかな眼差しは残された希望を示唆していた。


「……ずるい……ずるいよ。」


青みがかった髪を優しくかき上げながら離れてゆく肉球……露になった少女の面差しは溢れる涙で濡れていた。


エリスが想像した家族の顔はどれも怒りの表情で彼女を見ていた、そしてどんなに笑顔の家族を思い浮かべようとしても出来ない事実に例えようのない不安と恐怖を感じたのだろう。


イノリも猫人も少女の涙に悲哀が混じりながらも安堵の表情を向けている……知っていたから、それは、如何なる理由であれ、その涙は『生きたい』と願う涙だと。


猫人は肉球に残された雫の温もりに眼を細め、やがて静かに立ち上がるとエリスの前で両腕を差し出す。


イノリも察したのだろう、静かに少女へ微笑みその身体を離す……と、猫人はエリスを高々と抱き上げ右肩へと乗せた。

思わず嬌声をあげるエリスの脇腹に耳から頬へと擦り寄せて喉を鳴らす猫人。


軟らかな毛並みの感触に僅かだが少女にはにかんだ表情が戻ったようだ。


「(陳腐でご都合主義だとしても……この子の胸の中の家族が助けてくれたと思いたいな。)」


「猫のおじさん……これから、どうしたら良いの?」


その言葉に一抹の違和感を感じ、ふと自分が名乗っていなかった事に気付く。


「仕方無イカ、暫クハ獣人ノ里デ暮ラストイイ……ソレト俺ノ名前、『すぽたます』。」


そう笑いながら名乗りイノリへ視線を送るスポタマス。


「えっ私?私の名前は……。」


「知ッテル、オ前ハいのり、ソレハサッキ処刑台デ聞イタ……オ腹ノ中ノ子、名前アルンダロウ?」


……一陣の風が微かに鳴きながら街道沿いを吹き抜けてゆく。


イノリは眼を伏せて愛おしそうに、まだ大きくなっていないお腹へ手を当てると少し照れくさそうに頷いた。


「うん女の子ならね……。」






現在……修道院庭園の離れ


「……っ!?」


苦悶の表情でベッドから転がり落ちるタマ……息を切らせ、全身を襲う熱痛にのたうち回る。


「(また……懐かしい……夢を見ちまった……もんだ。)」


外の空気を求め、ドアを支えに身体を預けてズリ上がってゆく……やがて震える左手でノブを回し、朝日の中へとその身を投げ出した。


冬の冷気に荒い吐息を白くし、体勢をとろうと土に張った霜を踏みしめると『ジャリッ』と虚しくも小気味よい音が響く。


ボヤける視界に自嘲気味に呻きながら、タマは呼ばれたかの様に石垣の手前で佇む老木へと倒れ込み、背中を預けた。


朝の風景へ溶けてゆく吐息……湿った老木の冷気が直に伝わり、少しずつではあったが痛みを和らげてゆく。


「(あの頃は……本当に人の言葉が苦手だったな)。」


過ぎ去りし日々を反芻し愛おしいそうに眼を細める。


だが不意にタマの耳が微かに震えた。


遠くから軽やかな足音と話し声が近づいてきていたからだ……。


「(イノリさん……俺はあの子らに何をしてやれるだろう)。」



断章追記 おわり

自由きままで、ワガママで、それでいて何故か義理堅い……。


幼い頃、団地に住んでいたのだが、棟の一階端に住んでいた婆さんが秘密裏に飼っていた茶虎の猫、当時けっこうな老猫だったと記憶している。


その猫の活動範囲が想像以上に広く、自転車で5分ほどの自然公園でこの茶虎「ミー」を目撃した時は驚かされた。


僕らは婆さんに限らず団地の住民ぐるみでエサをやってたりしたのだが、実は僕も家(団地)で駄目だと知りつつ猫を飼っていた訳で……。


ある時、その飼い猫が脱走し1カ月以上行方不明になった事があってね。


当時、何度も飼い猫が戻ったり、あるいは車に轢かれる夢を見て気が気じゃなかった覚えがある。


そんな時、友人が信じられない遠くで僕の猫と「ミー」が一緒にいる所を見たと教えてくれた。


そこは明らかに僕ら家族が捜索していた範囲の外に位置している場所で、ものの15分ほどであっさりと脱走犯を確保でき胸を撫で下ろしたもんだ。


その時は「ミー」が一緒にいる所は見なかったけれど、僕はより一層エサやりに感謝と力を込めたのは云うまでもない。


それから30年近く……引っ越しなどもあって忘れていたのだか、去年たまたま団地の近くを通る機会があって、この物語の主人公のモデルにしたという経緯です。


いやはや結構長く無駄話を羅列しました、ごめんちゃい。

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