16 明確な目的
アリスを招待した夜会でようやくフット家に必要な情報が全て揃った。後は具体的な目標とそれを実現するための方法を考えるだけだ。
なにをするにしても、分かりやすい目標がなければ話にならない。人はただ、漠然と歩くよりも、目標に向って歩いたほうが成功率は増すからだ。
私の目標はフット家の存続。ただし、そのためになにをすべきかはまだ分からない。正確には決めていない。
ニコールに王位を取らせて、手柄を立てるのも良い。
アリスを国王に引渡し、功績を残す手もある。
しかし、そのどちらにもリスクが存在する。
前者を選んだ場合、フット家はニコールの生家であるフレイ家と交渉し、こちらに引き入れる必要がある。そしてその後、政戦を勝ち抜き、まだ成人前のニコールを国王に添えなくてはいけない。
後者を選べば、アリスが権力の中枢に立つと同時に、フット家最大の敵、マティルダが力を手にする。なにより、国が“祝福平和論者”に乗っ取られるようなものだ。
そうなると、フット家は前者を選ばなくてはならない。
ここで重要なのは、どうやってフレイ家に立ち上がってもらうかだ。この計画にはリスクが有り過ぎる、たとえ得る物が大きくとも、回避する価値も考えられるほどの大事であることに変わりはない。
フレイ家が断れば、その瞬間でフット家の命運は尽きたも同然となる。
我々の最大の敵、マティルダが率いる“祝福平和論者”はそれだけ強い。それこそ、フレイ家が向こう側についてもおかしくないほどに。
“祝福平和論”とはそもそも、名君と呼ばれる、前国王の政策、産業祝福から派生した考え方だ。
前国王は“祝福”の研究を魔術師達に優先的にさせ、“祝福”の力で農業や工業の効率を大幅に向上させた。これにより、国内の食料事情や生産率が改善され、国内に大きな富を産んだ。その試みは更に広まり、今では国中で“祝福”が国民の豊かな生活を支えている。
“祝福平和論”は更に踏み込み、“祝福”の更なる研究を通して人々の倫理や道徳を向上させることで、世に生じるあらゆる問題を全て無くして行くための哲学だ。
話だけ聞けば、笑えるようなカルト団体だがヤツ等は本質を突いている。つまる所、一般人の間に“呪い”は必要ない。使うこともなければ、どのような形であれ、その穏健に預かることもない。むしろ、暮しの役に立つ“祝福”こそ、最も身近な魔術なのだ。
“祝福”を持ってすれば、人々はそれまで以上に力を発揮できる。病気や怪我も早く治るし、作物もより元気に育つ。
一方、“呪い”は戦を始とした争いの中でしかその力は発揮されない。自然、平和を望む民には“呪い”よりも“祝福”こそ、魔術の王道であり、自分達に味方してくれる存在に見えてくる。よって、民意はいつでも聞こえの良い“祝福”に偏ってしまう。子供の絵本にすら祝福使いは善、呪使いは悪と断定しているほどだ。
“祝福平和論”はそんな“祝福”を求める人々の需要に乗っかることのできるポテンシャルを秘めている。
ただ、面白い話もある。“祝福”を全面的に支持した前国王の時代に繁栄したのは“祝福”ではなく“呪い”だったことだ。“呪い”は争いの中でこそ真価を発揮する。前国王の時代は力を持った者で溢れ、そんな人々が互いに互いを陥れあうために呪使いを抱えた。それは政戦が耐えることのない王宮のみならず、地方、はたまた一般にも広がった。
そう言えば、お母様がお父様と出会ったのもこの時代だ。
権力争いに疎い孫を見かねた前国王がお父様に優秀な呪使いを紹介して、身を守らせたのが始まりだったらしい。
光が強ければ、影も濃くなる。この言葉通り、“祝福”を全面的に押せば、おのずと裏の需要が生じてくる。
“祝福平和論”が天下を盗ったとき、この世はどうなるのか、それはまるで予想がつかない。
ただ、個人的に最も危惧しているのは連中が馬鹿ではないことだ。
情報を見る限り、論者達は一度敗れている。それから長い時を経てから再び表に出てきたということは勝算があってのことだろう。“祝福平和論”を追いやった前国王こそ、この世にはいないものの、当時の人間はまだいる。それも今まで以上に力をつけて。それを理解した上で、また挑んできた。
下手をすると、なにかとんでもないことをしでかしそうだ。
日本人にとって最も馴染のあるカルト団体が起こした事件と言えば、国家転覆を目論んだ大虐殺などが上がる。
それに匹敵するなにか、あるいはそれ以上のことをしてくるかもしれない。
「必要とあらば、手荒なことしなきゃいけないわね」
まあ、覚悟は決めておきましょう。
幸いこの世界は元いた世界ほど五月蝿くない。
“論者”全員とっつかまえて、纏めて市中引き回しの上、広場で獄門晒し首にしてやるわ。
いや、磔の上、生藁人形の刑も悪くないわね(マジ)。