表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

#1

 夏は嫌いなはずだ。

 はずだ、というのは、何故だか僕の中に夏を全否定する勇気というか、なんというか、どちらかと言えば冬の方が好き、という感覚の方が大きいからだ。だいたい皆そんな感じだろう。好きな人は好きで嫌いな人は嫌いという人も少なからずいるとは思うが、こういう極端な人は、僕はあまり見ない。

 でもやっぱり、僕は、夏は本当に大嫌いなはずだったんだ。


 今日も朝方、クーラーの効いた満員電車に乗った。あつい。

 僕は普通のサラリーマンで、会社に向かう途中。今は冬によくやるおしくらまんじゅうを車内で見知らぬ人と「あっ、すみません」なんて言い合いながら、必要のない暖を取っている。非常にあつい。暑さに加え、滴る汗を拭う中年男性の独特のにおいとか、香水をつけた奇抜な女性のにおいとか、言い過ぎかもしれないがオバちゃんたちの口臭とか、そういうのが入り混じって、気分が悪くなりそうだ。いや、というかもはやなっている。車内に消臭剤か何かを撒きたい。もしくは出たいが、僕の降りる駅まであと4つ。待つしかない。

 扉が開くと、新鮮な空気が入ってくる。しかし、朝方といえど外気より冷えた電車の中にはさらなる熱気が舞い込んできて、出入り口の脇、一番出やすくて一番安定していて安全なところを陣取っている僕は思わず目を瞑る。


 電車がカーブに差し掛かったところで、人の波が進行方向より左側に押し寄せてきて、体を硬直させて保身する。バランスを崩して押されに押されて僕に体を預けてくるのが、割と可愛らしい女性だったから役得だ。


「ごっ、ごめんなさい…」

「あ、いえ」


 それに謙虚さも兼ね備えているとは。

 こういう子はモテるんだろうな。


 比べて僕は、気の効いたことなど言えていなかった。もう手遅れだけど、素っ気ない言葉に一言「大丈夫ですよ」ぐらい付け加えても絶対良かった。いつも僕は後悔先に立たず。

 最近、テレビのCMで相田みつをの「セトモノ」が流れているけど、それを実感する。テレビでは一部しか流れていないが、全文読むと、僕もやっぱり相田みつをと同じ、セトモノなのかも知れない。


 線路が直線に戻り、電車の傾きが落ち着くとところどころで安堵の息がもれた。満員電車という窮屈な箱の中でも少し余裕ができて、一時的に気分が休まるような感じである。車内自体は慌ただしいが、心なしか平穏な空気が流れているようにも思えた。


 各駅を着々と進行していく電車は、駅に停まるごとに人の入れ替えを繰り返しながら荷物を運んでいく。

 今停止している駅を出発し、僕が降りる駅までは、いよいよ後2つとなった。電光掲示板に次の駅名が表示され、車内アナウンスが放送される。

 先ほどの女性が、慣れた手つきで袖口に隠れた腕時計の文字盤を見ている。僕はそちらに視線を移すと、ふと顔を上げた彼女と目が合ってしまって、お互い気付かない振りをして、何事もなかったかのように平静を装う。内心、僕の心臓はドクドクしている。恋…ではなく、これは恥じらいによるものだ。


 事が起きた後も、何故かこちらをチラチラと見てくる。これから恋が始まりそうな予感を匂わす一件が起きる前も、途中、何度か見られているなぁとは思っていたものの、こうもそわそわされながら上目遣いをされると、なんだか期待してしまう。しかも相手は次の駅で降りるみたいで、急いでいるよう。

 目を泳がせ、少し考え込む女性は、ハッと何かを思いついたようにガサガサと鞄を漁っては、中から無地の暗めのネイビー色をした手帳を取り出した。意外と大人っぽくてシックなものを使っているんだなと思ったのも束の間、「あれ?これはもしや」と僕の自惚れが色濃くなる。

 予想通り、女性はボールペンを手に取って、手帳の隅っこに何かを書き始めた。


「あの、これ…」


 書き終えたものを無造作に千切り、駅に停車した電車の扉が開くと同時に女性は僕にその紙を渡して、逃げるように降り去っていった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ