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騎士など、いない

         ※


「んで、なんだ、わざわざ雨の中、旨い肴をもって旧交を温めにきたってわけじゃないんだろう?」

「……鋭いもんだ。さすがは現役:スパイラルベインってとこか」

「公にできる話なら、晴れた日にスパイラルベイン本営に出向いてるだろ?」

 キャビン付きの馬車も傘も、すべて貴族のものだった時代だ。

 たかが雨とはいえ、庶民は雨中を出歩くような真似を嫌った。道は舗装もされておらず、雨を吸えばぬかるみ、泥水をはねあげる。好き好んで泥まみれになるバカはいない。洗濯も脱水も干すのもすべて人力だからだ。泥汚れを落とすのだって一苦労だ。

 天候が人々の営みに大きく関与していた時代なのである。


「まいった、降参だ。泥をはくよ」

 つい、とグレコの目がメルロを見た。できたら、彼女には聞かせたくない、というニュアンスがネロにも伝わった。

「メルロなら大丈夫だ。いちばん信頼のおける、オレのパートナーだ」

 はっきりとネロは断言した。

 メルロの表情はその一言で引き締められたが、逆に瞳が光を帯びた。瞳孔が見開かれ生き生きと光を放っている。喜んでいるのだ。

「なるほど……奥さんも仕事人ってわけだ。じゃあ、まずこれを見てもらおうか」

 グレコは頷き、テーブルの上を拭いてから包みを取り出した。

 濡れないよう厳重に包まれたそれは、どうやら手紙の束らしい。

 包みが開けられるとなんともいえず、よい香りがした。

「手紙……だな。拝見しても?」

「もちろん。そのために持ってきた」

「ルシルベルカ・アレクタール……ルシル……貴族令嬢か?」


 グレコの持ち込んだ手紙のほとんどは、上等の羊皮紙に記された彼女の筆跡だった。

 ルシルベルカの名前に、ネロは頭のどこかが、チリチリとするのを感じた。


「恋文……いっ、おまっ、これっ!」

 数行、本文に目を走らせたネロが慌ててそれをテーブルに投げ出した。

 本文を見て、その感覚がなんだったかわかった。ネロはこの手紙を知っている。

 

「せつせつとした文章じゃな」

 すばやく目を通しながら、メルロが感想した。

「達筆で文章も練れておるが……この娘、十代じゃろう?」

「よく……わかりますね?」

 メルロの口調の変化に戸惑いながらも、その分析力にグレコは感心して見せた。

「文通の相手に、納得できない政略結婚への想いをぶつける口調が夢見がちじゃ。相手の男――どうやら騎士らしいが、シュマイゼルというのか――にさらって欲しい、という願望が透けて見える。ほんに夢見がちな子じゃ」

 だが、笑う気にはなれんの。メルロは目を細めて感想した。

「この気持ち、わかりすぎるほどわかる」


 いっぽうで、ネロはうめいていた。

「騎士:シュマイゼル……」

「ん、どうした。おまえさま?」

 ネロの額に脂汗が浮いていた。ネロはこの娘・ルシルの文通相手、騎士:シュマイゼルをよく知っていた。

「じゃあ、メルロさん、これはどうかな」


 グレコが神妙な顔をして決定的な一通をメルロに手渡すにおよんで、ネロの顔色がはっきりと変わった。

「まてっ、それまてっ、メルロッ」

 ひらり、とツバメのようにメルロが身を翻し、ネロは床板に落下した。

「んー、なになに、ラベンダーの君へ――ほう、ほうほう、ほうほうほうほう、ほう!」


 それはシュマイゼルがルシルへと宛てた手紙の――草稿だった。

 ぽっ、とメルロの頬が朱に染まった。


「一度で良いからこんな手紙をもらいたいのっ!」

 きらっきらっきらっ、と目を輝かせうっとりと溜息をついて手紙を胸に押し当てながら、メルロは夢見る乙女になっていた。

「達筆で文章構成も素晴らしいが――なにより、この手紙には、まごころがある。それがはっきりと伝わってくるぞ。この令嬢:ルシルベルカとやらがさらわれたい、と想うのも無理はあるまいな。騎士:シュマイゼル、愛いヤツ! 会ってみたい!」


 ははは、とグレコが乾いた笑いで応じ、ネロは倒れ込んだ床板から立てずにいた。


「なんじゃ? ネロ、打ちどころが悪かったのか?」

 そっとメルロがしゃがみ込む。ネロはそのスカートの中身を横目で見上げながら放心していた。だが……。

「会うのは無理ですが、手紙はもらえますよ。いつでも」

 グレコがそう言うにおよんで、がばり、と起き上がった。

「な? 騎士:シュマイゼル?」

 ばりばりばり、とネロは両手で頭を掻きむしった。


「えっ、じゃあ、この手紙って、おまえさま――ネロが書いたのかえ?」

 ことを要約すればメルロの問いかけに集約される。

 騎士:シュマイゼルの手紙――つまり、ラブレターの代筆。それは従士時代、ネロがもっていたふたつのアルバイト口のうちのひとつだった。

 あまり恋文の得意ではない騎士の恋路のお手伝いを、ネロは引き受けたのだ。

 仲介はこのグレコだった。

 グレコが間でスケジュール調整や構成を練り、騎士:シュマイゼルがまとめた手紙の内容をネロに手渡す。その要約や、ときには相手からの返事の手紙を貸してもらい、ネロは一週間も頭をひねって恋文を作るのだ。だいたい一月に一回、多ければ二回、そのたびにけっこうな額がネロの懐に入った。一晩か二晩、まともで清潔な娼館で過ごすことができる金額だと言えば、だいたいものの目安になるだろうか。

 手紙一通、代筆の値段としてはけっこう破格だ。

 

「このシュマイゼルさまってひとは、文字も達者で要約も非常にうまいのに、どうして自分で手紙をお書きにならないんだろうな」

「なんでも詩才がないんだそうだ。実直ではあっても、こればかりは、な」

「その――実直な人柄を伝えればいいんじゃねえかな」

「そうはいかん、いかんのが貴族社会さ。だからこそ、ボクたち『転がる詩人の会』に依頼がきたんだ」

「グレコ――オマエも詩才ないだろうが」

「だから、ボクは仲介役。仲を取り持つのが仕事さ」

 おそらく半分かそこら、仲介役として自分の懐に入れているだろうグレコを軽くにらみ、ネロは笑ったものだ。シュマイゼルはルシルからの返信内容いかんではボーナスを支払ってくれた。おかげで学費のやりくりに余裕ができた。

 また、ネロは自身の詩才というものに、このとき初めて気がついた。

 長兄であり、劇作家への夢破れた男――ダリル兄には申し訳なかったが詩の女神が微笑んだのは、そんな夢など見たこともない末弟:ネロのほうだったのだ。

 この奇妙なやりとりはネロが除隊になるまでの二年間、続けられた。


 ときどき、相手であるルシルの人となりをうかがうため、実際の手紙を借り受けたことがあるのだが――初々しい娘の感性が、そこにはよく現われていた。ごくかるく香水がふってあるのだが、なんともその香気の加減がよく、なるほど人品・人格というものは、こういうところにも現われるのだなあ、とネロは感心したものだ。

 そして、ルシルはときおり従士隊の夜会訓練に顔を出すようになる。

 ダンスや社交界に馴れるための科目ではあったが、飽和した暮らしに退屈している貴族の次女、三女が物珍しさでやってきたり、それでもすこしは有望な貴族子弟に従士のうちから唾をつけたり、つけられたりするのが恒例ではあったのだ。

 

 だから、まあ、手紙の上での幻想と現実を混同しないようにしなければならない、とネロは戒め、そこそこうまくやっていたつもりだった。

 ただ、その晩はいけなかった。

 例のニキビ面の貴族子弟:ガーミッシュがその徒党をゾロゾロとひきつれ、にらみを効かせていた。庶子と貴族女性たちが接触できぬよう執拗に周囲を探り妨害してたのだ。

 

 やれやれ、とネロは溜息をつき、ゴブレットにサングリアをたっぷりと注ぎ入れると、焼けたソーセージを一本失敬し、暗いテラスへと退散した。

「あの……もしかして……シュマイゼルさま?」

 出し抜けにそんな声がしたのは、ネロがソーセージを半分食べ、一杯目のサングリアを飲み干しかけた時だった。


 振り返ると、可憐な娘がいた。


 すこし時代遅れの夜会服を着ていた。たぶん、母親か、祖母のものを手直ししたのだろう。この時代、古着やおさがりというのは衣類として一般的だったから、それほど驚くようなことでもないが、貴族令嬢が社交界へ足を踏み入れる練習として、その第一歩に流行遅れのドレスは、気後れの原因を作ってしまったかもしれない。

 だが、清楚な雰囲気を持つその娘には、古風なドレスがよく似合っていた。

 ふわり、とあの香りがした。


「ルシル……ルシルベルカ・アレクタール?」

 酔いも手伝ったのだろう、ネロは思わず娘の名を呼んでいた。

「サー・シュマイゼル?」

 まさか、ほんとうに、とルシルが口元を押さえた。

「いやっ、ちがう、ちがいます。わたしはネロ・ダーヴォラ。ただの従士です」

「ただの従士さまが、どうしてわたくしのお名前を?」

「あー、いえ、サー・シュマイゼルはわたしたちの――その戦技教官で、あ、あとその礼儀作法と文学のほうも、ええ、それで、個人的に親しく、ルシルベルカ嬢のお話も、そのときにうかがいまして……ごくごく、わずかですが……ああ、想像どおり、可憐な方だ!」

 たぶん、そのときネロは完全にパニクっていたのだと思う。

「まあ、そうでしたの」

 すこし残念そうなルシルだったが、個人的な知己と聞き、シュマイゼルの話をネロにせがんだ。

 焦ったネロは、ネロ自身が創作したシュマイゼルのキャラクターをルシルに話して聞かせた。

 つまり、要約すれば、

「飛び抜けた美男ではないが、温厚で情に篤く、信念と勇気を合わせ持つ。敬虔なイクス教者であり、また文学にも通じており、恥じるところのない清冽の騎士である」と。

「わたしが思い描いてきたシュマイゼルさまとまったく同じです」

 ルシルは小さく微笑んでネロに礼を言った。

「本人のいらっしゃらぬところで、知人の口からこのように称賛されることこそ、まことの騎士であらせられる証拠」

 気がつくと、かなり熱弁を振るっていたのだろう。

 ネロの語りに、ルシルは引き込まれていた。

「でも、ネロさまも、さすがはシュマイゼルさまのご薫陶を受けられていらっしゃる方ですのね。話しぶりが、言葉の端々が、シュマイゼルさまのよう。良い影響を受けられていますのね。きっと、あなたも、立派な騎士になられますわ」

 年下の可憐な娘に持ち上げられ、照れかけたネロだったが、ルシルの洞察力の鋭さには舌を巻いた。

「今日はお話できてうれしかったですわ」

「あっ、あのっ、どうか今日のお話は、わたしと話したことはサー・シュマイゼルには内密に、どうか、どうか!」

 ネロは慌ててルシルに言い募った。ルシルの洞察力が恐くなったのだ。

 

 ネロがルシルへのラブレターを代筆していることをシュマイゼルは知らないはずだ。

 グレコは抜け目なく、そのあたりをはぐらかしていたはずだ。

 貴族が庶子に代筆を頼んだなどと、名折れもいいところだからだ。

 だが、ネロのそれをルシルは良いほうに解釈した。


「お若いのに謙遜の徳まで備えていらっしゃるのですね。陰口ならともかく、ネロさまはシュマイゼルさまを、称賛なさっておいででしたのに?」

「サー・シュマイゼルは陰口よりも、過度の讃美をお嫌いになられる方なのです。わたしがルシルさまにそんなことを申し上げたことが、わかったら……軽蔑されてしまう」

 ああ、とルシルはシュマイゼルの人柄に打たれ、さらに感激の度を増して、ネロに沈黙を約束した。

「でも……わたくし、ますます、ますますお会いしたくなりました」

 頬を恋に染めて、うつむくルシルに、ネロは不思議な胸の高鳴りを憶えたものだ。


         ※


「なんで、よりにもよっていまごろ、こんなもん持ち出してくるんだよ!」

 焦りまくるネロに、しかしグレコは冷静に言った。

「騎士:シュマイゼルが戦死したからだ」

「! いや、そりゃあ、事件だが……しかたあるまい。戦士階級にそれはつきものだ」

「ボクはそれをルシルに報せにいった。もう、二月も前のことだ。遺書を携えて」

 グレコは三通目の手紙をネロに差し出した。


 くしゃくしゃにされたのを、もう一度伸ばし直したのであろうそれを、ネロは受け取り、

「見て……いいのか」と訊いた。

 聖戦で戦って死んだ騎士の遺言を、見も知らぬオレなどが覗いていいものか、と。

「もちろんだ、ネロ。そのためにボクは今日、こうして来たんだ」


 ネロは頷いて、目を通した。ぶるり、と読み進めるネロの手が震え、二度、三度とグレコを見た。読み終えたネロの口から、長い、長い溜息が漏れた。

 それから、ようやく、という感じで言った。


「……オレに代筆を頼んでいたのは、騎士:シュマイゼルなどではなかったんだな」


 こくり、とグレコは頷いた。

 それがすべてを物語っていた。

「うかつだったよ。すっかり騙された。思えば、それらしい兆候は、いくらだってあったのにな。やられたよ。裏をとるべきだったんだ」

 ばさり、と羊皮紙の束をネロは卓上へ放り出した。


「なんだよ……ガーミッシュ――騎士:シュマイゼルは、おまえだったのか」


 そこには謝罪があった。死の間際か、それ以前に書かれたものか、自らの罪を告白するガーミッシュの切実な願いが書き記されていた。震える文字。ルシルへの詫び状。それからルシルのしあわせを願っていること。従軍給金と貴族階級の戦没者見舞金、それに私財のすべてをルシルへ送ること。しっかりと押された家紋の判とサインが実効を保証する。その総額は、うまくすれば小規模な荘園と富農の家を贖える金額だ。


「馬鹿なヤツだ。どうして……どうして、正々堂々、告白しなかったんだ」

「ガーミッシュとネロ、オマエらは同い年だったな? じゃあ、知ってるか? オマエが従士隊に入団してから、ガーミッシュは、一度もオマエを昇格試験の成績で抜けてないんだ。アイツは十五のときに入団して、オマエは十八。三年間もアドバンテージがあるのに、だ。平民出に一度も勝てない。そんなコンプレックスがあって、アイツは自分を自分だと名乗れなかったんだ」

「なんだよ、それ。わからねえよ。だいたい成績は非公開だろ?」

「蛇の道は蛇。いくらだって方法はある。たとえばオマエ、クビになる直前の試験――朱の柊賞で実は、選抜をかなり優秀な成績で抜けていたのしってるか?」

「嘘はやめろ。落ちてた――落ちてたさ。そうでなけりゃ――納得できるかよ」

「いいや、そうじゃない。落ちていなかったからこそ、オマエは除隊処分になったんだ。騎士にあるまじき醜態、ってな。優れているからこそ、より厳しくってわけさ。だが、ガーミッシュはかすりもしてなかった。

 アイツのことわからない、って言ったな、ネロ?

 いいだろう、わかるようにしてやるよ。

 アイツは、ガーミッシュは、貴族なのに、同い年なのに、学業でも戦技でも《スピンドル》でも庶子のオマエに負けた。騎士でもなく、従士としても優れていたとは言えなかった。

 そして、なにより――恋をした女の心を捕らえていたのは、自分の容姿でも家柄でも人格でもなく、オマエの言葉、オマエの渾身の恋文だったんだ!」


 そんな自分を、ルシルに――惚れた女にさらせるか?

 ぐびり、とグレコが杯をあおった。ごくり、とネロも飲んだ。

 互いが互いの杯に酒を満たしあった。

 それから、また大きく飲んだ。

 

「死んだヤツにしてやれることはなにもない!」

 杯を叩きつけるようにテーブルに置いてネロが言った。

「ああ、そうだ。だが」

 グレコが言った。

 だが、とネロも言った。

「だが、ガーミッシュが――いや、結果としてオレたち三人が騙したルシルって娘のことは別だ」

 傷ついただろうな、とネロは言った。己の胸ぐらを掴んで。夜会で一度だけ会った、あの純真そうな娘を思い出して。

 ネロは自分を責めていたのだ。


 だから、グレコの言葉は、そんなネロの虚をついた。


「そのことだが……否定されたよ。騎士:シュマイゼルは死んでなどいない、ってな」

「そりゃそうだろうとも。信じたくもないだろうさ」

「そうじゃない。彼女は――ルシルはオレにこの遺言状を叩き返して――いままで自分宛てに送られたシュマイゼルの書簡を、いちいち示しながら言ったんだ」


 ――あなたたちは成りすましね、と。


「え?」とネロは耳を疑った。


「お父様か、お母さまか、おじい様、そんなところに頼まれたのでしょう? 残念ですけど、わたくしにはわかりますの。おかしいとは思っておりました。

 半年あまり前から、十字軍出征前後から、いただく文が違っておりましたもの。それはわたくし、戦への昂ぶりや、戦場での体験がそうされるものだとばかり思っておりました。

 けれども、いま、この遺言状なる物を見て、はっきりいたしました。

 筆跡は同じようでも、綴られている“心”が違います。視ていらっしゃる世界が違います。そして込められた真情が――ここから向こうのお手紙は(と、さっと卓上に線を引いて)――別人の手なる物です。

 ほんとうのシュマイゼルさまは、どこにおわしますの!」

 毅然とした態度でグレコを睨みつけ、ルシルは言い放ったのだという。

 

「たしかに、の」

 遺言状を読み終え、それを置きながらそれまで沈黙を貫いていたメルロが発言した。

「残念じゃが、こればかりはどうしようもない。文章に賭けた想いの差で負けたとしか言いようがなかろう。命を懸けた遺言の評価としては――やりきれないだろうがの」

 同じく女性であるメルロの言葉には真実だけが持ちえる重さがあった。

 呆然とするネロの手にメルロが己のそれを添えた。


「けど……なあ、オレがクビになったあと……このアルバイトの口って」

「ボクが……やってた。はは、恋をした女の子ってすごいんだな。完璧に、完全に見抜かれてたよ。彼女がより分けた手紙には、一通だって間違いがなかった」

 筆跡も、文体も、リズムも完璧にコピーしたはずなのに。

「“好き”ってスゲエ《ちから》なんだな」

 いたたまれず、ネロは訊いた。

「それで、いま彼女、ルシルはどうしてる?」

「もちろん、ちょくちょく様子を窺っていた。はっきり言って責任を感じてさ。それにガーミッシュが遺した金の受取人は彼女になっているんだ。友人の――まあ、あんまり良い友人じゃなかったけどさ――遺した金をネコババするほど、ボクも悪どくはなれない」

 なんどか日をあらため、訪ねてみたけど、会ってもらえなかったよ。グレコは言った。

「それでさ。ガーミッシュの遺品整理のときに預かったルシルの過去の手紙をいまさらながら、読み返してみたわけ。それでネロを頼ること思いついたんだ。ルシルって娘は望まない政略結婚に嫌気がさしてたんだな。せっぱ詰まって、追い詰められて、それで騎士:シュマイゼルに最後の希望を賭けたんだ」


 だが、その騎士:シュマイゼルはもういない。

 現在も、未来も、過去にさえ、どこにも。本当は、最初から……。

 胃に鉛を詰められたような気分にネロはなった。

 知らなかったこととはいえ、その娘の真摯な願いを自分が玩んでいた――銀貨に替えていたことに対して、罪悪感があった。

 

「オレにできることはあるのかな」

 ネロは、損得抜きでルシルのためになにかしてやろう、いやしなければならないという気なっていた。

「なければ――来なかっただろうな」

 グレコが言い、ネロの顔をみた。

 

 最後の手紙が、ネロの眼前に突きつけられたのは、その時だった。

       




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