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アントリオン

         ※

         

「わたしがこの技術——すなわち“義識ぎしき”について知りえたのもそれほど昔のことではない。ちょうど一年ほど前。わたしが法皇として即位し、人類を神の御許へと導くという使命に目覚めてからのこと」


 己が魔女:フレアに命じたように、人智を超越した存在として、いまネロが見舞われている状況に対しての説明をレダマリアは怠らない。


「それは神よりこの身に降りる“御言葉”を、いっさいの誤解なく伝達するための《ちから》」

「おおう、それは、つまり」

「いかにも。すなわち、わたし自身・・・・・を“義識ぎしき”へと焼きつける《ちから》なり」


 我こそは地上世界における神の代理人:法皇なれば、その言葉をいっさいの誤解なく伝達するとは、すなわち——わかるであろう? にこり、と輝かしき熾天使を思わせる存在:レダマリアは微笑む。

 魔女:フレアと物語の虜囚たるネロに。

 誤解なき伝達とは、つまり、他者にわたしを・・・・焼きつけることだ・・・・・・・・、と。

 

「我こそはすなわち神のご意志。神の御言葉そのものなれば」

「分身、いや、“分心”とでもお呼びすればよいのか、これは、おお。その場にいながらにして、彼方へと御心を届ける御業なり」


 そして、レダマリアの告白に感激で持って答えるのは魔女。

 ネロはただ、視線を……離せなくなって、凝視する。

 熾天使の微笑みに、マチルダを見出してしまって。

 それから、問うてしまう。

 どうしようもなくなって。


「焼きつける……焼きつけた?」

 ネロのうつろな問いに、しかし、レダマリアは応じる。

 そうだ、と。

「そうやってわたしは、この刺客を退けたのだよ。そうでなければ、かよわい乙女であるわたしに拝病騎士団に抗う《ちから》などあるはずがなかろう?」

 抜け殻のように背中を割ったマチルダの肉体を指さして。

 

「……退けた……とは?」

 それは、つまり、とネロは訊く。

 マチルダがどうなってしまったのかについて。

「“義識ぎしき”に、わたしを焼きつけ、我が物とした」

 返ってくるのは、冷然たる解答だ。

 自明の理であろう。恐ろしく理知的な瞳が、まっすぐネロを射貫いた。


「じゃあ……マチルダは……マチルダは、どうなったんだ」

「案ずるな、ネロ・ダーヴォラ。そなたと出逢ったとき、マチルダはすでにわたしだった。そなたの知るマチルダは、最初からわたしだったのだよ。

 もちろん、焼きつけを行うとはいっても肉体ハードの個性から影響は受ける。

 表出する人格が、無意識であれ深層であるわたしの影響下にあるように、わたしもまた肉体ハードの持つ個性から完全な意味で自由ではないのだ」

 

 だから、とはにかんだように笑い、小首をかしげて聖女:レダマリアは言うのだ。

「そなたに恋をしたのは、ほんとうだよ」

 まるで演劇のなかでの出来事のように。


「わたしだって、かつては乙女であったのだから、恋くらいする。聖別され、すでに天上にまします《御方》と同体となったとはいえ──いまだ肉体に囚われるわたしが、肉の記憶から自由であるはずもない」

 つかの間の恋に翻弄され、泣かされてしまった。

 最高のオペラを鑑賞しおえた少女の顔で、高鳴る胸を押さえるしぐさをして聖女:レダマリアが笑う。

「控え目にいっても──すばらしい体験だった」


 そのあまりの清々しさ、穢れない微笑みに、ネロは吐き気をおぼえた。

 成就したものであれ、叶わず破れたものであれ、それは恋の上澄みだけ、つまり甘く美しく切ない“”の部分だけを味わった者の感想だ。

 舞台と演劇が巧妙に排除した“醜悪・・”を無視した陶酔だ。

 望まぬままに人生の裏街道を歩み、汚泥にまみれながらもその先にある“かがやき”を信じ生きてきたネロにとって、その陶酔は純粋で美しいがゆえに、とうてい受け入れがたい生理的嫌悪をもよおすものだった。

 

「恋は──愛は、見せ物じゃないッ!」

「けれども、ヒトはその見せ物に心奪われ、涙する。ちがうか?」


 吐瀉物のかわりに腹の底から放たれたネロの言葉を、だが、あっさりと聖女は受け流す。

 

「そなたも、投影したではないか。わたしに、耽溺してくれたではないか。わたしが、心から演じたマチルダに」

 大女優の微笑みを広げて、聖女が言う。

「退屈せぬ日々。楽しい道中であったよ」


 この世は劇場だ、とレダマリアは言うのだ。

 人々はみな役者だと、そう言うのだ。

 けれども、と付け加える。

 

「けれども、そなた。ネロ・ダーヴォラ。どうかひとつだけ理解して欲しいのだ。わたしがマチルダの“義識ぎしき”に心を焼きつけ、ここにいるのは──そなたを護るためでもあるのだ、と」

「オレを……護る……?」

 ことのなりゆきがさっぱりわからず、ネロは阿呆のように聞き返す。

「いかにも」

「だれから」

「決まっておるではないか──魔女どもからさ」


 そうレダマリアが告げた瞬間だった。

 悲鳴にも似た軋みを上げて、鎖が巻き上げられた。

 それはネロの自由を奪っている手枷に繋がっている。

 突然加わった力に、ネロは勢いよく床面へと叩きつけられる。

 両手を拘束された姿勢では満足に受け身も取れず、したたかに身体を打ちつけてしまう。

 痛みに朦朧とするネロの頭上で聖女と魔女が言葉を交わす。

 

「経緯の説明はそれくらいでよろしいのでは?」

「せっかちなこと。これから、愛の告白だったのに」

「結論をお聞かせ願いたく」

「では拝病騎士団の諸君、そして、イダレイア半島方面におけるリンネル派・真の最高責任者:フレアミューゼル・ガルフランよ。わたしの返答は──これだ」


 前後へと広げた掌をかざし、レダマリアは返答を放った。

 ネロはそのまばゆい閃光のさなか、痛みと涙にかすむ瞳で、すべてを見る。

 それまで翼に護られていた聖女:レダマリアのすべてと、破壊を。

 

 分厚い異形の甲冑が左手から放たれた光条に射られて弾ける。

 マチルダの肉体は、その余波で吹き飛ばされた。

 両側を押さえ込まれ抜け殻のように床に伏していたそれが、ネロのいるほうへと床を転がってくる。

 ネロは思わず身体を被せるようにして、確保した。

 捨て置くことなどできない。

 温かく、やわらかなマチルダの身体。

 鼓動はありえないほど速かったが、生きていて──それなのに背中に開いた顎門からは、底なしの虚空がのぞけてしまう。

 

 そして、レダマリアの右手が同じく放った光条は、しかし、魔女:フレアの直前で円形・不可視の力場に防ぎ止められ飛散していた。

 

「これは……あまりに過激なご返事なのでは──法王聖下?」

「ほう。余の光輝を防ぐとは。なまはんかなことではない」

 レダマリアが自身を「余」と呼ぶのは、きっと、その意識が戦闘モードに切り替わったせいだ。

「法王聖下。これら旧世界の遺産について、研究を重ねてまいりましたわたくしどもの歴史、軽んじてはなりませぬ。これなるは《フォーカス》:〈アラキュレ〉。そして、ここは我らが崇める〈イデオトラ・サヴァス〉の聖堂でございますれば」

「なるほど。このような攻撃には、備えがある、と」

「いかにも。しかしまさか、“義識ぎしき”状態から直接、物理面に働きかける大技とは」

「なるほど。学ぶところが多い。そして、やはり余の決断は間違っていなかったと確信した」

「と、申されますと?」

「この施設は、我らエクストラム法王庁が召し上げる」

「ほう。では、我々、拝病騎士団は?」

「これまでの探求と研究、ごくろうであった。任を解く」

「すなわち?」

「消えてなくなれ」

 

 ゴッ、と直視できぬほどの光量が薄暗い聖堂を焼いた。

 前後に開いていた両手を前方へと集中させ、レダマリアがふたたび仕掛けたのだ。

 その光がこれまで隠されていた聖堂の姿を克明にする。

 

 馬蹄形劇場を思わせる施設の壁面を飾る病魔たちの像。

 天井からこちらを覗き込む〈イデオトラ・サヴァス〉。

 そして、そこに繋がる御柱こそは──マチルダの肉体を抱えたネロを、万力のような力で押さえ込み引きずり込もうとするすり鉢状の器官。

 まるで古代の邪教が生贄を捧げたという祭壇のように。

 ネロはとっさに理解する。

 これこそが、“義識ぎしき”を植え込むための装置なのだと。

 ここはそのための手術室であり、いま見上げる〈イデオトラ・サヴァス〉の異貌こそ、その孵卵器なのだ、と。

 

 蟻地獄アントリオンを思わせる、その穴。

 

 


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