22 一途な敗北者
シェリー・ワンこと、シュェリー・ワンは新年を故郷から遠く離れた異国の王宮で過ごしていた。
この国では馴染のない、身体の線に沿った細身のドレスは黒地に金の刺繍と派手な色彩も合わさり人目、特に男性の目を引いた。
歩けばドレスのスリットから白い足が露出し、肩から手にかけてはなにも覆う物のない礼服は祖国でこそ一般的であっても他国では違う。
文化の違いを知り、大慌てで毛皮の襟巻きを用意したもののそれが余計に挑発的なイメージを作ってしまった。
少し前までなら人目くらいなんても思わなかった。誰になんと言われようが、思われようが、我が物顔でいられた。
自己紹介には“シェリー”と名乗っているのも言語の違いから自分の名前を正しく発音できない人間に対する配慮だ。
(まったく気弱になったものだ・・・)
半年前ならそんなこと考えもしなかっただろうに。
いつだって自分が正しいと思ったことを貫き、自分自身の存在を世に対して示すようにしてきた。そしてそれができるよう、自分でも努力はしてきたつもりだった。
有力貴族の娘に産まれ、三歳で後宮に上り、五歳で女官見習いに成り、十五歳で女官として仕官し、その後も出世を願って精進を重ねてきた。危ない橋を渡らず、確実に功績を積み重ね、それなりの地位にも上った。
自分は別に側室に成りたいと思ったことも、貪欲に出世したいと思ったこともなかった。しいて言えば、ある程度地位のある人間しか口にできないお菓子とお茶が手に入る暮しが欲しかったから出世を望んだ。
他人が聞けば呆れるような話だが、個人的には結構真面目だ。後宮に三歳で上り、以来実家に帰ることなく厳しい女官修行を重ねていたのだ。口に入るものは女官になるまで質素だったし、お菓子など女官になって初めて口にした。あの“甘い”という味覚とそれに合う香ばしいお茶はなんとも言えない。出世してあんな物を気軽に食べられるようになりたい、そう思ったからこそどんなに辛い日々も耐えることができた。
ようやく台所の余りや残り物に手を出せる身分になると、形の悪い干し柿や表面の乾燥した甘餅などを夜中こっそり仲間内で食べるのが何より楽しかった。
だが、アイツが後宮にやってきたことでそんな生活も長くは続かなかった。
自分よりも少し若いあの娘は平民の出ながら、身分ある殿方の気を集め、大勢の男に言い寄られるような女だった。その内、公子殿下があの娘を気に入り、妃にするとまで言い出した。
表ではあの娘を妃にするにあたって前例と照らし合わせ適切な待遇を割り出したが、後宮はそうはいかなかった。後宮に女官として上り、日の浅い娘を、第一妃にするなど許せることではなかった。なにより公子殿下のお母上である公后様が強く反対した。
私自信も後宮の流儀に法り、あの娘の待遇については考慮すべきと主張したが、最後には後宮の意見が取り入れられず、政戦で負けた形となった。
後宮内の不穏分子として私は捌かれ、職を解かれた。
物心ついて初めて実家と言うものに帰ってみたが父や母の顔を見てもピンと来る物はなく、同じ家に居ながらもお互いに赤の他人のように気を使いあっていた。二親と私の後から生まれた弟妹達が揃っていると、どうも私の居場所は家にはない気がしてならなかった。
まあ、物心付く前から家を出て、後宮にいたのだから同然と言えば同然だ。彼等にとって、私は血の繋がりがあっても、本物の“家族”ではないのだ。
普通自分の年なら、他家に嫁ぐのが一般的だ。しかし、後宮を追われた私を迎えてくれる家などない。それは実家に対しても同じこと。いつまでも自分などが居て良い場所ではない。自分は最初からこの家の人間ではないのだから。
家に居られないと思い、思い切って祖国を出ることにした。ちょうど異国に発つ使節団があり、伝手を伝ってそれに同行させてもらった。その際、色々と融通を利かせてくれたのが公后様だったのだから後宮に足は向けられない。
ただ、後宮を出たその日からずっと、自分がなにをすべきか分からないのだ。
異国の王宮で、華やかな宴に招かれ、着飾って参加してみたものの、やはり退屈だ。と言うより、なにをして良いのか分からない。いくら新年で無礼講とはいえ、ここが王宮であることには変わりない、やはり最低限の作法が存在するはずだ。
しかし、自分はこの国の作法に疎い。うっかりなにかとんでもないことをしないか気が気で仕方がない。
周囲を見回せば立ったまま食事をしている物も多いが、それは自分の国ではまず考えられない作法だ。反対に席についている者もいる。
両者の違いはなんなのだろうか?身分か、職業か?もしそうなら、自分はいったいどこに属するのだろうか?
目の前で自分の知らない、甘そうな菓子が振舞われるも、それを見るだけで、食べて方は分からない。
(どうにかならないものだろうか?思い切って、恥を忍び誰かに作法を教えてもらうか)
この格好の所為か、同性からの印象は最悪に悪い。さっきも影で“娼婦”と呼ばれているのを盗み聞いたばかりだ。だが、男受けは悪くないはず・・・
こうなれば気弱そうな男を捕まえてアレコレと聞いてみるか。
そんなことを考えているとき、シュェリーの前に救いが訪れた。
「こんばんわ、突然ごめんなさい。もし良ければご一緒させていただけませんか?」
銀髪碧眼の少女がシュェリーに声をかけてきた、手には色とりどりの焼き菓子を乗せた皿もある。
「こちらこそ、よろこんで!」
シュェリー・ワンはこのとき、自信の内の食欲に負ける形となった。
目の前のご令嬢はシャーリー・フットというらしい。他国の文化に対して強い興味を持っているらしく、私の本名もシェリーではなく、シュェリーだと一発で当ててみせた。
これまで後宮に引きこもっていたこともあり、彼女に話せることは教養関係以外なにもなかったが、代わりに彼女からは政治的な情報を教えてもらえた。
「では、今は国を挙げて“祝福”の研究が盛んなのですね」
「そうなります、前国王陛下の政策が進み魔術も一般的に活用され、国内の産業などに活用されています」
彼女から得られる情報は興味深かった。なにかと秘密主義になりがちの魔術を民の間で活用させ、国内で作れる利益を増やすのは画期的とも思える。
本来、魔術は権威の象徴としてみだりな使用は禁止されている。戦や大公家を始とした権力者の指示があって初めて使われる。そうやって為政者の力を示し、民を治めるのが魔術の活用方法だった。
「ところで、シャーリー殿。実は一つ気になることがありまして、“祝福平和論”とはなんですか?」
“祝福平和論”、オベリアに来て度々耳にする聞きなれない単語だ。なんらかの学問と思われるが興味がなかったので気にしなかった。だが、魔術を民の間で活用させるこの国だからこそ、自分では思ってもみなかった事実があるかもしれない。
「それは私にも分かりません、“祝福平和論”は“祝福”のさらなる研究により、道徳的な発見を通して世に安永を齎すことを目的とした思想だとは聞いていますが、詳しいことは」
「魔術の研究による道徳的発見・・・なんだか考え難いことですね」
魔術とは道具、どんな物でもそれは使い方と使う者による。
例えば、治癒を促進する“祝福”を使うとする。怪我や病気の治りが早くなるのは良いことだが、使われた対象がこれから新たな犯罪を計画する極悪人であれば話は別だ。逆に人を傷つけ兼ねないものであったとしても、使い方しだいでは良薬となる場合もある。
魔術を扱う者は、技を求める武芸者同様、それを扱う心を先に養わなくてはいけない。先に魔術を求め、そこから心を見出すのは完全に否定こそしないものの、何処か矛盾しているようにさえ思える。
武芸や学問を精神修行の一環、もしくは更なる修行の下地として治める修行僧はいる。しかし彼等にとってそれらは手段に過ぎない一面がある。それは自らが目指す先や目的とした物がある程度分かっているからこそ実現できるものだ。逆に武芸だけをやっても身につくのは技、学問に励んでも手に入るのは知、魔術を解き明かしても分かるのは術だけなのだから、徳は別に捜し求める必要がある。
「シャーリー殿、そのような物を本当に受け入れている者がいるのですか?」
「残念ながら、国を飲み込む勢いで広がっています」
異国の宴で一人迷った私に声をかけた、懐深い女性は険しい顔で答えた。
「申し訳ございません、宴の席で聞くようなことではございませんでした」
「いえ、そのようなことは。国内では一般的な物です、それに抗う私の方が異端なのでしょう。どうぞ、お気遣いなく」
「異端・・ですか、私は貴女のお考えが分からなくもありません。確かに考えてみれば、アレは少々不気味です。魔術を使うにしろ“祝福”に偏り、“呪い”には触れていない部分も異国人の私からしてみれば不思議でなりません。
“呪い”は国を治める者にとって必須のはずです」
「お恥かしい限りです、ですが“呪い”の支持は弱く、藁人形すら流通が滞るしまつで」
「藁人形の流通が滞る!!・・・俄には信じられないことですわ、そのようなことがあれば農民の収入は減り、職人の仕事はなくなり、商人は商いができず、貴族も領地を治められなくなってしまうはず。
そんなことが続けば国が傾いてしまいます」
藁人形はそれ自体には大きな経済効果がないものの、材料となる藁の質が作物の質を保証し、人形の出来は職人の腕を保障し、正しい藁人形は商人の信頼性を表す。藁人形が社会になければ、人の世に安定はなく、国を正しく治めることはできない。
「まったくです、今では民の藁人形離れが進み、文化の継承すら危ういほどです」
「シャーリー殿、それは・・・
失礼ながら、もしもよければ、藁人形の交換に応じていただけませんでしょうか?藁人形を通して貴女をいう人をもっと知りたいと思います」
失礼ではあるが、見定めさせてもらう。今の話をした人物がどんな人間なのか、私はその言葉を信じるべきか、どうか。
「こちらこそ、どうかよろしくお願いします」
互いに手作りの藁人形を取り出し、両手で丁寧に差出合う。大陸共通の藁人形交換の作法だ。
「まあ、新年のパーティーにあんな不気味な物を取り出して、不吉で仕方が無いわ」
「気味が悪いわ、なんなのかしらアレは」
「こんな所に下賎な娼婦がいるなんて・・・わたくし、なんだか気分が悪いわ」
ちょうど私達が双方の合意のもと、藁人形を交換しようとしたとき、近くにいた女達が突然喚きだした。
「シュェリー殿、一度逃げましょう・・・“祝福平和論者”です」
藁人形を持つシャーリーは小声で警告した。
「・・・分かりました」
神聖なる儀式を邪魔され、一言いってやりたい所だが、ここは彼女の忠告に従っておこう。
「「ちょっと待った!」」
妨害に現れた三人に引き続き、更に二人別々の方向から同時に声を上げてきた。
「藁人形とは作り手の魂の投影」
男のように低い声のドレス姿のご婦人が現れた。
「それを交換し合う藁人形の交換とは魂を預けあうことに等しい」
周囲の人間よりも明らかに身体の大きな、大柄な女性が現れた。
「それこそ神聖なる儀式!」
「何人たりとも邪魔することは許されん!」
突然現れた二人には凄まじい迫力があった。多分並の男に迫られるよりも、こっちの方が遥かに怖い。
妨害しようとした三人組も、逃げるように何処かに消えていった。
「さあ、そこのお二人」
「藁人形の交換を」
「シュェリー殿、よろしいでしょうか?」
シャーリーは再び藁人形を両手で差し出す。
「こちらこそ、ご丁寧にありがとうございます」
シュェリーも同様に藁人形を両手で差し出した。
そして二人の魂の投影は互いの手を離れ、互いに届けられた。