26 孤独な令嬢
前回、藁人形の出番が少なかったので今回は多目にしてみました。
ただ、目を閉じて座る。
それ以外なにもせず、それゆえになにもなく。動かず、眠らず、考えず、ただひたすら座る修行、座禅。
シャーリー・フットの身体を引き継いでから、纏った時間を見つけては座禅に充ててきた。それは本来の修行として目的ではなく、シャーリー・フットという人物の記憶を深く見るためだ。
自分がシャーリーの身に宿ったとき、一緒にシャーリーの記憶も引き継いだが。それはそんなに便利な物ではない。人間が過去の記憶を呼び覚ますのにきっかけが必要なように、シャーリーの記憶を引き出すのは用意なことではなかった。
例えば、シャーリーの持つ古傷に関して言えば、傷を鏡で見るまでその存在が分からなかった。
シャーリーのことを知り、彼女の無念や心境を知るためには彼女の記憶は不可欠だ。もしも彼女の意に沿わないことをしてしまったら無念を晴らすどころではない。
彼女の思いを知り、彼女の目線に立つために、記憶を一つずつ整理していく。そのための座禅だ。
己の心を無にし、シャーリーが本来持っていた記憶にのみ集中する。そして時間を遡りながらゆっくりとシャーリーの足跡を辿っていく。
そしてようやく、私が一番知りたかった記憶を掘り起こすことができた。
シャーリーが過去に藁人形を打っていた場所だ。
“汝、人を知りたくば彼の人の藁人形を見よ”
その言葉通り、シャーリーのことを知るには記憶だけではなく、過去のシャーリーの魂を投影した藁人形を手に取り、見るのが手っ取り早い。
今、私がシャーリーの技術をもとに作る藁人形からは折れることなく立ち続け、再び戦いを挑む、再戦とタフネスが読み取れる。しかし、これは私という存在がシャーリーの器の中に入ることで作られた藁人形。シャーリー自身の作ではない。
学院の森か、シャーリーの持ち物の中にかつてシャーリーが作った藁人形があると考えていたが。シャーリーの記憶によれば、彼女はアリスに対する破壊工作を心に決めたときから藁人形は市販の物を使い始め、自分の手で新たな藁人形を作ることはなかった。当然、学院の森にも彼女の作の藁人形はない。
だが、ようやく場所が分かった。そこに行き、彼女がアリスとの決別を決めた日以前の藁人形を見ることができれば、彼女のことがもう少し分かることができるかもしれない。
シャーリーの藁人形があるのは王都にも近い、森の中だ。森は深く、陰樹林が深く、土地の人間も深くは入らない暗い森の奥地だ。
私は藁人形を打ってくるとだけ言ってカーターの運転する馬車で森に向った。
森に入る前には水を浴びて身を清め、白装束を纏い、ほぼ高下駄のようなサンダルを履き、頭にはティアラのように五徳を乗せる。
藁を編んで作ったカバンには水、食料、薬、藁人形、蝋燭、そしてその他必要な物を積み。背中に背負い。
腰に巻いた帯には純白の合金で作られた五寸釘を何本も下げ、腕に数珠も巻き、手には尺杖を持つ。
「カーター、七日七晩したら森から出てくるわ。その際には迎えを」
それだけ言って、私は一人、森に入った。
普通、少女が一人で森に七日も篭ると言ったら止められるが、そこは呪使いの良い所、藁人形を打ちに行くのは立派な理由として受け入れられた。
シャーリーの藁人形があるのは森の入り口から歩いておよそ二日の所にある。これが普通の魔術師であれば祝福を使って歩く速度を加速することもできるが、生憎シャーリーにそれはできない。
だからだろうか、シャーリーの身体は実はとても鍛えられていた。
高下駄を履きながらもシャーリーの足は軽やかに地面を踏み、私を自由に走りまわることを可能にした。それは森の奥から始まる山道に入っても変わることはない。その動きは自分で言うのも難があるが、正に妖怪、天狗だ。
半日、木の根や獣道で足場の悪い森を突き進んでもシャーリーの身体は息を上げない。
強靭な精神力といい、本当に悪役令嬢が人間なのか疑いたくなるほどだ。
森に入った最初の夜、休息のために木を登り、枝の上で休息をとることにした。森には多種の獣が生息している、それらを避けるには地上よりも樹上のほうが都合が良い。
空を見上げたら、深く暗い陰樹林から見える夜空には万もの星々が輝いていた。
シャーリーも森の中からこうして夜空を眺めたのだろうか。
逢えぬシャーリーに想いをはせて、私はその晩は休息に入った。
翌日は朝からまた移動だ。
森は広大で、中には山や川、谷など様々な地形がある。シャーリーの藁人形にたどり着くにはそんな険しい地形を越えて奥地に深く入らなければならない。
道中、他の呪使い達の物と思われる儀式場や藁人形と見る機会もあり、シャーリーの記憶では、それらの藁人形を目印に森を進んでいたようだ。
深く、暗い森はうっかりすれば迷ってしまいそうだが藁人形は嘘をつかない。これまでも、そしてこれからも丑の刻参りや儀式のために森に入る呪使い達を導くことだろう。
その後、人間のミイラが釘で打ち付けられている木が山頂に生えた山を越え、赤子の骨が散乱する谷を過ぎ、血文字で“リア充死すべし”と書かれた一万体の藁人形が打ちつけられた林道を抜け、ようやく私がシャーリーの藁人形が待つ地にたどり着いたときには陽が暮れて、月が昇っていた。
そこにはいくつもの純白の藁人形が打たれた白亜の巨木が月明かりを浴びながら聳え立っていた。
藁人形は一体一体が白く美しく、それを宿した大木も御神木の如き存在感を放っていた。
木に打たれた藁人形は全てシャーリーの作だ。見ただけで分かる。これはあの日、雪の中でシャーリー・フットという存在を引き継いだときに見た純白の少女と同じだ。おそらく、これこそがシャーリーの素顔なのだろう。
白く、穢れなく、神々しさすら放つ大木と並んでも見劣りすることのない。それがシャーリー・フットという人物だ。
彼女はこの森の中で己と向き合い、そして己の心の醜さすら克服したのだ。だからこそ、彼女の作り、打った藁人形はこうも美しいのだろう。
人を想う気持が祝福となり、人を怨む気持が呪いとなる。これが一般的に知られた魔術の基本だ。
しかし呪いの才女、シャーリー・フットの力の源はこんなにも美しい。
今ならなぜ、彼女が魔術としての呪いをアリスに使わず、破壊工作に走ったのか。なぜ彼女が突然藁人形を作らなくなったのか説明がつく。きっと、シャーリーは・・・アリスに手を下すことで淀む己を恥じたのだろう。そして、この白く美しい木にそんな感情を持ち込みたくなかったのだろう。
ここにある藁人形を見ればそれが分かる。彼女は苦しんだのだ。祝福が使えず、そこに作為的な悪意があろうと周囲に忌まれる己でも、せめて心根だけは正しくあろうと懸命に努力するも、アリスを怨む気持が膨れ上がるのもまた事実だった。
苦しかったでしょうね・・・シャーリーは・・・
ここに来て、一つ分かることができた。シャーリーの無念はこの藁人形に恥じぬ方法で晴らさねばならない。さもなければ、今度は私がシャーリーの苦悩を踏みにじってしまう。
荷を降ろし、私は身軽になって白亜の巨木の根元に座った。
背筋を伸ばし、手を組み、ただひたすら座った。
私は転生してシャーリーという存在引き継いだが、なにか他に方法はなかったのだろうか。たとえば、シャーリーの頭の中でシャーリーにのみ語り掛けるアドバイザー的な存在とか。鏡を見ればシャーリーの目にだけ写る鏡の精とか。
せめて少しの間くらい、シャーリーの隣にいてあげたかったと今は思う。こんなに静かな森の中で女の子一人は流石に寂しいわ・・・
今夜は星空よりも月が綺麗だわ・・・
シャーリーも見たかしら、ここからの夜空を。
『丑の刻の神々に畏まってお願い申す。彼の方の無念、祓いたまえ。彼の方の心、清めたまえ。彼の方に幸えたまえ・・・』
その後、私はシャーリーが藁人形を打った木の根元で三日三晩修行したのち、森を二日二晩かけて出た。




