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彼の猫は其の髭に誓う   作者: 下心のカボチャ
3/12

人間だけの存在(もの)……。

修道院敷地内にある『離れ』へと続く小さな庭園は穏やかなる午前の日差しに揺らされていた……。


敷き詰められた砂利の中で切り出された花崗岩が標が如く点在し、栽壇の植物は不規則に並びながらも他の石材(モニュメント)に溶け込み時の流れを表している。


本来ならば庭園と名のつく『荘厳』と『誇示』は嫌いがちなタマであったが、彼にとって、何処か大陸東方を想わせるその趣に懐かしさを感じていたのだろう。


編み笠を外し、やや前へ向いた耳と髭を風に遊ばせながら眼を細めるタマを一瞥し、シスターファベーラは静かに微笑む。


「気に入ったかい?……以前、東方から来た御仁に庭の手入れを頼んだんだが、気付いたら随分と『(みやび)』にされちまってね。」


「いいですね……何がどうってのは分かりやせんがね。」


「ウフフ、案外そんなものでいいんじゃないかい。」


和やかな空気に頬を弛めながら、庭園の奥で佇む人影を認め僅かに喉を鳴らすファベーラ。


「ああ用意が出来てるね、今日は趣向を変えて……じゃあないけど外でお茶にしようと思い立ってね、付き合ってくれるかい?」


「…………。」


温かな紅玉色の雫が白磁へと落ちてゆく様と微かな音色……。


広げられた絨毯に茶器を挟んで座るタマとファベーラ、そして間でお茶をサーブするまだ年若く見える黒人の修道女、どうやら彼女が用意を任されたのだろう粛々と進められるその所作には一切の無駄が見受けられない。


「まさか野立で紅茶を飲む機会があるとは……この温度は。」


僅かに視線を修道女へと向けると、彼女は控え目に微笑みながら八割程に満たされた茶器を差し出してから言葉を紡ぐ。


「アビゲイルと申します……紅茶の温度は野外ですので香りが飛ばぬよう、それとタマ様が火傷してはいけませんので少し冷ましてあります。」


「アビーには私の補佐をしてもらっていてね、見ての通り気配りのよく行き届いた娘だよ。」


「なるほど、私の猫舌では紅茶は少々戸惑いますからね、これはありがたい。」


そう謝意を述べ、左手でティーカップの取っ手を掴むと不意に、二人の修道女の視線が注がれている事に気付くタマ。


「(……やはり『右側』が気になるか。)」


獣人で隻腕の行商というのは常に好奇の目に晒されるものであるらしい……最早、慣れすぎて冷め醒めとした他人事の様な心境でしかないタマは構わずティーカップを一口啜る。


だが彼女達の関心はそこではなかった。


「……肉球を触らせてくれないかね?」


「……!?」


突然の老女の甘ったるい声色での懇願に、思わず紅茶を吹き出しそうになるタマ。


「し、失礼ですよシスターファベーラ……まず私が確認しますから。」


「(いや、そういう問題ではないのだが……。)」


呆れつつ、苦笑いと共にカップを置いて左手を差し出そうとした瞬間。


食い気味に腕を掴んで引き寄せるファベーラ……その窪みの奥の瞳は乙女の様に輝きを放ちながら肉球から離れる事がない。


「あ、いや……あの……。」


「ふふ、可愛いねぇ……癒されるねぇ。」


フニフニ……またフニフニと……恍惚の表情でタマの肉球を揉みまわすファベーラ。


その光景を羨望と嫉妬の眼差しで視ていたアビゲイルも堪らずに肉球へと挑みかかってくる。


「私もお相伴に与って良いですよね?」


修道女二人に揉みしだかれ、背筋がゾワゾワとむず痒くなってゆくのを感じ髭を震わせるタマ……。


「ところで……。」「……?」


「あんたが潰した聖人像なんだがね……。」


先程とは打って変わるファベーラの冷めた言葉の落差に些細な違和感を生じさせるタマ……。


「……申し訳ありません、仕方なくとは言えブリニガン聖教会の宗教像(シンボル)を潰すなんて金銭で済むとは思っていませんが、弁償させていただけますか?」


あくまでも不本意であり、他意等ない……丁寧かつ隙のない謝罪の文言に微笑みを返しながらも、今度はファベーラの方が違和感を禁じ得なかった。


「いやいや、あれ自体はたいして価値のある物ではないんだけどね、そうさね……あんたも連盟騎士団は知ってるだろう。」


「ええ……神聖マチカン王国、ゾロマフト砂漠連合、南ザンダー共和国、トラマト王国、森皇国イーダの大陸列強五カ国から選出された治安維持や戦火鎮圧の組織ですよね。」


「ああ、戦乱の世を治める御題目で五カ国間で百年の不戦条約を結びましたと言えば聞こえは良いが、要は五カ国以外を掃討し、大陸を仲良く分けあう、そのための尖兵だよ。」


「シスター、失礼ですが貴方の立場でそれを仰るのは……。」


そう言葉を濁すタマへ応えるかの様に溜め息をつくファベーラ……そんな彼女の隣ではアビゲイルが詫びる様に躊躇いがちの愛想笑いを浮かべていた。


「お察しの通り、連盟騎士団はブリニガン聖教を旗印にしているからね……私の立場で云うのは憚られるがこればかりは事情説明なんだから仕方ないさ。」


憚られる……とは暗に宗教戦争の事を差しての言い回しなのだろう、とタマは理解した、理解した上で要領を得ない説明に戸惑うしかない。


国家に政治に民草に根差しながらも、時として民に試練と称して犠牲を強いる宗教における他国への布教とは国家間の代理戦争、侵略と呼べるだろう。


しかし連盟騎士団の創立は水面下の宗教戦争と現実の戦乱を直結してしまった。


或いは思想と利益の相違を根とするそれらは元々ひとつであったかもしれない……タマは、いや、おそらくファベーラもアビゲイルも立場は違えど宗教と戦乱が結びついてしまったが故に成された夥しい惨状を目にし、或いは当事者として辛酸や苦汁を舐めたのだろう、『戻らぬもの』を背後に置き去った者にのみ付き纏う陰りが三人の間に流れ、暖かな陽に溶けてゆく。


「『永遠の円環戦争』なんて書物が出る始末でね……本質を見失った身内の馬鹿共がこさえたのがあの存命の聖人像なんだよ。」


「……。」僅かな沈黙の後、もう一度溜め息を洩らしファベーラは己が言葉に滲む感情を縛り付け、律しながら改めて口を開く。


「七年前、トラマトの西に位置する小国領の町が焼かれた一件……その犠牲者の中にはブリニガン聖教の門徒もおおく含まれててね。」


「……私もその町に居ましたから。」


小気味よくそう呟きながらも、肉球へ視線を落としたアビゲイルの小さな肩を見つめ、タマは今しがたファベーラが言葉を詰まらせた事情の一端を察した……。


「新たな軋轢を生むために下される神の試練とそれを恐れた地方の教会、修道院が迷信から騎士団の人間を祀り上げて造られた銅像……アレは効力の疑わしい免罪符ですか。」


「感謝してるよ、受け入れ難くとも私にはアレを叩き壊す勇気がなかったからね……まぁ同門がそれをやってくれたら一番だったんだが。」


「神は人間だけの存在(もの)ですからね……。」


「それは……どう云う意味だい?」


「すいません、皮肉ではないのですが……含まれる全ての意味ででしょうね、。」


「確か、獣人族の方々が信仰している『アラマト』とは自然を対象にしていらっしゃると聞いた事がありますわ。」


「信仰と云うよりは畏れですよ、在るがままの自然、意図も意志も介在しない自然、神ではない、だからこそ同胞の中にはブリニガン聖教を忌避する者達が居る……まぁ、主に犬族の過激派の話しですが。」


人間は脆弱な生き物だ、己の行いが正当であると肯定、赦す全知全能の存在を造り祀らなければならない程に……皮肉ではないとはそう言う側面の意味合いを含んでいるからだとファベーラは身に染みて知っていた。


「それが聖人像を潰した理由として用意したものなのかい?腑に落ちないねぇ。」


「女の子を助けるために仕方なく……ではシスターが求める理由ではありませんか?」


求める理由ではない……その言い様に閉口しファベーラは眼を伏せて何かを反芻する様に暫し沈黙を守った後、改めて言葉を紡ぐ。


「フフッ……すまないね、よそうかお茶が不味くなる。」


「お茶といえば……。」


「……ん?」「……あら?」


「そろそろ肉球()を離してくれませんか?お茶が冷めてしまう。」


そう苦笑するタマへ重ねて謝意を述べ、ついでに最後と称し、肉球を盛大に揉みまわしてから離れてゆく修道女達の指先……。


ファベーラは頬を僅かに紅く染め、満足そうに手に残った余韻を楽しみ、アビゲイルに至ってはほつれた前髪を直し、名残惜しそうに肉球を見つめている。


タマは髭を揺らすそよ風に眼を細め、緩やかに空を仰ぐ。


「(そういや、肉球を触りたいって久しぶりに言われたな。)」


冷めた紅茶を一口啜り、顔を出そうとする想いを呑んで胸へ仕舞う、日常の些末な習慣を終えると不意にタマは景色の一端へ視線を送った。


「シスター、あの庭園の脇を通る小道は墓地へ降りる道ですか?」


「ん、ああ……道なりに進めば墓地へ出るがどうかしたかい?」


「いえ、大した事ではありませんよ……それよりもお聞きしたいのですが、この街の宿場までの道程を教えてもらえます?」


『宿場』……タマの質問へ一瞬の沈黙を守った後、ファベーラは乾いた声を上げて笑いながらアビゲイルに目配せして見せる。


その様子に眉をひそめ、もう一度質問を聞き返そうとするタマを右手で制し、ファベーラは咳払いをしながら少々あざとく口を開く。


「この街にそんなものはないね。」


「……へ?」


「ありませんわね……宿屋、ホテル、旅館。」


「嘘ぉ……。」


「ロープレ(TRPG)じゃあるまいし、街にひとつは宿屋があると思ってたのかい?」


「……。」


唖然とするタマへ仕方ないとばかりに溜め息をひとつ吐き、ファベーラはタマの左肩を軽く叩いて見せた。


「まぁ宿がない訳でもないさね……。」


その救いの文言に我に返るタマ……だが、彼の視界が再び捉えた二人の修道女の眼は……爛々とただならぬ艶を称え、ある一点へ注がれている。


猛烈に嫌な予感が悪寒となって背筋を駆け上がり、髭を震わせて耳先から抜けてゆく。


「……お手柔らかに。」


木々の影を揺らす風に何とも言えぬ声が乗った……とか乗らなかったとか……。



続く

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