18 「分からん」
新年を祝う無礼講の夜会は日没から始まり、夜明けまで続く。
この日ばかりは通例や暗黙のマナーも一部無視して祝いに興じることが許されているが、それでも最初から最後までパーティーに参加する者はいない。
フット家は普段なら夜更けに会場を訪れ、夜明け前には帰っていた。しかし、今日は深夜晩くから参加する運びとなった。昼過ぎから夜にかけて仮眠を十分にとり、深夜起床し、徹夜に備えた上での参加だ。
深夜晩く、機械仕掛けの時計があれば、深夜二時や三時ほどの時刻、王宮のパーティー会場はおおいに盛り上がりを見せていた。
庭園のいたる所に松明や料理の並んだテーブルが設けられ、生垣や花壇で仕切られた空間を“部屋”をして使い、中央の噴水は水の代わりに火を噴いた。招待客はそれぞれ、落ち着く先を見つけ、思い思いの方法でときを過ごしていた。中にはすでに疲れてつぶれている者もいる。
「ニコール、今夜はよろしくね」
「うん、お姉ちゃん。ボクに任せて」
成長期直前のニコールと私の間には、まだそれなりに身長差がある。それでもニコールは私の手を引き、混沌とした新年の夜会へと誘う。
新年の夜会は本来、未成年が参加するにはあまり適していない。招待された家の子供は参加こそ許されているが、大抵は夜が更ける前に退場してしまう。自分やニコールのように無法地帯と化した夜明け前の時間帯に参加する者は稀だ。
『ニコール・フレイ様、シャーリー・フット様、ご来場―!!』
浄も不浄も交じり合う、欲に塗れた貴族社会に幼さを残した少年と絶望の淵に立たされた少女が始めて一歩を踏み出した瞬間だ。
この会場にはすでに敵勢力が侵入している。打ち合わせでは、会場に入ったら事前に決めていた場所に向うことになっている。
生垣で囲まれた庭園内の“部屋”の内の一つをこちら側で押えているはずだ。まずはそこまで向かう。
こちらに害意がある者、酔いの勢いで噛み付こうとする者に注意しながら“部屋”を探す。尤も、会場には警備の衛兵もいるので何か騒動があることはない。
「お姉ちゃん、新年の夜会には来たことある?ボクは今日が初めてなんだ」
ニコールが呟く。
「私も初めてよ、療養の後はすぐに学院に入ったから。夜会とはあまり縁がなくて」
シャーリーは貴族らしいと言えば、らしいが、らしくないと言えば、らしくない人生をおくってきた。怪我の療養がもとで貴族社会から距離を置き、学院に入ったところで孤立してしまった。結果、シャーリー本人は社交界とまったく縁がなかった。学院を出てから夜会や茶会に参加することで必要最低限のことは頭に叩き込んできた。
「そうなんだ、ねえ、ボク達ってどう見えるかな」
「さて、どう見えるかしら?・・・姉弟連れかしら」
「姉弟?」
「私達はお互い前国王の曾孫、血は繋がってるわ」
「でも、お姉ちゃん、ボク達姉弟じゃないし、あんまり似てないよ」
反論するニコールだが、やはり自分達は似ていると思う。
“容姿端麗”この言葉が似合うニコールは自分と同じ碧眼と銀髪を持ち、顔立ちも似て、どこか優しげだ。お互い、前国王の特徴を濃く受け継いだ血族であることに変わるはない。
(本当はアリスもまた、私達と同じ血族なのに・・・)
「ニコール、後で大事なことを教えてあげましょう」
今の内に教えてあげられることは全て、教えてあげたい。
「何、お姉ちゃん」
「この世には苦しみがある、ニコールはそれをよく知っていますね」
「・・・うん」
ニコールは“はりぼての公爵”の嫡男に生まれ、生きることの苦しさを見た。生まれつき弱い身体は重い病気の苦しみを知り、死に対する恐怖をすら心に刻んだ。幼い身体はすでに苦に蝕まれている。
よく、裕福な家に生まれた子供は貧しさを知らないと説教をされる。“そのお金を一人で使って、いったいそれだけあればどれだけ多くの人が助かったか、もったいない”そう、罵る馬鹿を極めた愚者はいるが、あえて私は言いたい、“誰にでも苦はついて回る”と。
そう、生まれつき元気な子はいる。その一方で生まれつき病に蝕まれ、金と技術の力で強制的に生きながらえさせられる子供もいるのだ。こんな小さな身体で、本来なら死んでいる身体で、生きなくてはならない。
そしてどれだけ苦しいだろうか、生まれたときからすでに見ず知らずの人間の何万もの命を背負うことが。
幼い身で修羅すら背負いかねない、この境遇がどれだけ辛いことか。
これがどれだけ苦しいことか・・・分かっていっているのだろうか、本当に。
(苦しいわよ、夢も希望も砕け、痛みが永遠のように続く。心も身体も磨り減るのに、死はやってこない・・・終わりすらない苦境は地獄の刑罰そのものなのに。)
「ニコール、誰にでも苦しいときはあります。それは誰もが同じこと・・・私は貴方にそれを教えておきたい」
尤も、どうすれば救われるかはまだ謎だが。
“南無阿弥陀仏”そう言って、苦しみを他人任せにした自分には、人間ごときがどうすれば救われるか分からない。ただ、誰もが等しく平等に苦しむ。否定する者は他者の苦しみが見えていないだけ。それだけの知のために自分は生涯を捧げた。
こちら側が押えた“部屋”の中、自分とニコールは周囲の喧騒とは一歩離れていられた。
酔っ払いの奇声や下卑た笑い声、それらは聞こえてくるが、元凶が目に見えることはない。そこにあって、そこにない。言葉にしてしまえば、不思議な距離感だ。
私もニコールも、今は自分達の所属する派閥に守られている。お互い二親は勢力争いに熱を上げている。
「ニコール、貴方は・・・いいえ、私達は少し苦しみ過ぎました。だからこそ、他人を怨み過ぎ、ときに呪うこともあるでしょう」
シャーリーですら、アリスを憎むあまり、彼女を呪った。そして、ニコールも条件さえ整えばいずれは復讐に囚われる。
私はそれを見たくない。人を呪えば今度は怨みを残し、呪いを産む。そしてまた新しい呪いが産まれ、それを繰り返す。
「ニコール、今なら誰も見ていないから。今まで辛いと思ったことは全部話してもいいのよ」
これまで、そしてこれからも苦しい時を生きなくてはいけないニコールに自分が今、せめてしてあげられることだ。
「おねえちゃん・・・ママとパパが・・・ボクにっ・・でも、なにをしたらいいのか、分からないよっ・・・ボク、どうしたらいいの」
「分かっているから、お姉ちゃんは分かっているから」
今だけ、シャーリー・フットとしてではなく、療養中に一緒に遊んだ、“お姉ちゃん”でいてあげられる。これ以上、私がこの子にしてあげられることがあるだろうか?
私はこの先、ニコールがどうすればいいのか、分からない。どうすれば救われ、どうすればその重荷から解放されるのか、私には分からない。だが、ニコールに“背負わせてしまっている”ことは分かっている。
両腕で震えるニコールの身体を抱きかかえ、この身で包んであげることしか、今の私にはできない。
シャーリーも・・・きっと、あの雪の中で震えていたのだろう。一人で、ずっと・・・
「ニコール、まだ時間もありますから、座禅をしてみましょうか」
「ザゼン?」
「はい、ザゼンです。只座る以外なにもしないことです」
只なにも考えずにボケ~って座るだけ。そこから得る物はなにもない、そこから失う物は時間ぐらいのもの。なんの意味もなさず、何かを教えてくれることもない。ただ、自分で自分のことを日和見するだけの遠回りな行為だ。