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ブラヴィッシマ!

         ※


 ヒトの心のカタチを凌駕する──まさに埒外らちがい、己の理解の範疇はんちゅうを大きく逸脱し、もはや完全に狂っているとしか思えぬフレアの言葉に、ネロはようやくそれだけ問い返した。

 

 動揺し、狼狽したネロを覗き込むようにして視線を合わせ、拝病騎士──いや、もはや魔女と呼ぶべきだろうフレアミューゼルが、聞き分けのない、しかし、愛しくてしょうがない幼子を見るようにして、ネロに答えた。

「言葉の通り、ヒト以上の存在だ、という意味だよ。ネロ・ダーヴォラ」


 一区切りずつ、わかりやすく、聞き取りやすいよう言葉を紡ぎながらネロを見るフレアの微笑みに、ネロは、またしても感じてはならないはずの既視感を見出して、震えた。


「だから、それは、いったい、どういう……」

「あの娘──マチルダを愛しいと想うのか、ネロ?」


 この切迫した事態に、あきらかにそぐわない話題を振られて、ネロはめまいを覚えた。


「恋を、しているのか?」


 どうして、いま、このときに、そんなことを問うのか?

 話の脈絡がつかめず、唇が震える。

 けれども、そんなネロを見て、フレアはまるで愛の告白を受けた乙女のように頬を染め、恋の話に花を咲かせる娘たちのように、どこか高揚した声で言うのだ。


「どうなんだ?」


 答えてやれ──聞こえているのだから。

 そう促し、フレアはこんどはマチルダを見る。

 食い込む縄が身体を締めつけるのも構わず、身を捩ってマチルダが、その言葉に動きを止めた。


「どうした?」

「そ、そうだ。愛しい。恋を──している」


 いったいなにを試されているのかわからず、しかし、すこしでもマチルダの心の支えになれば、とネロは言葉にする。


「いいぞ。ネロ・ダーヴォラ──愛して、しまったのか?」


 なぜ、この女は、いま、そんなことを執拗に訊くのだ? 

 理解できないということが、意味不明であるということが、これほどの恐怖を呼び起こすものなのだということを、ネロはいまさらながら芯で思い知った。

 がくがくと全身を這い回る震えが、止まらない。

 心を、胸中を、頭蓋を侵食してくるそれを、止める術がない。

 たったひとつだけわかったことは、これがフレアたち拝病騎士団の世界、すなわち、狂気の領域なのだということだけだった。


「愛してしまったのか?」

 そう訊いているんだぞ? まったく責める口調ではなく、ただただ、親友の恋の秘密を知りたくてしかたない娘の表情で、もう一度フレアが訊いた。


「そ、そうだ」

 尋問や拷問の恐怖より、さらに深い、骨を食むような感覚に脅かされ、ネロは答える。

「契ったのか?」

 どうしてなのか。まったく理解できぬまま、ネロはただただ、その恐るべき感覚に突き動かされるように、コクコクと首を動かした。

 いっぽうで、捕らえられたマチルダが肌を羞恥に染めるのが見えた。

 伸ばされた首筋までが朱に染まる。

 その様子に、ふたりの関係を確信したであろうフレアは歓喜に頬をほころばせる。


「そうか! ああ、ああ、マチルダ、我らが妹よ! 祝わせてくれ! オマエの恋の成就を!」

 最高にすばらしいブラヴィッシマッ! 讃えるように言うフレアのセリフが、ネロの胸に突き立つ。

「……妹?」

「そうだ」

「ちがうっ、わたしは、貴様などッ、しらないッ!!」

 ほとんど同時に起こった問答と叫びに、フレアだけが得心した、という顔でうなずいた。

「説明しろッ!」

「訂正しろッ!」

 ネロとマチルダ双方が噛みつくように言い放つ。

 けれどもその剣幕など、そよ風ほどにも感じない様子でフレアは応じた。

 もちろん、そのつもりだよ、と。

「とうぜん説明するさ、同志」と笑ったのだ。

 

         ※


「簡単に言えば、洗脳だよ。わかるかい? 記憶を操作したり、考え方を偏向させたり、ときには人格を書き換える。そういう御業みわざなのさ」


 どこか憐れむような口ぶりで説明をはじめたフレアを、ネロは呆然と見つめた。

 御業みわざという言葉の登場が、動揺しきっているはずの心を、もっと強く、ありえないほどに揺さぶったからだ。


 その単語:御業みわざとは、すなわち“神”のわざを指し示す。


 模範的とは言いがたくともイクス教者であるネロにとって、その単語を用いて言い表してよい《ちから》とは天上のくににましますという“神”か、聖イクス、あるいは列聖された聖人たち──そして、その地上世界における代理人たる法皇聖下、その意志ともいえる聖騎士たちのみに許されたものだった。


「不敬なッ!! おまえたちが神と崇める病魔とその《ちから》など、並べて語ってよいものでは決してないッ!!」 

 ネロの思いをより雄弁に、そして言葉にして返したのは、やはり聖堂騎士であるマチルダだった。

 これは当然だろう。

 己の精神的支柱としての絶対的な基礎を成すイクスの教理を穢された、とマチルダは感じたのだ。

 聖堂騎士以前に、かつて彼女は“神の端女”との誓願を立てた尼僧でもあったのだから。


「どうも、誤解があるようだ、我が妹マイ・シスター──マチルデルニ・トレト。我々は、病魔の信奉者であると同時に、忠実な神の僕でもあるのだ。矛盾はないし、不敬でもない。そして、妹よ、オマエを洗脳し、作り替えたのは我々ではない、と言っているのだよ」

 だが、おそらく真の狂人との会話とは、こういうものなのであろう。

 マチルダの激高をよそに、ごく淡々と事実を述べる口調でフレアが続けた。


「なに……を、言っている?」

 そのあまりの冷静さに、マチルダも、ネロも思考停止に陥り、ただ、聞き返すしかできない。

「だから、説明する、といっているのだが……君たちは性急に過ぎるよ」


 困った、しかし、愛しくてどうしようもない子供たちだ。そんな様子で微笑み、フレアは話を戻した。


「つまり、いま、我々が目にするマチルデルニというあの可憐な娘は、正しい意味ではすでに本人ではない、ということさ」

「デタラメだッ!」

 本人ではないと揶揄やゆされたマチルダが噛みつく。当然だ。

 けれども、対するフレアの対応はいっそう冷ややかだ。

「デタラメ、繰り言、ねつ造。なんでもよろしい。そう思うなら、最後まで聞きたまへよ、君、マチルダ」

 さすがに聞き分けのない生徒に苛立ったのだろう。フレアが静かに注意を付け加える。

「反論の時間はあとで、たっぷり差し上げる。しかし、誓って言うが──我が神に誓う──わたしの話はほんとうだよ。証人もいる。ほら──」


 そう言って脚の一本を器用に折り曲げ指し示した暗がりから、ひとりの女が現れるのをネロは見た。

 そして、その姿にめまいを覚えた。

 よく、知っていた。

 

 そのヒトこそは他の誰でもない、シュクレー修道院長:ドロッセルマイヤだったからだ。


「ドロッセルマイヤ院長……」

 思わず漏れたネロのつぶやきは、マチルダの耳に届いてしまった。

 それまで、フレアへの怒りと敵愾心に満たされていた肉体が、一瞬にして驚愕と恐怖襲われ、蝕まれていくのが手に取るようにわかった。


 さすがの効果だな、とフレアが苦笑する。

 はじめからこうするべきだったよ、と。

  

「ようやく我々の話を落ち着いて聞いてくれるようだね、ネロ、マチルダ。では、話そうではないか──すべてを。包み隠さず」

 

 

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