45話 見えざる敵
壁、床、机などのあちこちに赤くドロリとした血が大量にべったりと付いていた。そしてぼく達の目の前の床に付いている血は引きずったかのようにカウンターの裏へと続いていた。一体、ここで何が起きたんだ……?
「ルミナさん……これは――――」
ぼくはこの状況について尋ねようとしたが、ルミナさんは一切耳を傾けずに一目散に床の血を辿ってカウンターの方へと駆けていった。
そしてカウンターの裏を見るなりさらに驚いた表情をしてルミナさんはその場で腰を抜かし、地面にぺたんと座り込んだ。
「…………ヒロくん。私は……夢でも見てるんでしょうか……?」
……あのルミナさんでさえ驚愕する光景がそこのカウンターの裏にある。そんな光景、見なくてもいいのに勝手に足が何かに取り憑かれたようにカウンターに向かってぼくを歩ませる。
「……初めに言っておきます。見るなら、覚悟を決めてください」
ぼくはゴクリと生唾を飲んだ。その言葉に急に冷や汗が出てきたが、その光景を見ない事には今の状況を掴むことはできない。
ルミナさんの警告の通り、この先に何があっても受け止める覚悟を決め、そっとカウンターの裏を覗き込んだ。
――――その瞬間、ぼくの全身の血の気が引いた。
見慣れた橙色の髪の女性が血だまりの上で仰向けになっていた。右脚は有り得ない方向へ折り曲がり、肩は何か鋭利な物で切られたかのようにザックリと裂け、制服を赤く染めている。
「……え? そんな……」
あまりの出来事に言葉を失う。どうして、フィルマさんが……?
ぼくはその場で床に崩れ落ちた。もう、悲しみの感情さえ湧いてこなかった。ただ、悲しみではない違った感情が心の奥にあった。
それは、怒りだった。
ぼくらの仲間をこんな風に傷つけた奴が憎い。ぼくの人生で、初めて殺意が芽生えた瞬間だった。
「………………………………て…………」
「え?」
フィルマさんは、生きていた。ルミナさんもそれに気づき、ハッとした表示をして焦ってフィルマさんの元へ駆け寄り、フィルマさんの体を起こした。
「フィルマさん! 一体誰がこんな酷い事を!?」
「………………に…………げ…………て……」
「え!?」
フィルマさんは薄く目を開き、今にも消え入りそうな声でそう呟いた。ぼくはそんな姿のフィルマさんを直視する事が出来なくて、受託室の入口の方へ視線を逸らした。そして必死に歯を食いしばり、怒りの涙を堪える。
「……こ……こに…………は……まだ、…………敵…………が」
すると、あたかもフィルマさんのその一言が引き金だったかのように、目の前のカウンターの板が弾け飛んだ。ぼくはそれに驚いてその場でずっこけた。
宙を舞うたくさんの細かい木片や埃が目に入ったりして視界が遮られる。
「……っ! 何!?」
ルミナさんが叫んだ。ぼくはいち早く状況を確認するため、本当は良くないが慌てて目を擦って視界を無理矢理回復させる。決して良好とは言えないが何も見えないよりはマシだ。
そして目が見えるようになって一番最初にみえたものはカウンターの陰に身を隠しているルミナさんだった。それを見てぼくは自分が何にも隠れられていなくて完全な無防備状態だった事を知った。
ぼくは仰向けのままほふく前進でカウンターの陰に体全体が隠れるくらいまで進んだ。
「一体この斬撃はどこから……!?」
そう言ったそばから二度目の斬撃がまたもやカウンターを弾けさせた。
「……敵なんていなかったのに、いつの間に侵入してきたの……?」
さすがのルミナさんでもこの事態には困惑しているようだった。そりゃそうだ。何も無いところから攻撃が飛んでくるんだもの。
「敵……は、初め…………から、……ここに…………」
フィルマさんがぼそぼそと呟いた。
ぼくとルミナさんはほぼ同時に横で仰向けになっているフィルマさんの方を向いた。さっきよりは聞き取りやすくなったが、それでもまだ分かりづらい。
「すみませんフィルマさん! もう一度……!」
「あの敵は…………見えない……んです………………」
「えっ……それって、不可視化能力じゃないですか……?」
ルミナさんはその不可視なんたらの能力について何か知ってそうな顔をしていた。すごく気になるが、今はそれどころではない。フィルマさんの言っている事が正しければ、どう考えてもこちらが圧倒的に不利になる。
多分ここに来た時に灯りが消えていたのはフィルマさんが意図的にやった行為だと思われる。相手からは見えるけど自分からは見えない状態より、お互いに見えない状態の方が良いと考えたのだろう。だとすると灯りをつけたぼく達は完全に墓穴を掘ってしまっている。敵から見えるようになった上に、もうこのカウンターの裏に隠れている事がモロバレ。まさに絶望的状況だ。
「仕方ないですね、見えないならどうする事も出来ません……。こうなったら出鱈目に魔法を撃つしか……」
「待って下さいルミナさん。それは最善の対処とは思えません。闇雲に魔法を使ったとしても、魔力の無駄遣いになるかと……」
「それもそうですけど…………ヒロくんには何か作戦でもあるんですか?」
「一応まあ……」
ぼくの考えた作戦は、さっきフィルマさんが使ったと思われる方法の応用版だ。ルミナさんの魔法の属性は確か雷。それを上手く活用して構成を練ってみた。
「あくまで素人なぼくの考えなので上手くいくとは限りませんが、まずこの受託室の隅にある電気基盤を出来るだけ大火力の魔法で破壊してショートさせて下さい。そうしたら、素早くもう一度このカウンターに隠れて下さい」
ルミナさんの雷とこの部屋に使われる電気が通じているであろう基盤が衝突すれば、想像を絶する雷の衝撃でこの部屋全体に波動が広がる。しかしぼく達はこのカウンターに隠れている為、その被害は受けないはずだ。
「……それで何が起きるのか分からないですし、基盤の修理も面倒くさくなりそうですが、この際仕方ないでしょう。……ヒロくんを、信じてみます」
そう言うとルミナさんは深く呼吸をしてカウンターから身を乗り出した。
少しずつシビアな展開に。




